BLOG夙夜夢寐(しゅくやむび)

 徳島県知事である後藤田 正純(ごとうだ まさずみ)氏の座右の銘は、「逆命利君」(ぎゃくめいりくん)なのだそうだ。

 前漢の劉向が編んだ『説苑』に「逆命利君、謂之忠」(命(めい)に逆(さか)らいて君(きみ)を利(り)する、これを忠(ちゅう)と謂(い)う)とある。

 主君の命令であっても、それが主君のためにならなければ、その命令に逆らうことこそが本当の忠義なのだ、というわけだ。


 まず、主君の命令を上司の命令に置き換えてみよう。


 地方公務員法第32条には、「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」と定められている。

 上司の職務命令が違法ではないかと思っても、それが重大かつ明白に違法ではない限り(ex.赤信号を無視しろ)、その命令に従わなければならない。

 部下が勝手な判断で行動すると、違法行為による人権侵害の危険があるし、また、ピラミッド型の行政組織においては、組織としての一体性を確保するため、適法か違法かの判断は、上司の判断が優先するからだ。

 もちろん部下が上司に諫言(かんげん)を申し上げることは構わないが、上司の命令に従わないのは、違法なのだ。

 「逆命利君」は、叛逆行為を助長し、上命下服の行政組織の内部規律を乱すものとして、許されない。


 次に、主君の命令を法に置き換えてみよう。

 法とは何かについては、法哲学の問題であり、学説が多岐に分かれているが、例えば、ジョン・オースティンは、「法とは、刑罰という脅威によって裏付けられた、主権者による命令である」と述べている。

 「逆命利君」は、たとえ法であろうと、それが主権者のためにならないと判断すれば、法に違反しても構わないということになり、法秩序、法治主義は根底から崩れ去る。


 このように「逆命利君」は、危険思想なのだ。


 さて、11月の県庁開庁日は18日あったのに、後藤田知事が登庁したのは、そのうち7日だけだったそうで、連絡体制が問題になっていた。

 どこかの知事も、K-popコンサートをやると言ったりするなど、なぜか韓国好きの首長が多いようだが、今度は、後藤田知事が、「徳島市内で行われたイベントで、「修学旅行は国内ではなく韓国へ」という趣旨の発言をする自身の姿を高校生に動画で撮影させ、校長に見せるように依頼」し、生徒は、実際に動画を校長に見せたそうだ。


 「韓国便を誘致している県として「利益誘導」に当たるのではないか」、「修学旅行の行先は生徒らのアンケート結果などをもとに校長が決定することから、知事の行為は権力者として不適切であり、教育に対する政治の不当介入だ」と問題視されているらしい。

 

 




 下記の記事によると、「米税関・国境警備局(CBP)は10日、日本人を含む外国人観光客に最大5年分のSNS履歴の提出を義務付ける計画を公表した。」

 トランプ大統領は、「われわれは安全が欲しい。間違った人たちが入国しないようにしたい」と説明した。

 「ビザの代わりに必要な電子渡航認証システム(ESTA)の申請時に、SNSのアカウントの提出を義務付ける。さらに、過去10年間に使用したメールアドレス(業務用も含む)、家族の名前や生年月日、出生地、電話番号などの詳細な個人情報も要求する。」

 前科前歴だけでなく、SNSのアカウントやメールアドレスすらも個人の信用情報になったわけだ。


 AIを使って調査し、テロリストやテロ組織など、危険な人物・団体とつながりがあったり、危険な言動をしている外国人の入国を拒否したり、国外退去に活用したりするのだろうか。


 普通の人は、米国政府にこれらの情報を知られたとしても、なんら困ることはないが、脛に疵(きず)がある人にとっては、脅威になるかも知れない。

 しかし、SNSのアカウントやメールアドレスを全て正直に提出するとは限らないし、秘匿性の高い通信アプリを使う人もいるので、実効性には疑問の余地がある。


 母国での言論の自由を直ちに制限するものではないが、米国で普遍的価値とされている言論の自由よりも、米国の国防・治安維持を優先するわけで、「背に腹はかえられぬ」ということなのだろう。

 それほど米国は深刻な事態に陥っていることを物語っており、他人事ではない。



 



 石破茂前首相が、中国の習近平国家主席との首脳会談を回顧して、習主席の人物を次のように評している。


 「うん底知れない一種の恐ろしさ…中国の大人(たいじん)っていうのかしら。それはトランプ大統領みたいに本当に言いたいことを言い合うっていうことにはなかなかならなかったですよね。 もちろん実際に会談したってのは1回だけだけれども、もちろんそこで何か言い争いがあったわけでもない。ただあの中国っていう国の歴史であり、特に日本との関係で中国の経済、中国の安全保障、中国の思想そういうものを本当に可能な限り学んでいかないと、この人とは話ができないねっていう。そういう一種のうん。威圧感っていうのかな、言い方おかしいですけども、そういう底知れぬ深みみたいなものは感じましたね。」(太字:久保)

 石破前首相は、習主席を「大人(たいじん)」と評して、持ち上げている。


 「大人(たいじん)」は、多義的であるが、通常、「徳の高い立派な人。度量のある人。盛徳の人。人格者。大人物。大物。」、「身分・地位の高い人。君主や貴人」、「先生・師匠・学者などを敬っていう語。また、一般に、他人を敬っていう語。」など、自分よりも偉い人を指すことが多い。


 外交の場でよく行われるリップサービスだから、目くじらを立てる必要はなかろう。


 ニコリともしない習主席は、中国共産党内の熾烈な派閥闘争を勝ち抜いて、14億人の中国人の頂点に君臨している独裁者だ。

 石破前首相は、習主席に対して、「底知れない。一種の恐ろしさ」を感じたというのは、きっと素直な感想なのだろう。

 なぜなら、「威圧感」、「底知れぬ深み」を感じたと繰り返し述べているからだ。


 しかし、これは、習主席に気圧(けお)されている証左であって、日本国を代表する首相として情けない。


 例えば、ウィンストン・チャーチル英国首相は、ソ連のスターリンに対して、ナチスドイツに対する軍事作戦を説明し、その協力を頼むため、命の危険を顧みず、自ら飛行機に乗ってモスクワを訪れた。


 真の自由主義者(=保守主義者)チャーチル個人にとって、これは、不本意であり、屈辱であったであろうことは、次の文章から読み取れる。

 「私はこの陰気で邪悪なボルシェヴィキ国への使命に、あれこれと思いをめぐらした。私はかつてはこの国の誕生に当たって、これを絞め殺すことに懸命に努力したし、ヒトラーが出現するまでは、文明化した自由の不倶戴天の敵とみていたのだ。いま彼らに何をいうのが私の義務だろう?」(W・チャーチル『第二次世界大戦3』河出文庫220頁)。

 「われわれとしては常に彼らの邪悪な社会制度を嫌っていたので、ドイツの殻竿(からざお)が彼らの上に打ちおろされるまでは、彼らはわれわれが地上から一掃されるのを冷淡に見守り、東洋におけるわが帝国をヒトラーと楽しく分け合うつもりであったであろう。」(同書221頁)


 チャーチル首相も、リップサービスとして、「私はクレムリンに着いた。ここで私は初めて偉大な革命指導者、達識のロシア人政治家兼闘士に会った。」と述べている(同書223頁)。


 スターリンは、ソ連の独裁者だ。「ペレストロイカ後の情報公開によれば、1930年代のスターリンによる大粛清では、250万人が逮捕され、そのうち68万余が処刑、16万余が獄死したことが確認できる。 後述するNKVDの1953年統計報告によれば、1921年から1938年までの間に処刑されたのは74万5220人にのぼる。」(Wikipedia)

 だからといって、チャーチル首相は、スターリンに気圧されることがなかった。

 

 ただ、チャーチル首相とスターリンとでは戦争に対する考え方が相容れなかったため、スターリンを説得するのは困難を極めた。

 すなわち、チャーチル首相によれば、「戦争は戦争であり、愚行ではないのだ。だれも助ける役を果たさないような災厄を招くことは、愚行というものだ」と考えた。

 これに対して、スターリンは、「戦争に対する彼の見解は違うといった。危険を冒すつもりのない人間は、戦争に勝つことはできない。なぜわれわれはドイツをそんなに恐れるのか?彼にはそれがわからないというのだった。彼の経験によれば、部隊は戦争に際しては血を流さねばならないのだった。もし部隊を血に染めないというなら、その価値というものはなんであるかわからないのだ。」(同書225〜226頁)。自国民を大虐殺したスターリンにとって、兵隊の命など毛ほどにも思わなかったのだろう。


 スターリンは、自国民の命など毛ほどにも思わない独裁者であったが、チャーチル首相の合理的説明を理解するだけの頭脳があった。

 「それを聞くと、スターリンは急に「たいまつ」作戦の戦術的利益を理解したらしかった。彼はこの四つの主な理由を詳しく述べた。

 第一、これはロンメルを背後から衝(つ)く。

 第二、これはスペインを威圧する。

 第三、これはフランス国内で、ドイツ人とフランス人の戦いを起こさせるだろう。

 第四、これはイタリアを全面的に戦争の矢おもてに立たせるだろう。

 私はこの注目すべき説明に感銘を受けた。これはいままで珍奇に思われていた問題を、ロシアの独裁者が直ちに完全に理解したことを示したものだった。われわれが数か月もの長い間取り組んできたこれらの問題を、わずか数分間で理解できる人間は、全く珍しいことだった。彼はそれを一瞬にして読み取ったのだ。」(同書230頁)


 詳しい交渉過程は、前掲書に譲るが、チャーチル首相は、その後も粘り強くスターリンを説得した。

 「私は彼の主張をきっぱりと論ばくしたが、少しも侮辱を与えるやり方はしなかった。彼は繰り返して反ばくされたことなどないだろうと思ったが、彼は少しも怒らず興奮さえもしなかった。」(同書234頁)。


 このように交渉は、困難を極めたが、チャーチル首相は、ついにスターリンを説得することに成功した。

 

 英国へ帰る前日の夜、スターリンがチャーチル首相を自宅に招いて酒を酌み交わした。スターリンが集団農場※を自画自賛した。

 チャーチル首相は、「私はこれらの記憶が私によみがえるままに記録し、またあの瞬間に私が感じたー何百万という男女が抹殺され、あるいは永久に移動させられた強い印象を記録に残すだけである。このような悲惨事を知らない世代が疑いもなく来るだろうし、確かに食べる物も多くなり、スターリンの名を讃美することもなるだろう。私はバークの「不公平なしに改革を行うことができないならば、私は改革は行わない」という金言を繰り返さなかった。世界大戦がわれわれの周囲で進行しているとき、声をあげて道徳を説いてもむだに思われた。」と述べている(同書245頁)。


 チャーチル首相は、英国の国益、英国民の自由を守るため、己の感情も政治的信条も徹頭徹尾押し殺して、ただひたすらナチスドイツに対する軍事作戦を実現すべく、独裁者スターリンに臆することなく、媚(こ)び諂(へつら)うことなく、気概を持って毅然たる態度で根気強く交渉に当たったのだ。

 それが自由を勝ち取ると信じて。


※  「第1次5ヵ年計画による工業化を開始しようとしていたソ連当局が,都市労働者と軍隊を養い,輸出を増大させるために必要な穀物調達率の大幅な向上を目指してとった政策。 1927年 12月の第 15回党大会では個人農が大半を占めるロシア農村を,コルホーズの結成により改造することを決議した (それによりこの大会は「集団化の大会」と呼ばれた) 。農民はこれに強く反発し,大量の家畜を殺し,放火や殺人事件も頻発した。ブハーリンは集団化に反対して,政治局を除名された。スターリンは 29年 11月『偉大なる転換の年』を書き「階級としての富農の絶滅」をスローガンに全面的集団化を開始した。しかし富農と中農・貧農との区別は明確ではなく,集団化に対する態度によって恣意的に選び出された「富農」は財産を奪われ,強制収容所に送られ,あるいはシベリアへ流刑になったこのような農民は 1000万人に達し,数百万人が死亡したといわれる。集団化率は,32年に全農家の 60%,播種面積の 70%に達したが,穀物生産はむしろ減少し,家畜頭数はとくに大幅に減少した。農業集団化はスターリンの「上からの革命」といわれ,農村を荒廃させたばかりでなく,ソ連社会全体に全体主義的構造と恐怖政治の雰囲気をもたらす一因となった。」

(『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』、下線:久保)

 


 




 




 静岡県の伊東市の小野市長が市長選に敗れて、田久保市長になって、経歴詐称疑惑問題で市長と議会の対立が激しいため、副市長2名(伊東市副市長定数条例)の選任に関する議会の同意(地方自治法第162条第2項)が得られなかったのだろうか、副市長が不在だ。

 田久保市長は、二度目の不信任議決を受けて失職しており、現在、市長も副市長も欠けている。


 市長だけでなく副市長も欠けたときには、規則で定める上席の職員が市長の職務を代理する(地方自治法第152条第3項)。講学上は、法定代理と呼ばれるが、実務では、職務代理と呼ばれる。


 伊東市長の職務を代理する者に関する規則(平成17年3月31日 伊東市規則第29号)によれば、

(1) 市長戦略監の職にある者 

(2) 企画部長の職にある者 

(3) 総務部長の職にある者

の順序により職務を代理することになっている。


 そして、伊東市市長戦略監設置規則によれば、市長戦略監は、職員の中から市長が任命し(同規則第2条)、「市長戦略監の職務は、市長の命を受けて行う特定事項」とされている(同規則第4条)。

 ところが、平成31年4月1日付け人事発令において、市長戦略監は、企画部長の兼務職となっている。おそらくこの人事発令が今も生きているのだろう。


 それ故、下記の記事にあるように、近持剛史企画部長が市長の職務代理者を務めているわけだ。

 企画部長の仕事のほかに、市長決裁事項及び副市長の専決事項並びにイベントの出席など市長の代わりを務めなければならず、1か月のうち休みが1日にならざるを得ないのだろう。くれぐれもご自愛いただだきたい。

 新市長は、ボーナスをアップしてあげて欲しい。


 法的な話に戻すと、近持剛史企画部長が過労で倒れたりしないように、例えば、「市長職務代理者は、地方自治法第153条第1項の規定に基づき、次に掲げる職務を◯◯部長に委任することができる。」というような条文を伊東市長の職務を代理する者に関する規則に追加して、部長同士で事務分担できるようにしたらどうだろうか。


 なお、記事によると、教育委員会の教育長も欠けているそうだ。

 教育委員会の教育長は、「地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する」ことになっている(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第4条第1項)。

 これも、田久保市長の経歴詐称問題で、議会の同意が得られなかったのだろう。


 この点、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(昭和三十一年法律第百六十二号)第13条第2項で、「教育長が欠けたときは、あらかじめその指名する委員がその職務を行う」ことになっている。


 これを受けて、伊東市教育委員会教育長職務代理者等に関する規則(令和7年10月1日 伊東市教委規則第7号)第2条第1項は、「教育長職務代理者は、あらかじめ教育委員会の委員のうちから教育長が指名する」ことになっているのだが、本件のように教育長及び教育長職務代理者がともに欠けたときは、教育委員のうち最も在任期間が長い者が、教育長職務代理者に指名されたものとみなすと定められている(同規則第2条第3項)。

 以前、海の便衣兵について述べた。

 南沙諸島周辺に、中国の漁船100隻超が集結し、「海上民兵」と呼ばれる海の便衣兵が、フィリピン沿岸警備隊と警戒活動を行ったフィリピン漁業水産資源局の航空機に対しフレア(火炎弾)を発射したそうだ。

 国際法を無視して、民間人を装った海の便衣兵を使って、フィリピンに軍事力を使わせないまま実効支配を既成事実化する、中国お得意の「グレーゾーン戦術」だ。

 いずれ尖閣諸島にも押し寄せるだろう。


 先日、中国の戦闘機が自衛隊の戦闘機にレーダーを照射した。その意図や誰の命令なのかは、不明だが、これまでの日本のように簡単に脅しに屈しないため、ワンランク脅しのレベルを上げたのだろう。

 米軍機に対しては、決してレーダー照射をせず、自衛隊機にはするのは、自衛隊機にレーダー照射をしても、撃墜されることがないと考えているからだ。つまり、なめられているわけだ。

 これについて、中国は、「訓練中、自衛隊機が繰り返し接近し妨害行為をした」といつものように嘘を言って、被害者コスプレで自己正当化している。

 自民党の小渕優子衆議院議員をはじめとする超党派の日中友好議員連盟が中国へ行くらしいが、何をしに行くのやら。。。

 中国とあらゆるレベルでパイプを持っておくことが大切だと言う人が多いが、国際法を守らず、平気で嘘を言い、力による覇権拡大を図る中国に対して、ペコペコとご意向をうかがいに行くのではなく、腹を括って毅然たる態度を取り、粛々と対抗できる力を蓄えることが抑止になることを知れ!

 



 コロナワクチンの接種は、定められた回数を毎回受けた。また、毎年、早めにインフルエンザの予防接種を受けている。

 今度は、医者が、50歳以上の人は、帯状疱疹の予防接種を受けた方がよいと言う。


 帯状疱疹は、体内の水痘(すいとう)・帯状疱疹ウイルスが活動を再開することで発症する病気だ。子供の頃にかかった水疱瘡のウイルスが神経節に潜んでいて、活動を再開するらしい。


 定期接種が始まる65歳だったら、自治体が費用の一部を助成してくれるケースもあるそうだし、定期接種の対象者以外の任意接種についても、費用の一部が助成されるケースがあるらしい。

 私は、まだ65歳ではないし、助成対象でもないから、全額自己負担だ。


 3人に1人が帯状疱疹にかかるらしく、失明したりするケースもあると言うから、早めに接種を受けた方が後悔しなくてよかろう。

 常に最高の医師から健康チェックを受けておられる上皇后陛下や皇后陛下ですら罹患なさったのだから、早め早めが肝心だ。


 そこで、今朝、予約した。ワクチンを取り寄せるのに、1週間かかるらしい。来週1回目を受けて、2か月後に2回目を受けるそうだ。

 合計4万2千円!

 

 都道府県によって金額が違うらしく、4万円〜6万円だそうだ。高額だが、罹患したことを思えば、安いものだと思って、諦めるしかない。


 なお、予防接種には2種類あり、私が受ける筋肉内注射は、免疫の持続期間が約10年らしい。もう一つの予防接種は、皮下注射1回で、費用が7,000円〜10,000円だが、免疫の持続期間が約5年らしい。

 お財布や副反応と相談して、選択することになる。なんにせよ、50代以上の身近な人がいたら、背中を押してあげてはどうだろうか。



 今日は、天気が良かった。散歩の帰り道、コンビニが外に設置している灰皿でちょっと一服しようと立ち寄ったら、店のオーナーだろうか、制服を着た70代後半の女性が灰皿を清掃なさっていた。手が冷たいだろうに、丁寧に水で洗っていた。「ありがとうございます」と言って、吸い殻を灰皿に捨てた。

 何も買わないのは申し訳ないと思って、買い物したら、クーポンが2枚出てきて、ペットボトルのコーラとココアを2本貰った。ラッキー!


 さて、堺屋太一の小説『団塊の世代』がきっかけで、1947年・1948年・1949年の第一次ベビーブーム期に生まれた世代のことを「団塊の世代」と呼ぶようになった。現在 76〜78歳の人たちだ。


 団塊の世代は、人数が多いため、受験や就職など、競争が熾烈で、高度経済成長を支える一翼を担う一方で(本当に高度経済成長を支えたのは、戦前に教育を受けた世代だった。)、左翼学生運動、労働運動、ヒッピー文化、ロック・フォーク音楽、マイカー・マイホームブーム、旅行ブーム、大量消費文化などを牽引し、戦場に散った英霊たちが守ろうとした古き良き日本社会を、粗野で、退廃的で、礼儀知らずで、軽佻浮薄で、低俗なものへと改悪した。


 散々社会を混乱に陥れた団塊の世代は、終身雇用・年功序列の恩恵を最も受けた世代であり、老齢になって社会保障の恩恵を最も受け、下の世代にツケを回して、今まさに逃げ切ろうとしている。


 小学生の頃から、私は、団塊の世代が大嫌いだ。両親は、戦前生まれで、どちらも武家の出だ。武家教育を受けた私にとって、団塊の世代の連中のやることなすこと全てが不愉快極まりなかった。


 小学生の頃は、社会全体が左翼一色で騒々しかった。団塊の世代に当たる学生たちは、勉強もせずに左翼学生運動にのめり込み、ヘルメットを被って、ゲバ棒や火炎瓶で何の罪もない警察官を死傷させ、内ゲバをやりだし、リンチ殺人事件を起こしたり、飛行機をハイジャックしたり、爆弾テロを行ったりしていた。労働組合は、ストライキばかりやっていた。

 しかも、公害がひどく、目を世界に転じれば、ベトナム戦争や飢饉など、目を覆いたくなるようなニュースばかりだった。

 子供ながらに、社会全体が狂っているように思えた。


 歴史好きだったので、しばしば耳にする「資本主義から社会主義への移行は、歴史的必然である」という左翼の定番フレーズが興味深かった。

 資本主義とか社会主義とかは、正直に言ってよく分からなかったけれども、小学生なりに考えて、思ったことがある。

 「歴史的必然だったら、社会に迷惑をかける学生運動や労働運動なんかしなくたっていいじゃないか。あの連中は、バカか?」と思った。


 大学生になって、小泉信三『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)を読んで、我が意を得たりと思った。

 さすがに「バカか?」とは書いていなかったが(苦笑)、小学生の頃に思ったことが学者らしい表現で綴られていた。

 「もしも歴史的因果の系列が、絶対的に変更し難いものとして、将来に向ってすでに決定しているという意味において、必然的であるならば、一切の人間の努力、したがって社会運動は全く無意義であり、よし歴史は人間の心意を通じて経過するとしても、それがかかる絶対的の意味において必然的であるならば、それはあたかも「朝日よ、昇れ」、「四季よ、循(めぐ)れ」といって努力するにも等しいこととなるであろう」(109頁)


 今なお学生運動や労働運動をしている人たちがいる。

 「資本主義から社会主義への移行は、歴史的必然なのだろう? 

 だったら、学生運動や労働運動なんかせずに、歴史に任せて、日々の何気ない幸せを求めたらどうか? 

 「いのち短し 恋せよ乙女」と言うではないか。」


 ゴンドラの唄(大正4年)。

 昭和27年(1952年)、黒澤明監督の映画『生きる』において、志村喬が演じる主人公が、公園のブランコに乗って「ゴンドラの唄」を口ずさむシーンが印象に残っている人もいよう。

 少子高齢化・人口減少の影響は、すさまじく、地域が担ってきた寺社を維持できなくなっているそうだ。


 下記の記事によると、「地域の宗教的な施設の土地は正確に登記されておらず、所有者を調べても分からないケースが目立つ。」

 「手だてとして、所有者不明土地・建物管理制度に基づき、裁判所が弁護士や司法書士などから選任する管理人による土地・建物の処分を挙げる。今回は利用価値の高い市街地にあることから、「土地を売却できれば、建物の解体費に充てられるのではないか」と小林さんは助言する。  

 一方、土地や建物を引き続き利用したい場合は、法人格を持つ認可地縁団体を立ち上げて土地を帰属させる方法があるという。道祖神や筆塚といった碑の立つ土地を、自治会を認可地縁団体として帰属させた例がある。」

 「町又は字の区域その他市町村内の一定の区域に住所を有する者の地縁に基づいて形成された団体(以下本条において「地縁による団体」という。)は、地域的な共同活動を円滑に行うため市町村長の認可を受けたときは、その規約に定める目的の範囲内において、権利を有し、義務を負う」(地方自治法第260条の2第1項)。

 上記のケースで、この認可地縁団体を活用するのは、良いアイディアだと思う。


 ただ、少子高齢化・人口減少の影響で、認可地縁団体の構成員の減少や役員の成り手不足が深刻化して、現在の認可地縁団体を維持することが困難になっていることから、令和5年4月1日施行された地方自治法の一部を改正する法律により、「認可地縁団体は、同一市町村内の他の認可地縁団体と合併することができる」ことになったことからも明らかなように(地方自治法第260条の38)、過疎化が進んだ地域では、認可地縁団体そのものが危機的状況なので、認可地縁団体の活用にも限界がある。


 共助で対応できなければ、公助で対応してほしいところだが、政教分離の原則(憲法第20条・第89条)から容易ではない。

 自治体が、担い手不足で存立の危機にある寺社を、宗教施設としてではなく、文化財として保存する途を探ってほしいものだ。


 『実用日本語表現辞典』によれば、

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 「ブーメラン発言」とは、他者を批判・糾弾するはずの発言の内容が、そのまま自分自身にも該当し、自らの首を絞める結果となるような発言のことである。要するに「人のふり見て我がふり直せ」と咎められるような発言のことである。 

 「ブーメラン発言」という表現は、単に「自分にも当てはまる内容で相手を口撃すること」自体を指す以上に、「そのような状況に陥っても自分の非については認めない(二重基準)か顧みない(厚顔無恥)」ような態度に対する揶揄や侮蔑の意味を込めて用いられる傾向が色濃い。 

 とりわけブーメラン発言が多くて目立つ人物や団体は「ブーメラン職人」と呼ばれることがある。その言動は芸風になぞらえて「ブーメラン芸」と呼ばれることがある。また、発言に限らず言動全体が「自分の身に返ってくる」ような状況は「ブーメラン現象」と表現されることがある。 

 こうした状況は「天に向かって唾を吐く」とも表現される。これは本来「吐いた唾が自分に降りかかる」という趣旨で自業自得・自縄自縛を表現する慣用句であるが、昨今では「目上の者を罵ったり害したりする」という意味と誤解されがちであり、ブーメランの意味で認識されることはむしろ少ない。 

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 左翼は、「ブーメラン発言」が非常に多い。これにもちゃんと理由がある。


 「共産主義者は、かれらの目的が、これまでのいっさいの社会秩序を暴力的に転覆することによってしか達成され得ないことを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命の前に慄(おのの)くがいい。プロレタリアには、革命において鉄鎖のほかに失うものは何もない。かれらには獲得すべき全世界がある。  

 全世界のプロレタリア、団結せよ!」(金塚貞文訳『共産主義者宣言』太田出版97頁)。


 このように法秩序、道徳、慣習、伝統、文化、宗教、礼儀作法・マナーなど、これまでの一切の社会秩序を暴力的に転覆することを公然と宣言している以上、破壊対象たる法も道徳も守らないし、このことにいささかも痛痒(つうよう)を感じないので、息を吐くように平気で嘘を言うし、ダブルスタンダードであり、厚顔無恥なのだ。

 そのため、「ブーメラン発言」が多くなるわけだ。


 さて、ネットで話題になっていたので、備忘録としてリンクを貼っておく。

 なお、「ブーメラン現象」は、『デジタル大辞泉』(小学館)に載っている。

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 自分の行為の影響がそのまま自分に及ぶこと。他人の失敗や不正を批判した者が同様の行為をしていたと後になって発覚し、自らも批判を受けること。→天に向かって唾を吐く

  [補説] 平成16年(2004)に自民党の閣僚らが過去に公的年金を未納だった期間があることが発覚。当時野党の民主党が激しく批判したが、直後に同党幹部らにも未納期間があったことが判明し、主にインターネット上で「ブーメラン現象」と揶揄された。

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 驚いたことに、Wikipediaによると、この「ブーメラン現象」は、刑法学でも用いられているらしい。

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 故意または過失を構成要件要素とする日本刑法学の通説を前提とする場合に発生するとされる問題。 

 故意犯が成立しないとなった後に、過失犯の検討に移ることになる現象を意味する。 

 誤想防衛の場合には、行為者は違法性阻却事由該当事実があると認識しているから、故意が阻却され、故意犯が成立しない(通説)。ここで、誤想したことについて過失がある場合、過失犯を処罰する規定が当該罪に存在するときには、過失犯が成立する(たとえば殺人の故意が阻却されたあとの過失致死)。このとき、一旦構成要件段階で故意(構成要件的故意)があることが認められたはずなのに、行為者の責任を検討する段階で故意(責任故意)が阻却され、次に再び過失行為として構成要件該当性を検討することになってしまう。そのため、そもそも構成要件の段階で故意犯と過失犯を特徴づけてそれぞれ限定すること自体に疑問が呈されることになる。 

***

 これかぁ〜〜〜。学生時代に大塚仁『刑法概説(総論)』(有斐閣)を読んだとき、同じ疑問が浮かんだわ!まさかこれが「ブーメラン現象」と呼ばれているとは思わなかった。笑

 しかし、故意犯と過失犯は、罰条が異なるから、故意犯の構成要件該当性が認められた後で、責任故意が阻却された場合に、再び過失犯の構成要件該当性を検討することは、矛盾ではなく、これを「ブーメラン現象」と呼ぶのは、如何なものかと思う。



 

 浦沢直樹の漫画・アニメ『MONSTER』に、キンダーハイム511という施設が登場する。子供たちから人間性を奪い、東ドイツのために働く殺戮兵器として教育する実験場だ。

 もちろん、これは架空のお話なのだが、チャウセスクが独裁者として君臨していた社会主義時代のルーマニアの孤児院がモデルになっていると思う。

 「チャウセスクの落とし子」「チャウセスクの子供たち」などと呼ばれるが、劣悪な環境で愛情を知らずに育った「ルーマニアの孤児」の末路は、悲惨であり、哀れだ。


 下記の記事によると、ロシアが連れ去ったウクライナの子供たちの一部が北朝鮮の「松涛園国際少年団キャンプ場」に送られ、「日本の軍国主義者を全滅させる」ことを教えられているそうだ。

 真偽の程は分からないが、事実だとしても驚かない。社会主義国は、自国民すら人間扱いしないのだから。

 役所では、人事異動は、当たり前。人事異動したら転職したぐらい仕事内容が異なる。自分がやりたい仕事ではなかったり、興味のない仕事であったり、性格的に向かない仕事であったりするだろう。役所務めをする以上、これは避けられない。

 その役所に留まり続ける以上、知識・経験がある人が部下や後輩であったとしても、恥を忍んで頭を下げて教えを乞い、早く仕事に慣れるよう努力するしかない。

 職員さんたちは、きっと人事異動のたびに、壁にぶつかり、乗り越えてこられたはずで、その過程でご自分なりの克服のテクニック、ノウハウを習得しておられるのではなかろうか。

 ご自身が人事異動で苦労したからこそ、自分の職場に新たに異動してこられた上司・同僚に親切に対応することもできるわけだ。


 係長さんといえども、未経験の仕事については、初心者なのだから、しばらくの間は初心者扱いしてもらえるはずだと思う。


 下記のケースは、詳細が分からないけど、やりきれない話だなぁ〜。死を選ぶぐらいだったら、市役所を辞めるという選択肢もあったろうに。。。

 読売新聞の記事によると、保険課から商工観光課への異動だったそうだ。畑違いだし、イベントの関係で土日出勤がありそうだけど、保険課に比べたら、外回りや調査・分析・企画が多く、フットワーク軽く、コミュニケーションを取れれば、楽しそうな仕事のように思えるのだが。イメージとは違うのかなぁ〜

 例えば、人事課が音頭を取って、全庁挙げて、人事異動で壁にぶつかった際の克服のノウハウを集積して、職員専用ポータルサイトに掲載するとか、後任が困らないように業務の引き継ぎを円滑に進めるノウハウ集を掲載するとか、これらの研修を実施するとか、いろいろ対策を講じてほしいものだ。

 

 昔、公務員試験予備校の講師をしていたとき、公務員として働いている教え子たちにお願いして、初めての仕事・初めての職場・初めての上司・先輩と上手くやるコツを体験談として送ってもらって、これを公務員試験に合格したお祝いとして、メールで贈っていた。きっとヒントになったと思う。

 人事課ならば、もっとより良いものが作れるはずだ。自死なんてことが起きないようお願いしたい。

 世田谷区が、「太平洋戦争中に米軍による空襲で負傷するなどした住民に見舞金を支給する」空襲被害者支援条例を、首都圏で初めて制定したそうだ。

 見舞金は1人3万円で、1回限りの支給。国籍を問わず、精神障害を含むそうだ。

 記事によると、「見舞金制度は名古屋市や浜松市で導入されている。名古屋市は年10万円、浜松市は年2万5000円を支給するが、両市とも身体障害者7級以上が要件で、精神障害は対象とならない」。

 名古屋市は年10万円で、浜松市は年2万5000円であるのに対して、世田谷区は3万円の1回限りで、その他の市区町村は0円あって、自治体によってかなりばらつきがあり、不公平感を拭いきれない。


 名古屋市の例規集で「民間戦災傷害者援護見舞金」を検索してもヒットしない。名古屋市のHPでこれを検索したら、「平成30年度主な施策等一覧(健康福祉局)」33ページに載っていたので、参考までに転載しておく。

 (拡充)民間戦災傷害者援護見舞金

予定額 2,590千円

1 趣旨

  高齢化が進むなど様々なご労苦が一層重くのしかかっている民間戦 災傷害者への援護の促進を図るため、平成22年度から支給している見舞金の単価を増額する。

2 対象者

  太平洋戦争で空襲又は艦砲射撃等の戦時災害によって負傷又は罹患 し、以下の条件を満たす方 

 ① 現在もなお身体障害者障害程度等級表7級と同程度以上の 障害を有する方 

 ② 名古屋市に居住し、1 年以上住民基本台帳等に登録されてい る方 

 ③ 恩給法、戦傷病者戦没者遺族等援護法等による給付を受け ていない方

3 支給金額

  (現行)年額:26,000円 →  (改定案)年額:37,000円



 公平性を期すためには、国が一律に援護すべきだということになりそうなのだが、最高裁が「戦争犠牲、戦争損害は、国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民のひとしく受忍しなければならなかったところであって、これに対する補償は憲法の全く予想しないところ」だという受忍論を採っていることを受けて、国はこれを一貫して拒否している。