BLOG夙夜夢寐(しゅくやむび)

 昨夜の金曜ロードショーで放送された映画『侍タイムトリッパー』(2024年)は、面白かった。

低予算の自主制作映画だそうだが、日本映画もまだまだ捨てたものではない。

 実写映画『キングダム』や実写映画『るろうに剣心』では、従来にない斬新な殺陣(たて)が行われており、ダイナミックな動きに目を奪われる。


 しかしながら、プロボクシングや柔道の試合を見たら分かるが、誰よりも抜きん出た類稀(たぐいまれ)なる才能と身体能力を有し、日々過酷な練習に打ち込んでいる一流選手でも、3分戦うだけで、肩で息をしてしまうほど、疲労困憊(こんぱい)するから、映画のような戦い方を続けることができるわけがなく、あまりにも現実離れしていて(そもそも登場人物が人間離れしているが)、興醒(きょうざ)めしてしまう。

 

 これに対して、映画『侍タイムトリッパー』の劇中劇「心配無用ノ介 天下御免」は、チャンバラ時代劇という設定だから、殺陣が実戦的ではなく、舞いの如きは当然だが、劇中劇「最後の武士」のラストシーンで本身を使うという設定での殺陣は、対峙する武士双方が腰を落として構えており、実戦的で大変感心した。


 ただ、何度も刀で払い合い、鍔(つば)迫り合いをするなど、斬り合いの時間が長かったのが残念ではあった。

 二人の心の葛藤(かっとう)を描くため、演出上、時間を長くしたのかも知れない。


 剣術に限らず、日本の武術では、戦場で長時間戦い続けられるように、必要最小限度の動きで呼吸を乱さず、敵を戦闘不能状態にするよう徹底的に稽古をする。戦さでは、敵を殺す必要はなく、戦闘不能状態にすれば、死んだも同然だからだ。

 例えば、剣術であれば、甲冑で防御された頭頂部や胴などを狙わずに、頸部、脇の下、手首の裏、肘の裏、股、膝の裏などを斬るか、又は喉などを突く。

 勝負は、ほぼ一瞬でつく。ほんの一瞬の判断・動きの差が勝敗を分けるのだ。


 この点、戦国時代の武士の魂が現代の高校生に憑依(ひょうい)するテレビドラマ『サムライ・ハイスクール』(2009年)で、三浦春馬演じる戦国武将・望月小太郎の殺陣は、良かった。殺陣初心者だそうだが、必要最小限の動きで甲冑を着た敵の首や脇を斬って戦闘不能にしていたからだ。もちろん、派手な演出がなされてはいたし、ストーリーはイマイチだった。

 なお、三浦春馬の若侍姿は、凛々(りり)しく清々(すがすが)しかったので、往年の時代劇全盛期にデビューしていれば、時代劇の大スターになっていたことだろう。

 このように考えれば、例えば、戦国時代の剣術家・塚原卜伝(つかはら ぼくでん)の凄さが理解できる。塚原卜伝が「剣聖」と呼ばれる所以(ゆえん)は、その戦績を見れば明らかだ。

 「十七歳にして洛陽清水寺に於て、真剣の仕合をして利を得しより、五畿七道に遊ぶ。真剣の仕合十九ヶ度、軍の場を踏むこと三十七ヶ度、一度も不覚を取らず、木刀等の打合、惣じて数百度に及ぶといへども、切疵、突疵を一ヶ所も被らず。矢疵を被る事六ヶ所の外、一度も敵の兵具に中(あた)ることなし。凡そ仕合・軍場共に立会ふ所に敵を討つ事、一方の手に掛く弐百十二人と云り」


 武術に限らず、一つのことを極めんと努めるのが日本人の特徴なのだが、日本のテレビや新聞は、報道機関としての道を極めんと努力していない。危険な現場には行かず、安全な所からウクライナやイスラエルの戦争の死者数ばかり報道しているからだ。昔からそうだ。

 前述したように、戦闘不能になれば、死んだも同然なので、傷病者数は、戦死者数と同様に、戦争の帰趨(きすう)を決する重要な情報なのに、平和ボケで戦争というものが分かっていないし、分かろうとしないため、傷病者数を報道しない。そのくせ、平和教の布教には熱心なので、タチが悪い。


 戦闘不能で思い出した。我ながらいつも笑ってしまうが、ひょんなことから思い出す。歳は取りたくないものだ。

 母方の祖父は、薩摩藩士で、柔術の元祖として有名な竹内流免許皆伝。嘉納治五郎先生の招きで、講道館で柔道を学び、日銀に勤めながら、警察官に柔道を教えていた。

 ある日、祖父に「最も強い武器は何か」と訊ねた。槍だろうか、刀だろうか、薙刀(なぎなた)だろうかと思ったら、意外なことに釵(さい)だと言う。

 釵は、琉球空手やカンフー映画に用いられているので、琉球や支那(シナ。chinaの地理的呼称)の武器だと誤解されているようだが、少なくとも戦国時代から用いられている日本の武器だ。

 釵は、二本ひと組で、左右の手に一本ずつ持って戦う。宮本武蔵の二刀流をイメージしたら分かりやすい。

 時代劇に出てくる同心や岡っ引きが持つ十手や兜割(かぶとわり)には、鉤(かぎ)と呼ばれるフックが一つ付いていて、これで敵の刀や槍を挟んで動きを止めることができるのだが、釵には、翼(よく)と呼ばれるフックが二つ付いているので、より機能的だ。


 祖父に、刀鍛冶に造らせた本物の釵を持たされて、少し稽古させられたが、ちびっ子の私には重くて上手く扱えなかった。

 釵も十手も基本的には戦い方は同じだ。祖父が護身用にと手造りしてくれた樫の木の十手の方が軽くて扱いやすく、高校時代に剣道部の連中(有段者)と半分おふざけだが、模擬戦をしたら、楽勝だった。釵が最強だと言った祖父の言葉は本当だと実感した。


 釵には刃が付いていないので、斬る動作が不要になる。叩いたり突いたりして攻撃する。こんなもので殴られたら、兜を被っていても脳震盪(のうしんとう)を起こして戦闘不能になる。攻めるもよし、守るもよし。攻防に最適化された武器なのだ。


 このように釵は、極め付けの武器なのだが、槍や刀に比べて、短いので、敵の懐に入るためには、動体視力が良くて俊敏で、ずば抜けた身体能力を必要とするから、万人向けではなく、主流の武器になり得なかったと考えられる。


 ところで、私は、株取引をしたことがないので、恥ずかしながら知らなかったのだが、経済ニュースでよく登場する「ローソク足チャート」は、日本の発明なのだそうだ。


 「ローソク足チャート」は、18世紀江戸時代の出羽国(現在の秋田県と山形県)の米商人・本間宗久(ほんま そうきゅう)が「酒田五法(さかたごほう)」と呼ばれるローソク足チャートの分析方法とともに発案し、大阪・堂島の米相場で使って巨万の富を築いたそうで、明治になって確立したらしい。


 1991年、 Steve Nison スティーブ・ニソンの著書"Japanese Candlestick Charting Techniques"で「ローソク足チャート」が欧米に紹介された結果、現在では世界中で用いられており、この本は、世界中の投資家たちのバイブル的存在になっているそうだ。

 本間宗久もまた一つのことを極めんと努力した偉大な先人だった。




 





 

 X(旧ツイッター)のナウル共和国政府観光局(公式)が次のように発表した。

【本日の業務停止のお知らせ】 

仕事中にドラえもんの「おばあちゃんの思い出」を観てしまい、号泣が止まらず、もう業務にならないため、本日の業務を終了させていただきます。誠に申し訳ありません。

 アニメ映画『おばあちゃんの思い出』(2000年)は、のび太くんがタイムマシンで8年前に戻って、今は亡きおばあちゃんと再会するお話だ。テレビで観たことがある。


 日本文化を理解するなどの目的で、業務の一環としてこの映画を観たのだろうか、それとも勤務時間中にこっそり観たのだろうか。

 後者の場合、日本だったら、職務専念義務に違反し、懲戒処分の対象となる。


 号泣が止まらず、業務にならないというのは、理解できなくはないが、だからといって本日の業務を終了するというのは、職務怠慢であり、日本だったら、視聴の目的如何に関わらず、職務専念義務に違反するとともに、信用失墜行為の禁止に違反し、懲戒処分の対象になる。


 まあ、おそらく注目を集めてナウル共和国への関心・知名度を高めるための冗談(ネットスラングの「釣り」)だと思うが、もし本当だったら、世知辛い日本と異なり、職務専念義務違反を大目に見るおおらかなお国柄だと言えるけれども、「勤勉の精神」に欠けるが故に、資本主義が発展しない証左だとも言える。

 下記の記事によると、「イタリア・リヴィエラのリゾート地ポルトフィーノ市で、公序良俗に関する新しい条例が施行された。この条例では、裸足で街を歩くこと、水着で広場に座ること、公共の路上での飲酒などが禁止される。 スーツケース、ピクニック用品、ポータブルスピーカーなどを公共場所に持ち込み、長時間滞在する場合も、違反内容に応じて25ユーロから500ユーロ(約4300円から約8万6500円)の罰金が課せられる可能性があるという。 この条例の目的は、リゾート地における「住民と観光客の平和と快適性」を守ること。主に中心部の歴史地区と港湾地域に適用され、2025年9月30日まで有効。」

 どこの国も、バカな観光客に苦労しているようだ。


 仕事で南海電車にたまに乗ることがあるが、往きは、関西空港へ向かう外国人観光客で、帰りは、関西空港から難波へ向かう外国人観光客で、超満員。

 外国人観光客は、スーツケースの宅配サービスを利用したり、特急ラピートやシャトルバスに乗ればいいのに、貧乏だからか、通勤電車である急行に乗って、我が物顔でシルバーシートを含むすべての座席を占領し、大きなスーツケースを何個も足元に置いているため、日本人の通勤・通学客は、吊り革を持つことができず、出入り口付近にぎゅうぎゅう詰めで立ち続けている。

 腰痛持ちの私は、殺意すら覚えるが、せっかく来日したのだから、良い思い出を持ち帰ってほしいと思うので、黙って我慢している。

 とはいえ、車内モニターに中国語や韓国語が表示され、中国語や韓国語の音声アナウンスが流れるたびに、イラッとするけど。「日本人は英語ができない」といつもバカにしているのだから、英語だけで十分なはずだ。

 私は、年に数回乗るだけだから、まだ辛抱できるが、毎日南海線を利用している人たちは、さぞかし大変だろう。


 入国に際し、我が国の法令・慣習・マナーに関する難易度が高いテストを実施して、合格した者だけを入国させてほしいぐらいだ。冗談だけど。


 真面目な話、「国際観光旅客税」は、原則として、船舶又は航空会社(特別徴収義務者)が、チケット代金に上乗せする等の方法で、日本から出国する旅客(国際観光旅客等)から徴収(出国1回につき1000円)し、これを国に納付するのだが、出国時ではなく、入国時に、10万円ぐらいの高い入国税を課すだけで、バカの入国をある程度抑制できるはずだから、実施してほしいものだ。


 次に、73の国と地域に日本へのビザなし渡航を認めているから、バカがわんさかとやってくるのだ。先進国(G7のメンバーであるアメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・カナダ)だけビザ免除を認め、韓国のような反日国家や発展途上国には、ビザ免除を認めないでほしい。


※  韓国が反日国家であることには異論はなかろうが、韓国を「先進国」に含めないことについては、罵詈雑言を浴びせられそうなので、補足説明しておく。

 MSCI(モルガン・スタンレー・キャピタル・インターナショナル)は、アメリカ合衆国・ニューヨークに本拠を置く、金融サービス企業で、格付けを行なっている。

 韓国政府が「MSCI先進国指数編入推進TF(タスクフォース)」を立ち上げているように、MSCIによって韓国市場が「先進国」に格付けされることが韓国の長年の悲願なのだ。

 自称「先進国」である韓国は、1992年になってやっとMSCI新興国指数に編入されたが、それ以来、ずっと「新興国」扱いを受けている。

 韓国政府は、毎年、政府高官を派遣してMSCIに「先進国にしろ!」と直談判してゴリ押ししているが、相手にされていない。あの手この手でいくらゴリ押ししても、客観的データからして、「先進国」の条件に箸にも棒にもかからないので、仕方がない。


 なお、ノーベル経済学賞を受賞したサイモン・クズネッツ氏は、全世界の国家を4つのタイプに分類した。「先進国」と「途上国」、「日本」、「アルゼンチン」だ。

 途上国から先進国になった国は、日本だけで、先進国から途上国になった国は、アルゼンチンだけだからだ。


 韓国のマスコミは、韓国が、日本と同様に、途上国から先進国になり、今やあらゆる面で日本を凌駕しているから、「日本に代わってG7に入るべきだ」・「G8」だと言って、「先進国コンプレックス」・「先進国と言われたい病」を爆発させている結果、マスコミに煽動された世論は、いつまで経っても、冷厳たる客観的事実を直視できずにいる。


 文句があるならば、MSCIの「先進国」指数に編入されてからにしてほしい。


 ちなみに、MSCIの「先進国」指数に編入されている国は、米国、カナダ、オーストリア、ベルギー、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、アイルランド、イスラエル、イタリア、オランダ、ノルウェー、ポルトガル、スペイン、スイス、英国、オーストラリア、香港、日本、ニュージーランド、シンガポールの23か国だ。


 MSCIの「新興国」指数に編入されている国は、ブラジル、チリ、コロンビア、メキシコ、ペルー、チェコ、エジプト、ハンガリー、ポーランド、クェート、南アフリカ、トルコ、ギリシャ、カタール、UAE、サウジアラビア、中国、インド、インドネシア、韓国、マレーシア、フィリピン、台湾、タイの24か国だ。


 MSCIの「フロンティア市場」指数に編入されている国は、クロアチア、エストニア、リトアニア、カザフスタン、ルーマニア、セルビア、スロベニア、アイスランド、ケニア、モーリシャス、モロッコ、ナイジェリア、チュニジア、WAEMU(西アフリカ経済通貨同盟)、バーレーン、ヨルダン、オマーン、バングラデシュ、スリランカ、ベトナム、パキスタンの20か国+WAEMU8か国だ。

 




 『プルタルコス英雄伝』(英語読みで『プルターク英雄伝』)の「カエサル」伝を読んだシェイクスピアが書き上げた戯曲が『ジュリアス・シーザー』であるように、『プルタルコス英雄伝』ほど、欧米の教養ある人々に愛されてきた伝記はない。綺羅星の如き古代ギリシャ・ローマの英雄たちが描かれているからだ。


 しかしながら、我が国でこの本が人口に膾炙(かいしゃ)することはない。それには理由がある。

 帝政ローマ時代のギリシャ人であるプルタルコスは、まさに知の巨人と呼ぶに相応しく、博覧強記(はくらんきょうき)で、微に入り細を穿(うが)つが如く、マニアックな記述をする傾向にあるし、また、教養ある同時代人であれば当然に知っているであろうことについては説明を省いているので、現代の我々日本人には読みにくいからだ。


 ヘロドトス『歴史』(岩波文庫)、カエサル『ガリア戦記』・『内乱記』(講談社学術文庫)、スエトニウス『ローマ皇帝伝』(岩波文庫)、タキトゥス『年代記』(岩波文庫)・『ゲルマニア アグリコラ』(ちくま学芸文庫)などを読んでいたので、当時の文章に少し慣れており、多少の前提知識があったから、30年ほど前に『プルタルコス英雄伝』(ちくま学芸文庫)をなんとか通読することができたが、これらの書物と同様に、膨大な知識が右の耳から左の耳へと抜けていく感覚に襲われた。

 この感覚は、私だけではあるまい。一部の専門家を除き、素人には古典は難しいのだ。


 この点、鶴見祐輔訳『プルターク英雄伝』が読みやすいと評判が良い。戦前からのロングセラーだ。

 鶴見氏は、政治家であると同時に文筆家で、分かりやすい文章を書く。その著『ナポレオン』を読んで面白かったので、鶴見氏の『プルターク英雄伝』もぜひ読んでみたいと長年思い続けていた。

 現在、潮文庫から鶴見氏の『プルターク英雄伝』が販売されているが、これは、絶版になった全8冊から選録したものにすぎない。

 昨日、鶴見祐輔訳『プルターク英雄伝』(潮文庫)全8冊揃いの古本を運良くネットで見つけて購入した。五千円で、送料三百円だった(送料が安すぎる。佐川急便なのに)。保存状態の良い本を安く買えた。二、三日したら到着するだろう。今から楽しみだ。

※  無事に到着。実に綺麗な状態。ただ、ドライデン英訳を日本語に翻訳しているため、人名や地名等の固有名詞が英語読みだ。例えば、テミストクレスが「セミストクリーズ」、クセルクセスが「ザークシーズ」、アテナイ(アテネ)が「アゼンス」と英語読みになっていて、「誰やねん?」、「どこやねん?」の連続で、違和感が凄い(苦笑)。英訳の原書を読む際には役立つだろうが、再版する機会があれば、固有名詞を改善してほしいものだ。

 鶴見氏が咀嚼(そしゃく)してストーリ仕立てに再構成したものだと思い込んでいたが、実際には、英訳をこなれた日本語の文章に翻訳しているだけだった。これ自体卓越した業績なのだが、お若い人が初めて読むのであれば、村川堅太郎編『プルタルコス英雄伝 上中下』(ちくま学芸文庫)の方が英語読みに悩まされずに済む点で、マシだと思う。


 老婆心ながら、村川堅太郎編『プルタルコス英雄伝 上中下』(ちくま学芸文庫)又は河野与一訳『プルターク英雄伝 全十二巻』(岩波文庫)の読解のコツを2点書き留めておこう。


 まず、この本は伝記だから、最初に、主人公の生い立ちが書かれている。血筋や家柄などの出自に関する事柄だ。

 プルタルコスが最も注目しているのは、主人公が子供の頃に抱いた情念だ。何が彼をして行動に駆り立て、英雄たらしめたのか。これこそが『プルタルコス英雄伝』に一貫して認められる視点なのだ。読者も、この点に注目すると、段違いに読みやすくなる。


 例えば、ヘロドトス『歴史』のハイライトは、ペルシャ戦争。ペルシャのクセルクセス大王が始めたギリシャ侵略戦争(第2次ペルシャ戦争)に咲いた陸戦の華がハリウッド映画『300 〈スリーハンドレッド〉』(2006年)のモデルになった「テルモピュライの戦い」であるとするならば、海戦の華は、「サラミスの海戦」だ。

 サラミスの海戦で名を上げたギリシャの英雄テミストクレスについて、プルタルコスは、子供の頃から血気にあふれ、先天的に頭脳明晰、後天的には大志を抱き政治を好む傾向にあったが、貴族出身ではなく、混血であったが故の劣等感こそが、彼をして名声を求めさせ、名誉心に駆られて大事業の虜(とりこ)にさせたと書いている。原文には「劣等感」と明記されてはいないが、エピソードから十分読み取れる。

 そして、英雄になると驕りたかぶって傲慢になり、追放されることを予感させるエピソードも書いている。

 すなわち、「公けのことに首を突っ込むことからテミストクレスを引き離そうとした父親は、海辺に打ち棄てられたまま顧みられない古い三段櫂船を指し示して、民衆指導者に対しても、一旦御用済みとなると、大衆はこれと同じ態度をとるものだと教えた」という。実際にその通りになる。


 サラミスの海戦に勝利し、ギリシャ諸国の救国の英雄となったテミストクレスは、ますます増長した。

 例えば、ペルシャ軍の死体が海辺に打ち上げられたのを検分したテミストクレスは、死体が黄金の腕輪や首飾りをつけているのを見ると、自分はそのまま通り過ぎたが、後ろに従う友人にはそれを指し示して、「くすねておき給え。君はテミストクレスではないのだから」と言った。


 テミストクレスは、高慢ではあったが、アテナイ(アテネ)に対する愛国心が強く、知謀に長けた策士だった。

 ペルシャ軍が引き上げたので、テミストクレスは、アテナイ市民に向けて演説した。自分には、諸君にとって利益となり安全を守る秘策があるが、大勢の前で明かすわけにはいかないと。

 そこで、市民たちが、かつてテミストクレスが音頭を取って、オストラキスモス「陶片追放」され、10年ぶりにアテナイに帰郷したアリステイデス一人だけに打ち明けて、彼がよしとすれば、行動に移るようにせよ、と勧告した。つまり、アテナイ市民は、テミストクレスの傲慢さにうんざりし、疑心を抱いていたわけだ。

 テミストクレスは、アリステイデスに、「今、ギリシャ連合艦隊が集結している。アテナイの船以外を全て焼き払えば、アテナイがギリシャの覇者になれる」と秘策を打ち明けた。

 アリステイデスは、市民の前に進み出て、この秘策は、「これに増して有利なものはない代わりに、それより不正なものもない」と言ったので、アテナイ市民は、テミストクレスに中止を命じた。


 テミストクレスの名声と、その右に出る者のない勢いを挫(くじ)こうとして、アテナイ市民は、テミストクレスをオストラキスモス「陶片追放」に処した。

 かつて父が忠告した通りになったのだ。


 プルタルコスは、「その実力が重すぎて民主的平等に不釣合いだと思われた人物には、それが誰であろうと、こうした手段がとられる習わしであったのである。つまり、陶片追放は刑罰ではなく、嫉妬心の慰撫・軽減である。嫉妬心というものは頭角を現わす者の頭を抑えつけることに快哉(かいさい)を叫び、そのむしゃくしゃをこのような公民権剥奪という形に現わして発散させるのである。」と述べている。


 この文章に、プルタルコスの深い人間洞察が見て取れる。これが読解のコツの2つ目だ。

 アリストテレスが言うように、人間は、「社会的動物」だ。人は、一人では生きていけず、社会生活を営まざるを得ない。大なり小なり、常に他人の評価を気にして生きる生き物なのだ。それ故、欲深き人間は、他人から高い評価を受けることを望み、他人から高い評価を受けると高慢になるし、一方で、評判の良い人に嫉妬する。

 人間がこのような存在であるとするならば、他人が何を基準にどのように評価するのか、何にどのように嫉妬するのかを理解できれば、ある程度自制することが可能になる。

 それ故、プルタルコスは、英雄伝を書き上げ、教養ある欧米人は、ここから教訓を読み取り、人生の指針としてきたのだ。

 だから読み手は、この点にも注目すると、理解しやすくなる。


 以上の2点に着目しながら読めば、膨大な知識の海に溺れることなく、通読しやすくなると思う。


 さて、陶片追放されたテミストクレスは、どうしたかというと、なんと敵国ペルシャに逃れたのだ。

 ペルシャ戦争の際に、ペルシャのクセルクセス大王は、ペルシャからギリシャに陸軍を迅速に渡すために、ヘレスポントス海峡アビュドス附近に二本の船橋を設けていた。

 テミストクレスは、捕虜の中にいたクセルクセス付きの宦官(かんがん)に、次のようにクセルクセスに伝言するよう頼んだ。

 今やギリシャは、サラミスの海戦に勝利し、海軍力で優位に立ったので、ヘレスポントスの船橋を破壊する決定をした。しかしながら、テミストクレスは、大王の身を案じて、ペルシャに向けて急いで渡られるよう勧めるとともに、その間自分は味方の進軍を手間取らせ、追撃を遅らせるように努める、と。

 これを伝え聞いたクセルクセスは、ペルシャに帰国できなくなると恐怖し、急いでペルシャに退却した。

 ペルシャ海軍は、大敗したわけではなく、多くの兵力を温存していたし、陸軍もギリシャ軍を圧倒していたので、このままではギリシャの敗北になることを予想して、テミストクレスが一芝居打ったのだ。このテミストクレスの術策により、ギリシャは、ペルシャ戦争に勝利した。

 クセルクセスは、騙されたとは思っていないし、テミストクレスも、陶片追放されたとはいえ、自分ほどの英雄をむざむざ殺しはしないだろうと考えてペルシャへ逃れたところ、ペルシャは、テミストクレスを国賓として歓待した。

 そして、ペルシャのアテナイ追討艦隊の司令長官に任命されたテミストクレスは、祖国に弓引くことができず、毒杯をあおって自決した。


 これと似た話は、日本にもある。「三献(さんこん)の茶」で有名な石田三成(みつなり)だ。


 長浜城主となった秀吉が、鷹狩りの帰りに寺に立ち寄って、茶を所望した。小坊主だった石田三成は、1杯目を「ぬるめのお茶を大きめの茶碗」に入れて持ってきた。秀吉がそのお茶を飲み干すと、今度は「少し熱めのお茶をやや小さめの茶碗」に入れてきた。もう一度飲み干すと「熱いお茶を小さい茶碗」に入れて持ってきた。

 気遣いと頭の良さに感服した秀吉は、三成を家臣にした。


 名門名家の生まれではない三成は、劣等感をバネに、知略で大出世を遂げたが、加藤清正などの武闘派との確執を生み、清正たちが三成を殺害するため挙兵したことを察知して、自分の領地である佐和山へ帰れないため、豊臣家最大の敵である徳川家康がいる向島の屋敷へ逃げ込んだ。


 「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」(逃げ場を失った鳥が自分の懐に飛びこんでくれば、猟師もその鳥を殺しはしない。まして、人が困窮して救いを求めてくれば、どのような理由があろうと援助の手をさしのべるのが、人の道である。)というように、家康は、三成を殺さずに、佐和山へ無事に送り届けた。

 その結果、恩人である家康に弓引く関ヶ原の合戦になるわけだ。


 テレビをつけると、本当にくだらない番組ばかりだ。子供向けの伝記でもいい。伝記を読むと、新しい教訓を得られ、明日への活力が生まれると思う。

 ジジイのおすすめだ。





 




 以前、子供向けの「まるわかり!日本の防衛~はじめての防衛白書2024~」を紹介した。

 下記の記事によると、「防衛省が、全国約2400の小学校に子ども版「防衛白書」を送付していたことが分かりました。特定の国を名指しして防衛力強化の必要性を説いているほか、政治的に意見が分かれている安全保障政策などについて、一面的な捉え方につながる可能性があるなどの指摘があり、職員室などでの保管を決める自治体もあるなど、懸念や戸惑いが広がっています。」

 この小冊子を使って授業をせよと強制されているわけではないのに、教育現場の判断で児童の目に触れないようにするというのは、如何なものか。


 この小冊子を読んだからといって、児童が軍国主義者になるわけではあるまい。むしろ学校では決して教えられないことを知ることができて、視野が広がり、多様な見方ができるのではないか。

 普段、多様な意見の尊重・多角的視点の重要性を説く教師が、検閲を行なって言論統制し、児童の学習と成長を妨げてどうするのだ。

 仮に図書室にこの小冊子が置かれても、ほとんどの児童は手に取ろうとしないだろうに、教育現場が大騒ぎをするということは、学校では平和教の熱心な信者である教師が純真無垢な児童に一方的に平和教を教え込んでいることの証左だ。教師が政治活動をするな。


 記事には、「長崎市内の学校には、様々な国々にルーツを持つ子どもたちも在籍している。傷ついてしまう児童が出てくる可能性もあるので、配慮を要するのではないかと考え、職員室か校長室で一旦保管し、確認している」とある。

 普段、「多文化共生」と御託を並べているくせに、外国にルーツがあろうとなかろうと、日本国民たる児童に真実から目を逸らさせ、日本が置かれた厳しい国際環境を教えずに「多文化強制」し、「北朝鮮・中国・ロシアと仲良くしましょう」、「両国の架け橋になりましょう」と教えているとすれば、なんと白々しく中身のない薄っぺらな「多文化共生」だろう。

 「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」(教育基本法第1条。下線:久保)のであって、「外国にルーツを持つ子どもたち」のために、外国に阿(おもね)て行われなければならないものではない。


 公立学校は、教育者を聖職とは考えずに、単なる労働者だと考えるサラリーマン教師、授業をまともにできずに塾の需要を生んでいる無能教師、児童等を盗撮したり性犯罪を犯す変態教師、いじめなどの問題を隠蔽して自己保身に走る傍観者教師、目的のためには手段を選ばない平和教徒である左翼教師、児童と馴れ馴れしく友達のような言葉遣いをして、TPOを弁えずにだらしない服装で授業をしたり保護者面談をする社会人失格教師など、およそ教育者とは呼べない連中が蔓延(はびこ)っているから、評判の良い私立学校に通わせるのがベターだが、やむを得ず公立学校へ通わせるならば、家庭教育をしっかりしなければならない。


 学校で日教組教育を、家庭で武家教育を受けて、非常に戸惑ったかつての私のように、子供たちは、学校教育と家庭教育の矛盾によって、ambivalentアンビバレントな状態に置かれるだろうが、一歩引いた第三者的視点が育まれるので、必ずしも悪いことばかりではない。

 母方の祖父が薩摩藩士だからというわけではないが、島津家の得意戦法「釣り野伏せ」が面白い。


 中央の部隊が囮になって敵を正面から引き付け、敗走を装いながら後退する。これが「釣り」だ。

 油断した敵が勢いに乗って追撃してくるところを、予め左右に隠しておいた伏兵が一斉に襲い掛かる。これが「野伏せ」だ。

 これに呼応して、中央の囮部隊が反転して、三方面から敵を包囲して攻撃する。四方から攻撃すると、退路を断たれた敵が死に物狂いで反撃して味方の被害が大きくなるから、退路を開けておくわけだ。孫子の「三面包囲」の計だ。


 このように「釣り野伏せ」は、地形を活かして、少ない兵力で大勢の敵を殲滅(せんめつ)することができる戦術だ。

 例えば、元亀3年(1572年)、木崎原の戦いでは、島津義弘公は、わずか300の兵で3,000の伊東義祐の軍を打ち破っている。


 この「釣り野伏せ」で最も重要かつ最も困難なのは、中央の囮部隊だ。敵に敗走だと思わせて伏兵がいる所まで引きつけなければならず、かつ、反転して攻撃できるよう部隊を統率しなければならないからだ。将が冷静沈着かつ優秀で、兵の練度が高く、将兵相互の信頼関係なくしてはできない。

 島津家は、この戦術で何度も存亡の危機を乗り越え、敵将の首を取っている。


 なぜこんな話をしたかというと、下記の動画が「釣り野伏せ」を思い出させたからだ。

年寄りというものは、ひょんなことがきっかけで記憶が蘇る。


 一匹の子猫が道路にいるのを見つけた男性が、これを保護しようと、車を止めて、この子猫を拾い上げたら、草むらから一斉に12匹の子猫が飛び出して、男性に助けを求めた。男性の慌てっぷりを見れば、これが戦さで、左右から挟撃されたら、パニックになることがよく分かる。

 見事にしてやられた男性は、13匹の子猫を飼うことにしたそうだ。男性の敗けにゃん。

 

 東京新聞の「「わたしたちは犯罪者ではない」 非正規滞在で困窮する外国人と支援団体が「排外主義的」主張に危機感訴え」という記事のタイトルに違和感を覚えない人はいないだろう。

 東京新聞は、「不法滞在」を「非正規滞在」と言い換えたいようだが、言葉をどのように言い換えようとも、本質は変わらない。

 

 「不法滞在者」には、在留期間を超えて日本に在留している「不法残留者」と、不法入国して日本に在留している「不法在留者」が含まれる。

 不法滞在者に対しては、3年以下の拘禁刑又は300万円以下の罰金が科され(出入国管理及び難民認定法第70条)、また、不法滞在者は、行政処分として退去強制の対象になる(同法第5章)。


 不法滞在は、自然犯ではなく、法定犯だと言われているが、犯罪であることに間違いはなく、「わたしたちは犯罪者ではない」なんて言い訳は通用しない。


 御涙頂戴の嘘話は、聞き飽きた。

 難民の地位に関する条約第1条の規定又は難民の地位に関する議定書第1条の規定により難民条約の適用を受ける難民に該当しない限り、出入国管理及び難民認定法に基づいて、粛々と手続を進めてほしい。

 


 官僚が天下り先の企業等の便宜を図るために、現役職員に働きかけ(口利き)をするという話は、よく聞かれるが、この構図は、地方公共団体でも見られる。

 そこで、平成26年の地方公務員法の改正により、「第六節の二 退職管理」が新設された。


 この退職管理は、定年退職など退職なさる職員さんがお勉強すべき事柄なので、地方公務員法研修では、現役の職員さんが押さえておくべき4つの点について講義するにとどめている。

 そのため、これから述べる点については、講義では触れていないが、テキストには記載してある。


 地方公務員法第38条の6第2項は、「地方公共団体は、第三十八条の二の規定の円滑な実施を図り、又は前項の規定による措置を講ずるため必要と認めるときは、条例で定めるところにより職員であつた者で条例で定めるものが条例で定める法人の役員その他の地位であつて条例で定めるものに就こうとする場合又は就いた場合には、離職後条例で定める期間、条例で定める事項を条例で定める者に届け出させることができる。」と規定している(太字・下線:久保)。

 なぜくどいほど「条例で」と定めているかというと、退職者には、訓令・通達・要綱などの行政規則の効力が及ばないし、住民の権利を制限したり義務を課したりするには条例で定めなければならないからだ(地方自治法第14条第2項)。


 下記の記事よると、「福井県の福井市が、退職職員による業務への不当な働きかけを防ぐために設けている再就職届け出制度で、2023、24年度の2年間の届け出は計11人にとどまることが、11日までに同市への情報公開請求で分かった。届け出が求められる再就職先は入札参加資格を持つ企業のみで、市の福祉事業を巡る情報漏えい事件で情報提供を依頼した元市職員の再就職先でもあった社会福祉法人は制度の対象外だった。」という。

 福井市では、福井市職員の退職管理に関する規則 (平成28年4月1日 規則第83号の4)が制定されているが、再就職先情報の届出に関する条例が定められておらず福井市退職者の再就職に関する取扱要綱が定められているにすぎない


 要綱は、訓令の一種であって、職員のみが従わなければならない役所内部の規範(職務命令の性格を有する。)にすぎず、退職者にはその効力が及ばないから、退職者に再就職先情報の届出を義務付けたいのであれば、条例で定めなければならないのだ(地方公務員法第38条の6第2項)。

 記事には、「再就職届け出制度の「穴」」とあるが、そもそも福井市には、条例に基づく法的な拘束力がある再就職届出制度自体が存在しないのだ。


 しかも、地方公務員法第38条の2第1項は、「営利企業等(営利企業及び営利企業以外の法人(国、国際機関、地方公共団体、独立行政法人通則法(平成十一年法律第百三号)第二条第四項に規定する行政執行法人及び特定地方独立行政法人を除く。)をいう。以下同じ。)」と定め、営利企業に限定していないのに、記事にあるように、福井市退職者の再就職に関する取扱要綱では、届出の対象企業は、公共工事の契約に係る一般競争入札又は指名競争入札に参加する資格を 有する営利企業」に限定されている

福井市職員の退職管理に関する規則

○福井市職員の退職管理に関する規則平成28年4月1日規則第83号の4(趣旨)第1条 この規則は、地方公務員法(昭和25年法律第261号。以下「法」という。)第38条の2(第7項及び第8項を除く。)及び第60条第4号から第6号までの規定に基づき、職員の退職管理について必要な事項を定めるものとする。(離職前5年間に在職していた地方公共団体の執行機関の組織等の役職員に類する者)第2条 法第38条の2第1項の離職前5年間に在職していた地方公共団体の執行機関の組織等の役職員に類する者として規則で定めるものは、再就職者(同項に規定する再就職者をいう。以下同じ。)が離職前5年間に就いていた職が廃止された場合における当該再就職者が当該職に就いていた時に担当していた職務を担当している役職員(同項に規定する役職員をいう。以下同じ。)が属する執行機関の組織等(同項に規定する地方公共団体の執行機関の組織等をいう。以下同じ。)(当該再就職者が当該職に就いていた時に在籍していた執行機関の組織等を除く。)に属する役職員とする。(子法人)第3条 法第38条の2第1項の国家公務員法(昭和22年法律第120号)第106条の2第1項に規定する子法人の例を基準として規則で定めるものは、一の営利企業等(法第38条の2第1項に規定する営利企業等をいう。以下同じ。)が株主等(株主若しくは社員又は発起人その他の法人の設立者をいう。)の議決権(株主総会において決議をすることができる事項の全部につき議決権を行使することができない株式についての議決権を除き、会社法(平成17年法律第86号)第879条第3項の規定により議決権を有するものとみなされる株式についての議決権を含む。以下同じ。)の総数の100分の50を超える数の議決権を保有する法人をいい、一の営利企業等及びその子法人又は一の営利企業等の子法人が株主等の議決権の総数の100分の50を超える数の議決権を保有する法人は、当該営利企業等の子法人とみなす。(退職手当通算法人)第4条 法第38条の2第2項の規則で定める法人は、地方独立行政法人のほか、公益的法人等への福井市職員の派遣等に関する条例施行規則(平成14年福井市規則第18号)第3条に定める法人とする。(退職手当通算予定職員)第5条 法第38条の2第3項の特別の事情がない限り引き続いて選考による採用が予定されている者

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 このようなことは、法規担当者や原課である人事課ならば、十分承知しているはずだから、福井市は、端(はな)から退職者に再就職先の届出をさせる気がなかったと言っても過言ではない。 


 それがなぜなのかは不明だが、記事にある次の文章を読むと、なんらかの強い力が働いていたかのかもしれないし、又は口利きが常態化していてOB・OGに忖度(そんたく)したのかもしれない。

 「福井市では、元副市長が福祉部長だった22年、市が公募した介護サービス事業者の情報を、元市職員で社会福祉法人職員の男性の依頼に応じて選定前に漏らしたとして地方公務員法(守秘義務)違反の罪で今年4月、罰金刑を受けた」


 組織ぐるみではないかと疑われても仕方がない。OB・OGから働きかけを受けて窮地に陥る現役職員のためにも、早急に改善してほしいものだ。



 旧日本軍・官憲が、女性を強制連行して、いわゆる「従軍慰安婦」と呼ばれる「性奴隷」にしたという事実はない。学問的に証明されているので、ここでこれを繰り返しはしない。


 ところが、韓国政府の支援を受けたいわゆる「市民団体」が韓国内外に「慰安婦像」なるものを設置し続けている。

 日本のイメージを悪化させ、外交上、韓国の要求を日本に飲ませる手段として、韓国政府が利用している。ゆすり、たかりだ。

 他方で、この「市民団体」は、北朝鮮と通じており、日韓関係に楔(くさび)を打ち込み、日韓関係を悪化させる手段として利用している。


 さて、下記の記事によると、「英国で最も権威のある首都ロンドンの国立軍事博物館「帝国戦争博物館」で行われている「紛争下の性暴力」に関する特別展で、いわゆる慰安婦問題に関して「若い女性が日本軍に強制的に性奴隷にさせられた」と断定するなど事実に反する内容の展示が含まれていることが分かった。日本政府は関係者に対して、「強い懸念」を表明し、「適切な対応」をとるよう求めた。」

 上記の記事にもあるように、「これまで日本政府が発見した資料からは、軍や官憲が女性らを慰安婦にするため強制連行した記述は見つかっていない。 「性奴隷」という表現については、日本政府は「事実に反するので使用すべきでない」と国連などの場で繰り返し強調している。その点は「慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決」を打ち出した2015年12月の日韓合意でも韓国政府と確認したとの立場だ。」


 にもかかわらず、かかる愚行が繰り返されるのは、日本政府に原因がある

 すなわち、平成5年8月4日「慰安婦関係調査結果発表に関する 河野内閣官房長官談話」が撤回されずに今でも国際的に通用しているからだ。

 すべての元凶は、宮澤喜一総理及び河野洋平官房長官並びにこの談話を容認し続けてきた歴代内閣にあるのだ。

 いくら学問的に従軍慰安婦問題が事実無根であると証明されようとも、また、日本政府が「強い懸念」を表明しようとも、虚偽報道をした朝日新聞が記事を訂正し謝罪しようとも、河野談話がある限り、各国政府が耳を傾けないのは当然だ。

 可及的速やかに河野談話を取消し、旧日本軍・官憲が、女性を強制連行して、いわゆる「従軍慰安婦」として「性奴隷」にしたという事実は一切ないということを国内外に向けて公式に表明すべきだ。

 これ以外に、抜本的に解決する方法はない。




 6月24日、内閣官房は、「令和6年度国家公務員の働き方改革職員アンケート結果」を公表した。

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 興味深い内容だ。例えば、「継続して勤めたい」者は全体の5割近くを占めている(48.2%)が、「勤務を継続したいが、継続に不安がある」者は29.3%、 「数 年以内に辞めたい」者は9.5%だった。


 役所が行うアンケート調査でいつも思うのだが、肝心なところが不明で、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感がある。


 例えば、「Ⅳ 勤務継続意向 ~勤務継続に不安がある要因(男女別)~」で、非管理職職員の30.8%に当たる「勤務を継続したいが、継続に不安がある職員」について、その要因を聞いたところ、「能力・スキルを蓄積できて いる実感がない」が39%で最も高いのだが、具体的に「能力・スキル」とは何を指すのかが不明なのだ。


 これでは対策をしようがない。何のためにアンケートを取っているのか。毎年度アンケート調査を実施しているので、回答の傾向が分かっているはずだから、もっと掘り下げる質問をしたらどうなのか。アホなのか?



 自治体職員研修は、個人的意見を述べる場ではないから、判例・通説・行政実例に従って、分かりやすく講義をすることに専念し、一切政治的なことは言わないように心がけている。

 しかし、このブログは、職員研修ではないから、思想・良心の自由・学問の自由・表現の自由に基づいて、個人的な意見を述べている。

 なお、私は、如何なる政党・政治団体・宗教団体とも一切無関係だ。


 このブログで共産主義や社会主義の危険性について述べると、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられるが、下記の動画を見たら分かる。

 ほらね♪ 決して諦めていないのだ。ソ連はまがいものだそうだ。かつて絶賛していたことを記憶から消し去っているようだ。

 自分たちこそがマルクスの忠実なる僕(しもべ)であって、必ずや社会主義を実現し、究極的には人類史の最終段階である共産主義に至り、国家を消滅させるのだと御託宣を述べている。


 ミーゼスやハイエクを読めば分かるのだが、社会主義や共産主義は、理論的に間違っており、いずれも自由を抑圧する全体主義・集産主義になるのだ。

 これを承知の上であれば、社会主義・共産主義を目指すということは、自分がこの国ないし世界の支配者になって人々を支配したいということを意味する。狂信的なカルト宗教だ。


 棺桶に片足(両足だな。苦笑)を突っ込んでいるので、日本の将来を担う子供達のために、何度でも警鐘を鳴らそう。


 共産主義において、「労働者は祖国をもたない。」(大内兵衛・向坂逸郎訳『共産党宣言』岩波文庫65頁、金塚貞文訳『共産主義者宣言』太田出版56頁)ので、愛国心なんてさらさらなく、むしろ国家は消滅すべきもの、破壊すべきものだから、平気で国を裏切るし、国益を害することも厭(いと)わないし、国を売ることに躊躇(ためら)いはない。

 共産主義の実現と国家の破壊という目的のためには手段を選ばないのだ。


 「共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命のまえにおののくがいい。プロレタリアは、革命においてくさりのほか失うべきものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。  万国のプロレタリア団結せよ!」(前掲・岩波文庫87頁。太字:久保)  

 「共産主義者は、かれらの目的が、これまでのいっさいの社会秩序を暴力的に転覆することによってしか達成され得ないことを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命の前に慄(おのの)くがいい。プロレタリアには、革命において鉄鎖のほかに失うものは何もない。かれらには獲得すべき全世界がある。  全世界のプロレタリア、団結せよ!」(前掲・太田出版97頁。太字:久保)


 このように法秩序、道徳、慣習、伝統、文化、宗教、礼儀作法・マナーなど一切の社会秩序を暴力的に転覆することを公然と宣言している以上、破壊対象たる法も道徳も守らないし、このことにいささかも痛痒(つうよう)を感じない。  


 「家族の廃止」(前掲・岩波文庫63頁、前掲・太田出版52頁)や「婦人の共有」(前掲・岩波文庫65頁)・「女性の共有制」(前掲・太田出版55頁)を公然と宣言し、夫婦別氏・同性婚を推進して、家族制度・夫婦制度という社会秩序を破壊しようとする。  

 

 LGBTQ+を推進し、学校教育で過激な性教育を行なって、健全な性倫理や善良なる風俗を破壊する。  


 皇室を「天皇制」と呼んで、ことあるごとに批判し、ギロチンにかけられたルイ16世や銃殺されたロマノフ家のように、皇族すべてを死刑にすることを熱望し、それが現時点で叶わぬのであれば、女系天皇を容認させて万世一系の皇統を断絶しようとする。  


 慣習や伝統文化を尊重しようとはせず、むしろ多文化共生という名の「多文化強制」により、慣習や伝統文化を破壊しようとする。  


 移民を入れて社会秩序を破壊し、日本を多民族国家化して混乱の坩堝(るつぼ)に陥れようとする。


 目的のためには手段を選ばないので、ロシア革命のように人殺しも厭(いと)わないし、日本赤軍のようにテロも平気で行う。  


 マルキスト以外はすべて敵であり、敵の命を奪うことに躊躇(ちゅうちょ)しないから、日ソ不可侵条約を一方的に破棄したり、戦時国際法を無視して日本兵をシベリアに抑留したり、北方領土を侵略したりするなど、国際法を守る気などさらさらない。  


 道徳・倫理は破壊すべき社会秩序であって、そもそも道徳心・倫理観が欠如しているので、息を吐くように平気で嘘をつき、己の矛盾した言動、例えば、他者に対する批判が自分に返ってくるブーメラン発言をしたり、ダブルスタンダードの二枚舌発言をしたりしても、恥を恥とは思わない。


 共産党も、社民党も、立憲民主党も、れいわ新選組も、日本維新の会も、参政党も、保守党も、自民党左派も、私に言わせれば、同じ穴の狢(むじな)。優先順位や方法論などに違いがあるため、派閥が異なるだけの似た者同士。保守主義を名乗っている党やこれに類似する党もあるが、似非(えせ)保守主義で、その本質は国家社会主義。

 有権者がこれに気づいてくれたらいいのだが。


 少数意見を国政に反映させるという名目で、零細左翼政党を存続させるための比例代表制なんて、さっさと廃止して、人物本位で選べるようにしてほしいものだ。




 下記の記事によると、「公務員の立場を利用して親族の個人番号(マイナンバー)を不正に入手したとして、埼玉県警は10日、同県所沢市職員の男(31)(東京都八王子市)をマイナンバー法違反(職権乱用収集)容疑で逮捕した。マイナンバーを使って扶養に入っていない親族を確認し、自身や妻の扶養家族として市に申請していたという。延べ40人以上を申請していたといい、県警は所得税の控除などを受ける目的だったとみている。同法の職権乱用収集を適用した事件の摘発は全国で初めて。」

 う〜ん、一見すると、手口が巧妙だが、直ぐにバレる愚かな犯行だ。

 扶養家族が40人以上もいるなんて、異常だから、税務署、住所のある八王子市、扶養手当を支給する勤め先の所沢市も気付くだろうし、また、勝手に扶養家族にされた親族がマイナポータルを見たら不審に思うだろうからだ。


 拘禁刑ということになれば、欠格条項に該当し、失職するし、退職手当も支給されないことになる。


 お金に困った上での犯行なので、おそらく借金まみれだったのだろう。破産は、欠格条項に該当しないので、破産しても市役所職員を続けることができるし、退職手当も貰えるから、自己破産して、一からやり直した方が良かったのに、軽率に犯罪に手を染めて一生を棒に振ってしまった。。。

 上司や先輩に相談しにくかったら、無料の法律相談があるから、弁護士さんに全てを正直に打ち明けて相談したら、きっと自己破産を勧めたはずだ。


cf.行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律(平成二十五年法律第二十七号)

第五十二条 国の機関、地方公共団体の機関若しくは機構の職員又は独立行政法人等若しくは地方独立行政法人の役員若しくは職員(領事官であってこれらの者以外の者を含む。)が、その職権を濫用して、専らその職務の用以外の用に供する目的で個人の秘密に属する特定個人情報が記録された文書、図画又は電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録をいう。)を収集したときは、二年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金に処する。