「目的のために手段を選ばず」(目的を達成するためにはどんな手段をとろうとも問題ではない。)という諺は、マキャヴェリの『君主論』に由来すると言われている(『ことわざを知る辞典』小学館)。
しかし、下記のように、マキャヴェリは、民衆心理に基づいて、状況如何によっては結果さえ良ければ、動機が不純であったり、悪い意図であったとしても、「目的のために手段を選ばず」が許される場合があるという主旨を述べているだけで、決して「目的のために手段を選ばず」で何をしてもよいと言っているわけではないから、マキャヴェリは、マキャベリストに濡れ衣を着せられているように思わなくもない。
二つの訳本を引用しておく。訳者によってずいぶん違うものだ。
「総じて人間は、手にとって触れるよりも、目で見たことだけで判断してしまう。なぜなら、見るのはだれにでもできるが、じかに触れるのは、少数の人にしか許されないからだ。そこで、人はみな外見だけであなたを知り、ごくわずかな人しか実際にあなたと接触できない。しかも、この少数の者は、国の尊厳に守られている大多数の人々の意見に、あえて意を唱えようとはしない。そのうえ、すべての人々の行動について、まして君主の行動について、召喚できる裁判所はないわけで、人はただ結果だけで見てしまうことになる。
だから、君主は戦いに勝ち、そしてひたすら国を維持してほしい。そうすれば、彼のとった手段は、つねにりっぱと評価され、だれからもほめそやされる。大衆はつねに、外見だけを見て、また出来事の結果によって、判断してしまうものだ。」と述べている(池田廉訳『君主論』中公文庫105p・106p)
「人は多くの場合手に触れて判断するよりも眼で見て判断する、見るのは誰でもできるが、触れるのはほんのわずかな人に限られている。そこで多くの人が君主について知っているのは外見だけのことで、真相を知っている者はほんのわずかである。この少数の者が、自分たちを支えているところの国家の権力を握る多数者の意見に反対することはできるものではない。すべての人の行為について、ことに君主のそれについては、訴えるべき法廷がないのであるから結果から判断する。だとすると君主はひたすら国を獲得し保持することに成功しなければならぬ、それに至る手段方法はそれによってつねに是認され、万人から賞賛されるであろう。これ俗衆は表面的なことと結果とによって判断するからである。」(黒田正利訳『君主論』岩波文庫115p)
このような政治の世界はともかくとして、法的な世界では、原則として「目的のために手段を選ばず」は許されず、正当防衛や緊急避難などの違法性阻却事由に該当する場合に限って、例外的に許されることになる。
この点、下記の記事を読む限りでは、高田氏はお気の毒ではあるけれども、コンバインに人が挟まれているというような緊急事態ではないので、レッカー車を手配するか、又はトラックの荷台にショベルカーを載せて現場へ行けば足りるから、無免許でショベルカーを約1.5kmもキャタピラ走行させた行為は、違法性阻却事由に該当しないので、裁判所の判断が妥当だ。
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