スイスの医師・哲学者であるマックス・ピカート『沈黙の世界【新装版】』(みすず書房)は、「沈黙は言葉なくしても存在し得る。しかし、沈黙なくして言葉は存在し得ない。もしも言葉に沈黙の背景がなければ、言葉は深さを失ってしまうであろう。にもかかわらず、沈黙は決して言葉以上のものではない。反対に、それだけのものとしての沈黙、つまり言葉なき沈黙の世界は、いわば創造以前のもの、完成されていない創造、いや、脅迫的な創造だとさえ言えよう。」と述べ、沈黙は、非生産的で効用性がないため、価値がないと思われがちだが、非生産的で効用性がないが故に、真に価値あるものなのであり、それは「聖なる無用性」に他ならないのだという。
日本画の余白に相当するものがピカートのいう「沈黙」だと言えば、分かりやすいだろう。
しかし、下記の記事によれば、「沈黙の世界」が全く異なる意味で用いられている。
すなわち、エストニアの対外情報機関が2021年2月17日に発表した年次報告書は、「中国は同国政府が支配する「沈黙の世界」を望んでいる」と警鐘を鳴らしている。
中国政府によって世界中の人々の言論の自由が抑圧された世界、中国政府に逆らうことができない世界を「沈黙の世界」と呼んでいるのだ。
この「沈黙の世界」は、全体主義国家中国にとって、否、中国共産党幹部にとってユートピアだが、我々自由主義国家の国民にとってはディストピアだ。
かけがえのない自由を守るため、中国共産党の邪悪なる野望を阻止せねばならない。