母方の祖父が薩摩藩士だからというわけではないが、島津家の得意戦法「釣り野伏せ」が面白い。
中央の部隊が囮になって敵を正面から引き付け、敗走を装いながら後退する。これが「釣り」だ。
油断した敵が勢いに乗って追撃してくるところを、予め左右に隠しておいた伏兵が一斉に襲い掛かる。これが「野伏せ」だ。
これに呼応して、中央の囮部隊が反転して、三方面から敵を包囲して攻撃する。四方から攻撃すると、退路を断たれた敵が死に物狂いで反撃して味方の被害が大きくなるから、退路を開けておくわけだ。孫子の「三面包囲」の計だ。
このように「釣り野伏せ」は、地形を活かして、少ない兵力で大勢の敵を殲滅(せんめつ)することができる戦術だ。
例えば、元亀3年(1572年)、木崎原の戦いでは、島津義弘公は、わずか300の兵で3,000の伊東義祐の軍を打ち破っている。
この「釣り野伏せ」で最も重要かつ最も困難なのは、中央の囮部隊だ。敵に敗走だと思わせて伏兵がいる所まで引きつけなければならず、かつ、反転して攻撃できるよう部隊を統率しなければならないからだ。将が冷静沈着かつ優秀で、兵の練度が高く、将兵相互の信頼関係なくしてはできない。
島津家は、この戦術で何度も存亡の危機を乗り越え、敵将の首を取っている。
なぜこんな話をしたかというと、下記の動画が「釣り野伏せ」を思い出させたからだ。
年寄りというものは、ひょんなことがきっかけで記憶が蘇る。
一匹の子猫が道路にいるのを見つけた男性が、これを保護しようと、車を止めて、この子猫を拾い上げたら、草むらから一斉に12匹の子猫が飛び出して、男性に助けを求めた。男性の慌てっぷりを見れば、これが戦さで、左右から挟撃されたら、パニックになることがよく分かる。
見事にしてやられた男性は、13匹の子猫を飼うことにしたそうだ。男性の敗けにゃん。
0コメント