先日、大学時代にともに法律学を学んだ連中と10年ぶりに再会した。定年がない弁護士や議員もいるが、ほとんどは役人だ。
一人ずつ現状報告後(子供たちの多くが医学部や薬学部の大学院へ進学している点が興味深かった。また、音信不通だった友人が今年急逝したことを知り、乾杯前に皆で黙祷した。)、還暦過ぎた爺さんたちが学生時代に戻って政治談義で盛り上がった。
友人の一人が「高校の同窓会では昔話に花が咲いたのに、ここでは誰も昔話をせずに天下国家を論じている。」とぼそっと呟いていた。それだけ気持ちが若いということだろう。笑
役所を定年退職し、故郷である石川県に住んでいる友人に能登半島地震について訊ねたら、世間では「震災復興」を求める声が大きいが、「震災復興」はもちろんのこと、「震災復旧」すらも無理らしい。過疎化が進んでいて、ほんの数世帯しか住んでいない所に元通りに道路などのインフラを復旧する財政的余裕がないからだそうだ。財務省をはじめ役人たちは、この厳しい現実を直視しているのだが、知事や市長は、次の選挙のことも考慮して、住民に「震災復旧」すらも困難であることを言い出せないらしい。厳しい現実を告げることもリーダーたる政治家の務めだと思うのだが。
二次会へ移動し、今後は、毎年定期的に集まることを約束して、お開きとなった。
さて、昔のリーダーは、君主。家の近所の書店が潰れたので、同窓会の集合時間よりも早めに行って、大型書店に立ち寄り、書評を読んで気になっていた本を買った。新書なので、すぐに読了した。
時系列に沿って5千年の君主制のあり方を概観するとともに、同時代の西洋と東洋の君主制を対比し、中学生にも理解できるように解説している。
これまで君主制に関してコンパクトにまとまった本がなく、その意味で良書だとは思う。
ただ、著者には申し訳ないけれども、知っていることばかりで、目新しい知見はなかった。内容をほんの数行で要約できるが、ネタバレになるので、やめておく。
良書なのだが、「市民革命」というマルクス主義用語を使っていたり、いわゆる開かれた皇室論に肯定的な印象を与える点には疑問符が付くし、とくに官僚制について、家産官僚制と依法官僚制を区別せずに論じている点が気に入らなかった。マックス・ヴェーバーを読んでいないのか、読んでいても反対の立場なのかは分からないが、領土の大小だけでは説明不足だろうと思った。
家産官僚制と依法官僚制については、以前、このブログで少し触れた。
0コメント