BLOG夙夜夢寐(しゅくやむび)

 普通地方公共団体が海外事務所を設置することは、それが住民の福祉の増進(地方自治法第1条の2第1項)に役立つのであれば、適法だ。

 都道府県の支庁・地方事務所、市町村の支所・出張所の位置、名称及び所管区域も、条例で定めなければならないが、その位置については、「必要な地に」とあるだけで(地方自治法第155条第1項)、それ以外にはなんら制限がないからだ。


 また、普通地方公共団体が株式会社を設立することも、それが住民の福祉の増進に役立つのであれば、適法だ。

 地方自治法には、普通地方公共団体が株式会社を設立できる旨の明文の規定はないが、普通地方公共団体の予算執行に関する長の調査等の権限(地方自治法第221条)の対象法人の範囲として、「普通地方公共団体が資本金、基本金その他これらに準ずるものの2分の1以上を出資している一般社団法人及び一般財団法人並びに株式会社」が列挙されている(地方自治法施行令第152条第1項第2号)。


 下記の記事によると、沖縄県が米国ワシントンに海外事務所を設置しようとしたところ、米国務省から「非営利目的の事業者設立は不適当だ」と言われたため、米国弁護士の助言に従って、県が100%出資する「株式会社沖縄県ワシントン事務所」を設立したそうだ。


 しかし、「現地に常駐する県職員のビザを取得する際、県側が肩書を「社長」などとして申請。米移民局に提出した資料には«沖縄県から直接雇用されることはない»«株式会社が雇用を管理している»などと記載していたが、実際は県職員の身分を有した公務員のままだった。」そうだ。


 これは、明らかに虚偽申請であり、違法だ。また、記事にはないが、「株式会社沖縄県ワシントン事務所」は、売上がゼロの赤字会社であるはずで、事務所の経費や現地人スタッフを雇用している場合にはその人件費をどのように捻出しているかなど、資金の流れ・会計処理も洗い出すべきだろう。


 このブログでも何度か沖縄県庁を取り上げたが、どうも遵法精神に欠けるきらいがある。左翼思想が広く深く浸透した結果、「目的のためには手段を選ばず」という企業風土が醸成されているのではないか。


 記事にもあるように、費用対効果(地方自治法第2条第14項)も乏しく、不当な公金支出ではないかと疑われても仕方ない気がする。


 そもそも国防は、国の事務(「国際社会における国家としての存立にかかわる事務」)なのに(地方自治法第1条の2第2項)、沖縄県庁が税金を使って米軍基地問題を解決するため「株式会社沖縄県ワシントン事務所」を設立・経営するのは、如何なものかと思う。


 「株式会社沖縄県ワシントン事務所」が反米・反基地闘争を米国で画策しているとすれば、米国側から見れば、株式会社を隠れ蓑としたスパイ組織ではないかと疑われることになろう。


 「株式会社沖縄県ワシントン事務所」は、米国法人であるから、形式的に見れば、米国のForeign Agents Registration Act of 1938外国代理人登録法の適用対象外となるが、従業員が県職員の身分を有した公務員のままだったのであるから、実質的には沖縄県ということになるので、外国代理人登録法に基づく登録が必要ではないかという疑問も生じる。

 スイスが国民向けに発行した『民間防衛』(原書房)は、日本でも有名で、私も一読した。


 スウェーデンとフィンランドは、「国民に対して戦争を生き延びるために食料や医薬品などの蓄えを呼びかけるパンフレットを発行した」。第2次世界大戦中に初版が発行されて以来、5版目だそうだ。

 スウェーデンのOm krisen eller kriget kommer『危機や戦争が到来したら』というパンフレットのデジタル版は、下記からダウンロードできる。

 日本では、武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(平成十六年法律第百十二号)が制定されている。いわゆる「国民保護法」だ。

 これを受けて、『武力攻撃やテロなどから身を守るために』というパンフレットが発行されているが、いったいどれだけの人が読んでいるのやら。下記からダウンロードできる。

 これで身を守ることができるとは到底思えないのだが。。。

 また、例えば、民間人が敵兵を攻撃すると、戦時国際法違反として射殺されても文句は言えないなど、戦時国際法の基本を書いていない。本当に国民を保護する気があるのか、疑問だ。

 すっかり忘れていたが、下記の記事で思い出した。団塊の世代やその一つ上の世代に流行った「うたごえ運動」「歌声喫茶」だ。


 1970年代に徐々に衰退したが、私が子供の頃は、まだその名残があった。テレビやラジオでもロシア民謡「ともしび」「カチューシャ」「トロイカ」などが流れたり、「歌声喫茶」の様子が放送されたりしていたからだ。

 日教組教育、学生運動、労働争議、サークル活動、公民館等の各種講座など、あの手この手で露骨に共産主義運動が行われていた時代だった。これに附和雷同した愚かな団塊の世代たちが日本をダメにした。


 この点、ギュスターヴ・ル・ボンの名著『群集心理』(講談社学術文庫)から一部引用しよう。

 「今日、群衆の要求は、ますますはっきりしてきた。そして、それは、ややもすれば現在の社会を徹底的に破壊して、文明の黎明以前のあらゆる人間集団の常態であった、あの原始共産主義へこの社会を引きもどそうとする。」(16頁)

 「歴史の教えるところによると、社会の骨格である道義力がその効力を失ったときに、まさに野蛮人ともいうべき凶暴で無意識なこれらの群衆によって、その決定的な瓦解が行われたのである。幾多の文明は、これまで少数の貴族的な知識人によって創造され、指導されてきたのであって、決して群衆のあずかり知るところではなかった。群衆は、単に破壊力しか持っていない。群衆が支配するときには、必ず混乱の相を呈する。…群衆は、もっぱら破壊的な力をもって、あたかも衰弱した肉体や死骸の分解を早めるあの黴菌(ばいきん)のように作用する。文明の屋台骨が虫ばまれるとき、群衆がそれを倒してしまう。群衆の役割が現れてくるのは、そのときである。かくて一時は、多数者の盲目的な力が、歴史を動かす唯一の哲理となるのである。」(18頁・19頁)

 「群衆は、自ら真理あるいは誤謬と信ずることになんらの疑いをもさしはさまず、他面、おのれの力をはっきりと自覚しているから偏狭であるに劣らず横暴でもある。個人ならば、反駁や論難を受けいれることができる。しかし、群衆は、それらに堪えられないのである。」(64頁)

 「仏教、キリスト教、回教などの創始、宗教改革、フランス大革命、また今日では社会主義の憂慮すべき侵入のような、歴史上の大事件はすべて、群衆の想像力の上に及ぼされた強烈な印象の、直接あるいは間接の結果なのである。…群衆の想像力を刺戟する術を心得ることは、群衆を支配する術を心得ることである。」(84頁・86頁)


 このように1895年出版された『群集心理』は、戦後の我が国の共産主義運動にも見事に当てはまる。

 保守主義者ル・ボンが伝統について述べた部分を一部引用しよう。拳拳服膺しなければならない。

 「伝統は、過去の思想、欲求、感情を現すものである。それは、種族性の綜合であり、絶大な力をもってわれわれの上にのしかかっている。

…民族というものは、過去によって創造された一種の有機体である。どんな有機体とも同様に、民族は、祖先伝来徐々に蓄積されてきたものに手を加えなければ、変改することはできないのである。

 民族を真に導くものは、伝統である。そして、私が幾度もくりかえし述べたとおり、民族が容易に変化させるのは、伝統の外形のみである。伝統がなければ、つまり、国民精神がなければ、どんな文明もあり得ないのである。

 それゆえ、人間が存在して以来、二つの大事業とは、複雑な伝統を創造することと、ついで伝統の有用な効力が消耗したときに、その伝統を打破することであった。確乎とした伝統がなければ、文明はないし、またこれらの伝統を徐々にとり除いて行かなければ、進歩はない。むつかしいのは、不動と変動のあいだに、適正な均衡を見出すことである。

…従って、民族の根本的な任務は、過去の制度を少しずつ改めつつも、それを保存することでなければならない。これは、困難な任務である。その任務を実現したのは、だいたいにおいて、古代ではローマ人、近代ではイギリス人だけであろう。」(102頁・103頁)


 本場の「カチューシャ」

 ソ連兵や一般聴衆が無表情なのが印象的だ。ロシア民謡もロシアのクラッシックバレー団もボリショイ・サーカスもロシア帝国時代の遺物にすぎず、ソ連は何一つ世界に誇れる文化を生み出すことができなかった。自由が抑圧されていたからだ。お若い方には、隣国の北朝鮮を見れば、理解できるだろう。

 なお、「うたごえ運動」の資金源等については、下記が参考になる。

 石破総理のマナー違反については、以前述べた。

 外交の場面でマナー違反をするのではないかと心配していたら、予想を裏切らなかった。国内であれば、石破総理一人の問題にすぎないが、外交においては、日本の恥になるので、手厳しいことを言わざるを得ない。


1 ネクタイの柄

 まず、石破総理は、APECで、各国首脳の中で唯一レジメンタル(斜めストライプ柄)のネクタイを着用していた。

 以前にも述べたが、外交やビジネスの場面でレジメンタルは相応しくないとされているため、通常、無地又は小紋を着用する。

 外務省の連中は、石破総理に注意しなかったのだろうか。注意をしても聞く耳を持たないのだろう。

2 両手握手

 次に、石破総理は、APECで、各国首脳と握手したのだが、中国の習近平国家主席に対してだけ両手で握手していた。もちろん、習主席は、石破総理に対して、両手握手をしていない。


 中国万歳の朝日新聞ですら上記記事で指摘しているように、西洋において、命の恩人などに感謝の念を表するために両手握手をすることがあるが、原則として、両手握手は、相手に媚びへつらう気持ちの表れであるとされ、外交やビジネスの場面では相応しくないとされている。

 石破総理は、日中間の様々な懸案を憂慮しているかの如く、無表情で習主席と握手しているのだが、親中派の石破総理は、つい本音が出て両手握手してしまったのだろう。お辞儀をしなかっただけマシだが。

 両手握手の結果、日本は、中国よりも格下という位置付けを世界に印象付けたことになる。屈辱外交以外の何ものでもない。

 習主席は、会談の冒頭で、石破総理が、日中国交正常化を行った田中角栄首相の弟子だと言って親愛の情を示したのも無理はない。


3 遅刻

 さらに、APECで各国首脳との集合写真の撮影に間に合わずに遅刻したそうだ。前代未聞の失態。さすが「だらし内閣」の本領発揮。バイデン大統領も5分遅刻したそうだが、撮影には間に合った。

 石破総理は、フジモリ大統領の墓参りの後、事故渋滞に巻き込まれたためだそうだが、イレギュラーなことが起きても遅刻しないように時間に余裕を持たせて行動するのが常識だと思う。外務省のミスだ。


4 着席したままの握手

 APEC首脳会議が始まる直前に、他の首脳たちは、和やかにそれぞれ握手して会話を楽しみ、親睦を深めているというのに、石破総理は、一人だけ着席して、会議が始まっていないのに通訳ヘッドホンをして、書類やスマホを見ていた。「俺に関わるな!」とバリアーを張っているように見える。

 石破総理は、プラモデル、アイドル、軍事、鉄道、自動車、飛行機、カレー作りが趣味だそうで、共通の趣味の人とは話をするが、基本的には人付き合いが苦手なオタクタイプだからだろう。

 地球の裏側ペルーに向かう飛行機の中で、官僚からレクチャーを受けていたであろうから、いまさら書類等を確認する必要がないことは、他の首脳たちが書類等を見ていないことからも明らかであるし、せっかく各国首脳たちが一堂に会しているのだから、英会話ができなくても通訳を介してフランクに親睦を深めたらよいのにと思わなくもないが、石破総理の性格だから、致し方ない。

 しかし、マレーシアのアンワル首相やカナダのトルドー首相らが気を利かせて、ひとりぼっちの石破総理に敬意を表して握手を求めてきてくれたのに、石破総理は着席したままで握手をしていた。

 急に話しかけられたので、座ったまま握手してしまったのだろうが、対等な主権国家の首脳同士なので、立ち上がって握手をして敬意を表してほしかった。座ったままで握手するのは、傲岸不遜な態度だと受け取られるからだ。


5 腕組み

 ペルー大統領官邸での歓迎式典で、ペルーの人たちが民族舞踊等を披露してくれているのに、石破総理だけは腕組みをして、ふんぞり返って、つまらなそうな顔をしていた。他の首脳たちは、腕組みをしていないので、目立った。

 オタクタイプの石破総理は、自分が興味のある事柄以外は無関心なのだろう。無意識に拒否反応として腕組みをしてしまったのかも知れないし、疲労のためについ腕組みをしてしまったのかも知れない。

 理由はなんであれ、自分たちを歓迎するために、民族舞踊等を練習し、披露してくださっているのだから、せめてにこやかな顔をしたり、興味深そうな顔をしたり、隣に座っているペルーのボルアルテ大統領に質問をしたりしてほしかった。トム・クルーズだったら、ボルアルテ大統領(女性)の手を取って、一緒に踊ったかも知れない。石破総理がボルアルテ大統領と楽しそうに踊ったら、世界に配信されたことだろう。

 腕組みは、外交やビジネスの場面では、拒絶や敵対のサインなので、無作法とされている。石破総理の腕組みは、歓迎式典の主催者であるボルアルテ大統領だけでなく、ペルー国民に対する侮辱だと受け取られても仕方ない。

 国内においても、例えば、住民説明会で上座に着席した自治体職員さんが腕組みしていたら、態度が悪いと言って住民の怒りを買うわけで、海外においても同じだ。


 石破総理は、これまでも大臣として、外国訪問の経験が豊富なはずなのに、どうして無作法なのだろうかと思う一方で、どれほどお疲れであっても、皇族が和やかでエレガントな立ち居振る舞いをしてくださっていることに頭が下がる。

 成人したら自己責任だとはいえ、やはり育ちは大事だと思わざるを得ない。

 


 外交や国際交流の場では、歴史・文化・言語等の違いから誤解・不信・争いが生まれやすいから、相手への敬意とすべての国を平等に扱うために、国家間の儀礼・マナーが伝統的に形成されてきた。これがプロトコール(国際儀礼)だ。

 強行スケジュールで大変だとは思うが、ブラジルで開催されるG20では、日本のためにプロトコール(国際儀礼)を守って汚名返上してほしいものだ。


 なお、「お前は、外交も国際ビジネスもしたことがないくせに、偉そうなことを言うな!」とお叱りを受けそうだ。

 プロトコール(国際儀礼)をまとめた分厚い箱入りの本を持っていたのだが、外交官になりたいという受験生にあげてしまったので、上記のマナーについて、いちいち典拠を示すことができないのが残念だ。

 しかし、この本は、既読だし、また、戦前に外務省に勤め、戦後は商社マンだった伯父や、精密機械メーカーの重役を経てメーカー兼商社を経営していた父から国際ビジネスマナーを教えられていたので、間違ってはいないと思う。

 もし間違っている点があったら、石破総理に謝罪しなければならないので、ご教授いただけたら幸いだ。

 衆議院議員松原仁氏が「中国の大使級総領事が行った選挙運動に関する質問主意書」を提出した。

***

 中華人民共和国(中国)の薛 剣駐大阪大使級総領事は、第五十回衆議院議員総選挙の選挙運動期間中の本年十月二十五日、自らの官職名を明示したソーシャル・ネットワーキング・サービス「X」の公開アカウントにおいて、「全国どこからでも、比例代表の投票用紙には「れいわ」とお書きください。」と投票を呼びかける文面が表示されるれいわ新選組の山本太郎代表の街頭演説の動画を引用して表示させ、「世界のどの国も一緒だけど、政治が一旦歪んだら、国がおかしくなって壊れ、特権階層を除く一般人が貧乏なり、とうとう地獄いきなんだ。」と推薦する投稿を行った。薛大使級総領事のアカウントは、フォロワー数が現在八万二千以上あり、非常に影響力がある。

***


 松原氏が指摘しているように、「特権及び免除を害することなく、接受国の法令を尊重することは、特権及び免除を享有するすべての者の義務である。それらの者は、また、接受国の国内問題に介入しない義務を有する。」と定める外交関係に関するウィーン条約第41条第1項の後段(太字部分)に違反する。

 

 「ペルソナ・ノン・グラータPersona non grata」(好ましくない人物)として国外退去処分すべきだろう(外交関係に関するウィーン条約第9条、領事関係に関するウィーン条約第23条)。


 呉江浩・駐日中国大使の日本国民を人質とした恫喝に対して、岸田総理は、ペルソナ・ノン・グラータとして国外追放することはもちろんのこと、大使を呼び付けて厳重に抗議したり、緊急記者会見を開いて毅然たる態度で猛然と抗議をすることがなかった。

 この程度の内政干渉は許されるという誤ったメッセージを送ってしまった結果が、薛 剣駐大阪大使級総領事の内政干渉だ。

  ペルソナ・ノン・グラータの追放なんて、どこの国でもやっているのだから、遠慮する必要はないのだが、中国に対しては拳を振り上げることすらしない。

 しかも、よりにもよって宮内庁の鴨場で皇室の行事として行われる接遇に、中国大使夫妻を招待しているそうだ。

 これだから、我が国は、中国からなめられるのだ。

 南米チリで「悪魔の神殿」と呼ばれる新興宗教が流行しつつあるようだ。詳しくは、下記の動画(約4分)と記事に譲る。

 キリスト教の支配を逃れようとして、様々な新興宗教にハマったり、カウンセリング(似非科学である心理学)にハマったりする人が多いのだが、普通に「脱・宗教」(世俗化)できんのかね?

 1970年代アメリカでヒッピーやスピリチュアルなどのサブカルチャーが流行したが、歴史は繰り返すだな。

 「脱・宗教」の日本に生まれて本当によかったと思う。

 衆院選東京1区で落選した日本維新の会の音喜多駿氏は、国民民主党代表の玉木雄一郎氏の不倫謝罪について、「本質的には玉木さんに怒って良いのは家族だけ」と述べたそうだ。

 ワイドショーのコメンテーターも、同種のコメントをよくする。

 しかし、道徳は、家庭内のルールではなく、社会のルールである。社会秩序を維持するためのルールが道徳であって、不貞行為は、反道徳的行為である以上、不貞行為を行なった者が、社会秩序・規律を乱し、社会に脅威を与えた者として、社会的制裁(ex.非難、軽蔑)を受けるのは当然であって、これは、決して家庭内の問題にとどまるものではないのだ。不貞行為を行なった者が国会議員かどうかは、関係ない。

 もし不貞行為が家庭内の問題にすぎず、他人が非難すべきではないということになれば、反道徳的行為を黙認せねばならず、その結果、道徳が破壊され、社会秩序・規律が乱れてしまうからだ

 反道徳的行為を行なった者に対して、道義的責任を追及し、社会的制裁を加えることによって、社会秩序・規律が回復するとともに、反道徳的行為を抑止することにつながるのだ


 このような社会のルール・仕組みの初歩すら分からない軽佻浮薄な連中が政治家やコメンテーターをやっているのだから、世の中が乱れるのは当然かも知れない。

 今調べてみたら、音喜多氏は、早稲田大学政治経済学部政治学科卒だった。学生時代に何を学んでいたのやら。

 音喜多氏は、サウナへのスマホの持ち込みや撮影が禁止されているのに、自らの局部が写った不適切画像をSNSに投稿するなど、これまでも何度も謝罪をしているが、道徳が家庭内のルールではなく、社会のルールであることすら理解していない以上、その謝罪も、真意に基づくものか、単なる政治的パフォーマンスにすぎないのか、怪しくなる。

 

 この連中にも分かるように、もう少し附言すると、人間は、社会生活を営まざるを得ない動物だから、仲良く暮らせばよいのだが、人々の考え方等が様々なので、紛争が絶えない。

 そこで、人間社会には、社会秩序を維持するために人間が従うべきルールがある。その代表が法と道徳だ。

 法は、社会秩序を維持するための最低限度のルールであり、違反者に対しては国や地方公共団体が強制(ex.刑罰、強制執行)を加え得る点で、道徳と異なる。


 夫婦の一方が配偶者以外の人と不貞行為をしても、処罰規定がないので、刑法上は違法ではなく、刑罰を科されることはないが、不貞行為が反道徳的行為であることには変わりがないので、民法上は違法とされ、他方の配偶者は、不貞行為を理由に裁判上の離婚を請求することができるし(民法第770条第1項第1号)、又、不貞をした配偶者及びその相手方に慰謝料を請求することができる(民法第709条)。

 このような法的責任とは別に、不貞行為を行なった者は、反道徳的行為を行なった以上、社会から道義的責任を追及され、非難されたり軽蔑されたりするなど、社会的制裁を受け、その結果、一夫一婦制が守られることになる。


 なお、不倫については、以前述べた。


<追記>

 玉木氏の不倫問題が「アホ・バカ発見器?」の様相を呈してきた。私が知らない連中がいるが、記事になるということは、それだけ社会的影響力のある人なのだろう。日本の将来が危ぶまれる。


 小説家でタレントの室井佑月氏が「不倫。謝れ、謝り方が足りないと、大騒ぎする人が出てくるかもだけど、基本、当事者たちだけの話だと思う。他人の下半身事情に、みんな興味もちすぎよ」と述べたそうだ。

 大阪市議会議員の佐々木りえ氏は、「不倫を肯定しませんが、不倫で謝罪会見って必要なんですかね? 不倫は当人たちの責任であり、家族の問題で、他人が立ち入る領域ではないと思いますが。 こういう文化、本当やめたらいいと思う。 国民の期待を裏切ったと言われますが、すべて含めて選挙で有権者にご判断いただくのが政治家だと思います。」と述べている。


 参議院議員の齊藤健一郎氏は、「不倫くらいいくらでもした事ある。当事者間の問題であり、他人がとやかく言うのは格好悪い」と述べたそうだ。


 弁護士の橋下徹氏は、玉木氏の不倫相手とされる元グラドルでタレントの小泉みゆき氏について、高松市が事実を確認中で観光大使解任も含めて検討していることに対して、「これはアカン。玉木さんが引き続き国会議員を続けて国民民主党の代表を続けるなら、玉木さんと国民民主党は、玉木さんの相手女性の職を全力で守らなあかん」と述べたそうだ。

 橋下氏は、「玉木さんと国民民主党は、玉木さんの相手女性の職を全力で守らなあかん」と言うのだが、弁護士なのに、個人責任の原則を知らぬようだ。玉木氏と小泉氏は別人格なので、それぞれ別個に道義的責任を追及されるべきなのだ。

 「高松市観光大使」を解任するかどうかは、高松市が自主的に決めるべき問題であって、国会議員たる玉木氏と国政政党である国民民主党がこの問題に不当に介入し圧力を加えることは、地方自治の本旨たる団体自治を危殆に晒すことも、分からぬようだ。本当に弁護士なのか。

 橋下氏は、大阪府知事・大阪市長を務めながら、「高松市観光大使」が無報酬のボランティアにすぎないことも知らぬようだ。

 さらに橋下氏は、「持論として、不倫問題はプライベートな問題として、家庭内と相手女性の間でしっかり解決を図ってもらえるのであれば、仕事はしっかりやってもらいたい」と述べたそうだ。


 元衆院議員、元宮崎県知事の東国原英夫氏は、「不倫というのは妻、当事者、相手方等々が許せば、他者がどうのこうのいう立場ではない。これが公人でも通用するとなると、社会の空気が変わるんですね」と述べたそうだ。

 国民民主党の榛葉幹事長は、「プライベートの問題はしっかりと家族で話し合ってけじめをつけ、政策実現に全力を傾けてほしい」と述べたそうだ。

 漫画家の倉田真由美氏は、「政治家の不倫スキャンダルが話題だが、利権絡みの金銭問題などとは違い完全にプライベートのアホ行為でしかないので、そういうのは周囲の人間がとやかくいうのではなく家庭で痛い目にあえばよい、としか思わない」と述べたそうだ。

 国民民主党の伊藤孝恵参院議員は、「自分の一番近くにいる人を裏切り、悲傷の渦中に突き落とした者は相応の制裁を受けるべきです」「しかし同時に…それを下せるのは宇宙でたった1人だけ、妻だけだとも思います」と述べたそうだ。

 タレント小原ブラス氏は、「Xでこのたび、こういう不倫で私生活のことを見てご不快な思いをさせたすべての方に謝りますみたいなん、言うてたけど。人が不倫したことで不快になってるやつって何なん?」「奥さんが不快になったとかね。関係者が不快になるのは分かるけど。これを見て不快な思いをするやつ、どうやって生きてるの? 街に出たらクソみたいなやつが山ほどいるんだけど、いちいち不快になって生きてるの?」「不快にならない力もつけないとね、みんな」と述べたそうだ。

 タレント武井壮氏は、「不倫不倫うるせえなあもう 馬鹿みたいに人の性行為だの交際だの追っかけてよ。。」「あのさ、不倫の被害者は『不貞行為をされた配偶者と子供』だけですよ 不貞行為をした当事者が『傷付いた』とか聞いて呆れるわ どのツラ下げてとはこの事ですよ しかもその内容ペラペラ喋って、相手方の家族に2次被害与えて苦しめて、それを誇らしげにスクープだ、みたいなメディアもなんなんだよいったい。。」と述べたそうだ。

 故松田優作さんの長女でタレントの松田ゆう姫氏は、「正直私はどっちでもいいという感じ。不倫問題自体が。完全にプライベートのことだから、私たちには関係ないことじゃないですか。とにかく政策をやってほしいと思ったけど」と述べたそうだ。

 元国民民主党衆議院議員で弁護士の菅野志桜里氏は、「政治家のプライベートを進退に直結させると、『そして誰もいなくなった』になってしまうから、政策実現・政治改革のためにも、玉木さん辞任とならなくてよかったと思っています」と述べたそうだ。

 「NHKから国民を守る党」の党首立花孝志氏は、「不倫している人は、能力が高く、己の恋愛感情に素直に従っている、正直な人なのです!そして、罪悪感があるから、配偶者を大切にするのです!不倫は神様が作った自然の摂理!」「ネットは、不倫くらい許してあげようよ!って感じです!」と述べたそうだ。

 不倫を許すと、一夫一婦制、家庭が崩壊し、道徳的退廃が生まれ、社会秩序が乱れるのだが、「両親がほとんど家におらず、父親も母親も不倫していて、いつも浮気相手と一緒にいたという家庭で育った」立花氏は、自身の幼少時代の体験から何も学んでいないようだ。

 歌手の和田アキ子氏は、「認めてらっしゃるし、ご本人が。後は夫婦の問題で、とやかく言うことじゃない」と述べたそうだ。

 危機管理コンサルタントの平塚俊樹氏は、「不倫を責める権利があるのは、された側の配偶者や子供だけ。不倫がバレると責任感のなさが露呈することは免られませんが、他人に責める権利は確かにありません」と述べたそうだ。


<追記>

 2006年10月07日、玉木代表は、自身のブログで、

***

「政党とは何か。」

 同じ政治理念、政策を共有する集団ということでしょうが、私は、それ以前に、一定のクオリティ(品質)を満たした人の集団であるべきだと思います。

 これは、弁護士や会計士などのように一定の資格試験をクリアーすることを条件にするというよりも、 

「絶対に、不正をしない。」 

絶対に、不倫をしない。」

 などというように、そもそも政治家として有権者信頼に耐えうる集団であることを、自信をもって約束できる集団であるべきだと思います。 

何も聖人君子である必要はありませんが、より高い倫理観を持った人の集団であるべきだと思います

***

と述べていた(太字:久保)。

 言行不一致。見事なまでの特大ブーメラン。


 それにしても、「絶対に、不正をしない。」 は、一般人として当たり前であるし、「絶対に、不倫をしない。」ことは、既婚者に当然求められる最低限の倫理であり義務でもあるのに(民法第770条第1項第1号)、これが「より高い倫理観を持った人」だというわけだから、玉木代表の言う「政党」の「一定のクオリティ(品質)」が如何にレベルの低いことかがよく分かる。

 しかも、自分たちは「より高い倫理観を持った人」だと自負して、他の政党の政治家などを見下しているわけで、お勉強しか能がない軽佻浮薄な玉木代表の偏執的エリート意識が読み取れる。


 悲しいかな、所詮は成り上がり。驕れるものは久しからず。身から出た錆とはいえ、哀れな恥知らずだ。


<追記>

 真偽の程はわからないが、玉木代表の弟の疑惑が浮上している。これが事実だとしたら、息子たちをろくでなしの恥知らずに育てた親の顔を見てみたいものだが、育ちが悪くても、成人したら、自己責任だ。いくらでも改める機会があったからだ。




 


 

 もうジジイなので、献血していないが、昔は、ちょこちょこ献血していた。お蔭で桐箱入りの金杯を頂いた。今は、献血する人が減っているそうだ。

 いざ有事となれば、大量の血液や血液製剤が必要となる。


 地上波初放送された『ゴジラ−1.0』でも触れられていたが、零戦などの戦闘機にはパイロットの脱出装置が装備されておらず、日本兵の命が軽視されていた。


 この点、下記の記事が参考になった。自衛官の命を軽視する流れがようやく変わりつつあるようで、血液製剤の独自製造の目処が付いて、何よりだ。

 乾電池1個で加温できる輸液加温装置なんて便利な物があるんだったら、自衛隊にも導入すべきだ。

 

 昔、自衛隊へ出講した際に、タバコ休憩で自衛官から聞いた話だが、戦車や装甲車には冷暖房がない。鉄の棺桶だそうだ。上記記事のように、冷暖房完備でトイレ付きにしてあげてほしいものだ。

 また、災害派遣の際、トラックの荷台に板をわたして座席としているので、坐骨神経痛になるそうだ。もちろん、冷暖房はない。後で知ったが、高速代がないので、幹線道路を走るらしい。そのくせ自衛隊に一番きつい災害現場を担当させるというのだから、酷い話だ。バスの購入代又はチャーター代及び高速代ぐらい予算をつけてほしいものだ。

 国から支給される靴だと、災害現場で釘などが靴底を貫通するため、自腹を切って鉄板が入った安全靴を履くそうだ。


 このような話を聞くたびに、申し訳ない気持ちになるとともに、政争に明け暮れる国会議員たちに怒りを覚える。


 明日11月11日は、世界平和記念日・第一次世界大戦停戦記念日だから、国防についてつらつら述べよう。


 戦前の「ゾルゲ事件」は有名だが、戦後もスパイ事件が数多くある。産経新聞の下記の記事もその一つだ。


 日本には、スパイ活動そのものを取り締まる法律がないため、国家機密の漏洩(ろうえい)を含むスパイ事件を取り締まることができない。余罪で取り締まるしかないのだ。


 世界中どこの国にもスパイ防止法があるのに、我が国にはない。戦後、何度もスパイ事件が発覚しているのに、スパイ防止法が制定されないのだ。

 これが異常でなくてなんだというのだろうか。この体たらくで、国の安全も国際的信用も保持できるわけがない。

 日本は、いつまでも米国の属州・植民地のままで、真の独立国家たり得ず、対等な関係を築くことができない。


 このような現状を鑑みると、「ゾルゲ事件」のように、国家の中枢にまで工作員が入り込み、スパイ防止法が制定されると困る連中がスパイ防止法制定の動きを握り潰しているのではないか、スパイ防止法があった戦前においてすら「ゾルゲ事件」が起きたのだから、橋本龍太郎首相が中国のハニートラップにひっかかったように、政界・官界・財界の主だった連中がスパイ(米国も含む。)の手先となっているのではなかろうか、と勘ぐりたくなる。


 このように我が国が国家安全保障上危機的状況に陥っているというのに、テレビ局は、公共性が低いくだらない芸能・グルメ・スポーツ情報や政治的パフォーマンスなどに時間を費やして、公共性が高い国防問題などに優先的に時間を割かず、国家存亡の危機から国民の目を逸らさせ、愚民化を推し進めている。


 初代内閣官房安全保障室室長の佐々淳行(さっさ あつゆき)氏は、生前、「ネタは上がっている。スパイ防止法さえ作ってくれれば、いつでも逮捕できるのに。」と悔しそうにおっしゃっていた。

 佐々氏の無念を晴らす日が訪れるのだろうか。


<追記>

 島根県海士町(あまちょう)が受験者とのキャンプを通し、町職員としての適性を見極める「キャンプ採用枠試験」を実施するそうだ。

 元公務員試験予備校講師として知っていることを書いておこう。教え子の中で、海士町を受験した者はいないが、受験相談に備えて情報収集をしていた。


 海士町は、2011年において、若手職員2人を全国募集し、1次選考は、書類選考。履歴書と自己PR(様式自由)。

 自己PRの方法は自由だが、①これまでご自身が壁にぶつかった際、どのようにして乗り越えたかを一つだけ、教えてください、②日本海に浮かぶ離島「海士町」をどのような島にしたいですか?教えてください、という2点を明確に表現しなければならない。


 2次選考は、2泊3日の合宿形式で鍋を囲んで町の課題を議論する形式で実施した。志望者175人で、書類選考を通過した20人が合宿に参加した。5人程度まで絞り込む。海士町までの交通費は、受験生の自己負担だが、滞在費(宿泊、食事、移動)は、町が負担する。

 1日目の午後は、町内案内(120分)が行われ、町内主要施設を見学したり、住宅環境が紹介された。夜は、飲食店で約2時間、鍋を囲んで面接官たる課長ら約15人と将来取り組みたい事業などについて議論した。

 2日目の午前は、主にグループワークで、生徒減少が著しい県立隠岐島前高(海士町)に生徒を集めるにはどんな仕組みを作ればよいかという課題が与えられ、4人一組の5グループに分かれて深夜まで議論し、翌日課長たちに最終報告した。午後は、面接官たる課長たちと一緒に、地域交流イベント(映画上映会)の会場や出店ブースの準備から片付けまで実施。


 第3次選考は、1泊2日で町長その他の特別職3名との最終面接。2次選考と同様に、滞在費は、町が負担する。


 ちなみに、受験指導から遠ざかっているので、最近のものは知らないが、例えば、海士町は、平成12年度活力のあるまちづくり自治大臣表彰(産業経済部門)を受賞し、平成19年度地域づくり総務大臣表彰大賞を受賞している。

 本気で合格したかったら、町の基本情報(人口、地理、財政、産業など)を把握するとともに、受賞対象の活動(施策)を読んで、分析し、このレベルの意見が言えれば、注目を集めるだろう。アイデア倒れにならぬよう、財政的裏付けも言えれば、なお良い。

 しかし、受験生、特に新卒には、このような企画力よりも、むしろ多くの人を巻き込んで実行に移す行動力とコミュニケーション能力が求められているはずだ。実体験があれば、説得力が増す。

 自分だけ目立とうとしたり、他人の発言を妨げたり貶したり、発言しない人を見捨てたりするのは、論外だ。

 今年度は、キャンプなので、人が嫌がる仕事を率先して行う人柄も、当然見られているはずだ。


 大切なことを2つ述べておく。

 海士町は、島なので、古い村落共同体としての色彩が残っていると思われる。人間関係が希薄な都会とは異なるから、よそ者が島に馴染むには、「郷に入っては郷に従え」ができる人でなければならないだけでなく、島に骨を埋める覚悟が必要だ。中途半端な覚悟では務まらないし、面接官に見透かされる。

 また、令和4年度の海士町の全職員数は、たった53人にすぎない。部長職はなく、14人の課長が取り仕切っている。町村と市の仕事にはほとんど違いがなく、やらなければならない業務は多岐にわたるから、職員は、一人でいくつもの業務をこなさなければならず、過酷だ。休みも取りにくいだろう。やりたくない仕事であっても、きちんとやり遂げるのが仕事だ。サークルのイベントのノリで政策施策の企画立案が職員の仕事だと甘い考えでいると、就職のミスマッチが生じる可能性が極めて高い。


 ニコニコハキハキ元気よくキャンプ面接を楽しんでもらいたいものだ。


 国民民主党の玉木代表の「103万円の壁」見直し論が注目されている。


 「所得」は、総収入から経費(会社員などの給与所得者の場合には「給与所得控除」)を差し引いたものだ。

 所得税を計算する場合には、この所得から「所得控除」を差し引いたものが「課税所得」となる。この「所得控除」のひとつが「基礎控除」だ。


 基礎控除は、昭和22年(1947年)に「納税者本人や配偶者・扶養親族の生活維持のため最低限の収入を守る」という趣旨から設けられた。

 当初は、すべての納税者に一律に基礎控除が認められていたが、令和2年(2020年)からは、一律ではなくなった。社会主義政策である累進税の考え方が入ったわけだ。

 すなわち、合計所得金額2400万円以下は、基礎控除48万円で、2,400万円超2,450万円以下は、基礎控除32万円で、2,450万円超2,500万円以下は、基礎控除16万円で、2500万円超は、基礎控除0円になる。


 しかし、世界的に見ると、基礎控除額が低すぎるのだ。古いデータだが、国際比較を載せておく。

 玉木代表の案は、基礎控除額を現行通りのままにしており、給与所得者ではないフリーランスの私からすると、給与所得者優遇案ということになる。

 世間では生活が苦しいと怨嗟の声が巻き起こっているのだから、基礎控除が認められた趣旨を重視して、せめてイギリス並みに基礎控除額を増やすのが筋だと思うのだ。


 


 


 フランス語のcarteカルトは、紙でできた薄い長方形の物を意味し、文脈によって「証明書」「カード」「名刺」「葉書」「献立表」「トランプ」「地図」と訳される。

 英語のcardカード、ドイツ語のKarteカルテ、ポルトガル語のcartaカルタと同様に、「紙」(パピルス)を意味するラテン語chartaカートが語源だ。

 フランス料理は、コース料理が基本なので、menuムニュは、「コース料理の献立表・リスト」を、à la carteアラカルトは、「単品料理の献立表・リスト」ということになる。


1 「オーストラリア政府は7日、16歳未満の子供たちによるソーシャルメディアの利用を禁止する、「世界に先駆けた」法案を提出する予定だと発表した。」


 未熟な子供にスマートフォンを持たせる以上、親がきちんと管理すべきだが、それができない馬鹿親が多いために、法律で一律に禁止せざるを得ないのだろう。

 日本も事情は同じなので、いずれ国会で俎上(そじょう)に上るだろうから、オーストラリア議会の議論の行方を注視する必要があろう。

2 「大規模な太陽光発電施設=メガソーラーを規制する条例の制定を目指す福島市が、市の面積のおよそ7割の区域で設置を禁止することなどを盛り込んだ条例の案をまとめました。」

 太陽光発電には様々な弊害がある以上、やむを得まい。福島市は、ガイドラインを定めて行政指導を行ってきたが、やっと条例化したわけで、遅きに失した感がある。

 平成26年(2014年)1月に大分県由布市が、同年12月に岩手県遠野市が条例化しているからだ。

3 「栃木県旧国分寺町(現下野市)が子どもに自信と誇りを持たせ健全な心身を育むために行う「児童生徒表彰に関わる条例(子ほめ条例)」を制定してから来年で40年を迎える。」

 このような「ほめる条例」は、意外に少ない。

 表彰対象者の選定が難しいこともさることながら、「アホ、ボケ、カス」と「叱って育てる」時代から「褒めて育てる」時代に変わって、今では褒めることが当たり前になったので、あえて条例化する必要がなくなった結果かもしれない。


 そう言えば、千葉県松戸市の「すぐやる課」は、昭和44年(1969年)10月に発足し、その後これに追随する自治体が300近くあったが、そのほとんどが廃止された。

 「すぐにやれるんだったら、最初からすぐにやれよ」と批判を浴びるのは当然であって、職員全体が「すぐにやる」という意識を持つよう意識改革が行われた結果だとも言える。


 「すぐやる」で思い出したが、ミドリ電化のミドリちゃんの『「やってみます」のうた』が最近CMで流れなくなったなぁ〜と思って調べてみたら、平成21年(2009年)にミドリ電化はデオデオと合併してエディオンになったことをすっかり忘れてた。「ボケていまーす!」苦笑