戸籍制度に対する批判が軌を一にして噴出している。ここに戸籍制度とは、日本国民の国籍とその親族的身分関係(夫婦、親子、兄弟姉妹等)を戸籍簿に登録し、これを公証する制度をいう。
ホリエモンこと堀江貴文氏は、「戸籍なんか廃止でいいだろ笑」と述べ、
古市憲寿氏も、「一部に戸籍を偏愛するひとがいますよね。なんでただのデータベースに愛を持てるかわからないですが。」と呼応し、
橋下徹氏も、「古市憲寿氏、戸籍に「なんでただのデータベースに愛を持てるのか」ホリエモンも「戸籍なんか廃止でいい」 ➡︎これが合理性。 しかも公証データベースなら社会生活上の呼び名とデータベース上の呼び名を一致させることがデジタル社会化では不可欠。」と賛成し、
辛坊治郎氏も、「さっきの戸籍の話、これほど無意味な制度を、多くの国民が疑問に思わず受け入れていることが、近年の日本の低迷につながっているのだ。」と述べている。
誰かからの指令を受けているかの如く、時を同じくして一斉に批判が行われているのはなぜなのかはともかくとして、果たして彼らの言う通り、戸籍制度を廃止してよいのだろうか?
戸籍制度があるのは、日本と台湾だけらしい。韓国にも戸籍制度があったが、2008年に廃止されている。
日本と台湾以外の国では、個人単位で登録されている。そのため、相続の際には、「出生証明書」、「婚姻証明書」及び「死亡証明書」をそれぞれ別々に取り寄せなければならず、ものすごく手間と時間がかかる。
出生証明書には両親の名前が、婚姻証明書には配偶者の名前が、死亡証明書には死亡した年月日が、それぞれ載っている。これらを突き合わせて自分が法定相続人であることを証明しなければならないのだ。
兄弟姉妹がいることが分かっている場合には、兄弟姉妹の出生証明書を取り寄せて、両親が同じであることを確認すれば足りる。
しかし、例えば、自分が生まれる前に養子に出された兄姉がいることを知らない場合のように、兄弟姉妹がいるかどうかが分からない場合には、大変だ。出生証明書には両親の名前しか載っておらず、兄弟姉妹の名前が載っていないので、兄弟姉妹がいるかどうかを確認するのは、極めて難しいからだ。
これに対し、戸籍制度があれば、戸籍謄本一枚取り寄せれば、簡単に証明できる。
同様に、日本の民法では、近親者間の婚姻の禁止(民法第734条)、直系姻族間の婚姻の禁止(民法第735条)が定められているが、これらの禁止に違反しているかどうかを確認するのも至難の業だ。
例えば、韓国では、戸籍制度が廃止されているため、婚姻に際しては、本人の身分を証明する「基本証明書」、独身であることを証明する「婚姻関係証明書」、近親婚に該当しないことを示す「家族関係証明書」をそれぞれ取り寄せて、証明しなければならない。
これに対し、戸籍制度があれば、戸籍謄本一枚で証明できる。
また、刑法には「親族」に対する犯罪や「親族」間の犯罪に関する規定が多くある。これらに該当するかどうかを確認するのも、極めて煩雑な作業となる。
親族関係・相続関係が分からなければ、刑事ドラマでよくある「被害者が殺されて得するのは誰か」と推理することすらできない。
これに対し、戸籍制度があれば、戸籍謄本一枚で親族関係・相続関係を確認できる。
さらに、例えば、米国では、出生届、婚姻届、死亡届、社会保障番号等を管理する部署が全部異なり、相互の連絡がないため、すでに亡くなっている人が年金をもらったり、未成年者にローンが組まれていたり、選挙の有権者登録も死亡しても自動的に消去されないので、幽霊が投票していたりするなど、不正が行われているらしい。いわゆる「なりすまし」・「背乗り(はいのり)」だ。
これに対し、戸籍制度があれば、かかる不正は行いにくくなる。
このように戸籍制度を廃止すると、これに代わる個人単位の登録制度を新設する必要が生じるし、なりすまし等の不正を防ぐために一元的に管理するシステムを新たに構築する必要があるし、相続、婚姻、扶養、犯罪捜査が煩雑となって手間と時間がかかるとともに、相続や身分関係をめぐる裁判が増加するのだ。
この意味において、我が国の戸籍制度は、簡単明瞭で利便性の高い世界で最も進んだ制度なのだ。明治以来、上手くいっている戸籍制度を廃止すべき理由はなく、これを保守すべきだ。
マイナンバー制度と棲み分けを行なって、運用していくのが賢いやり方だ。
いわゆる選択的夫婦別姓を導入させようとしている左翼は、戸籍制度の廃止による日本社会の混乱と不正を惹起したいのだろう。
また、ナザレンコ・アンドリー氏が言うように、帰化を隠蔽したいのかも知れない。
いずれにせよ、戸籍制度の廃止を主張している人たちは、戸籍によっぽど都合が悪いことが載っているのだろう。
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