傍点が付いた法律


 私は、犬好きだ。以前は、シェットランド・シープドッグ(愛称:シェルティ)を飼っていた。狂犬病の予防接種を受けさせるのは、私の役目だった。

 毎年、狂犬病の予防接種を受けさせるために、会場である公園へ連れて行く際に、「自転車に乗る?」と訊くと、大喜びして座布団を敷いた自転車の前かごに入って、風を切って進む自転車からルンルン気分で身を乗り出して周囲の匂いを嗅いだり聞き耳を立てているのだが、公園に近づくにつれてそわそわし出す。消毒薬の臭いや注射をされて鳴く犬の声が分かるからだろう。

 公園に到着して、犬を自転車から下ろすと、直ぐに帰ろうとするので、抱っこして注射してもらうのだが、いつもおしっこをちびって私の服を汚す。

 帰宅すると、さあ大変。文句をたらたら言い続け、家族に告げ口する(本人は、人間の言葉を喋っているつもり。笑)。2、3日は機嫌が悪かった。

 自転車に乗せるのは、年に一度の予防接種の日だけなのだから、「自転車に乗る?」と訊かれた時点で大喜びせずに気付けよと思うのだが、そこが犬の単純さというべきか、素直さというべきか、可愛らしいところだ。「パブロフの犬」の実験結果からすれば、「自転車=注射」と条件反射するはずなのだが。


 さて、犬の所有者は、犬の所在地を管轄する市区町村長に犬の登録を申請しなければならない義務があるし(狂犬病予防法第4条第1項)、また、狂犬病の予防注射を毎年一回受けさせなければならない義務がある(狂犬病予防法第5条第1項)。

 いずれについても、義務違反者は、20万円以下の罰金に処せられる(狂犬病予防法第27条第1号・第2号)。


cf.1狂犬病予防法(昭和二十五年法律第二百四十七号)

(登録)

第四条 犬の所有者は、犬を取得した日(生後九十日以内の犬を取得した場合にあつては、生後九十日を経過した日)から三十日以内に、厚生労働省令の定めるところにより、その犬の所在地を管轄する市町村長(特別区にあつては、区長。以下同じ。)に犬の登録を申請しなければならない。ただし、この条の規定により登録を受けた犬については、この限りでない。

2 市町村長は、前項の登録の申請があつたときは、原簿に登録し、その犬の所有者に犬の鑑札を交付しなければならない。

3 犬の所有者は、前項の鑑札をその犬に着けておかなければならない。

4 第一項及び第二項の規定により登録を受けた犬の所有者は、犬が死亡したとき又は犬の所在地その他厚生労働省令で定める事項を変更したときは、三十日以内に、厚生労働省令の定めるところにより、その犬の所在地(犬の所在地を変更したときにあつては、その犬の新所在地)を管轄する市町村長に届け出なければならない。

5 第一項及び第二項の規定により登録を受けた犬について所有者の変更があつたときは、新所有者は、三十日以内に、厚生労働省令の定めるところにより、その犬の所在地を管轄する市町村長に届け出なければならない。

6 前各項に定めるもののほか、犬の登録及び鑑札の交付に関して必要な事項は、政令で定める。

(予防注射)

第五条 犬の所有者(所有者以外の者が管理する場合には、その者。以下同じ。)は、その犬について、厚生労働省令の定めるところにより、狂犬病の予防注射を毎年一回受けさせなければならない

2 市町村長は、政令の定めるところにより、前項の予防注射を受けた犬の所有者に注射済票を交付しなければならない。

3 犬の所有者は、前項の注射済票をその犬に着けておかなければならない。

第二十七条 次の各号の一に該当する者は、二十万円以下の罰金に処する。

一 第四条の規定に違反して犬(第二条第二項の規定により準用した場合における動物を含む。以下この条において同じ。)の登録の申請をせず、鑑札を犬に着けず、又は届出をしなかつた者

二 第五条の規定に違反して犬に予防注射を受けさせず、又は注射済票を着けなかつた者

(以下省略:久保)


 平成31年3月の警察庁生活安全局生活経済対策管理官「平成30年における生活経済事犯の検挙状況等について」28頁によると、平成30年に狂犬病予防法違反で検挙されたのは、197事件だった。

http://www.npa.go.jp/publications/statistics/safetylife/seikeikan/H30_seikatukeizaijihann.pdf

 厚生労働省の「都道府県別の犬の登録頭数と予防注射頭数等(平成25年度~平成30年度)」によると、平成30年度(年度末現在)における全国の登録頭数は6,226,615で、注射率の全国平均は71.3%だった。

 注射率No.1は、山形県の90.8%で、最下位は、沖縄県の50.9%だ。ちなみに、大阪府は、全国平均を下回る61.2%だった。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/01.html


 実は、厚生労働省のHPを見ていて驚いたことがある。狂犬病予防法第1条の「まん延」に傍点が付けられているのだ!傍点が付けられた法律なんて、珍しい。しかも、その傍点がなんと「アポストロフィー」だったのだ!!

https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=79028000&dataType=0&pageNo=1


 そこで、総務省が所管するe-Gov法令検索で「狂犬病予防法」を検索したら、アポストロフィーではなく、「」だった。

https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=325AC1000000247#122


 厚生労働省と総務省のどちらが正しいのか。こういう場合は、原文である官報を見るしかない。

総務省が正しかった。厚生労働省よ、しっかり仕事しろ!

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2963634


 それにしても、どうして「まん延」の「まん」に傍点が付けられているのだろうか。


 傍点は、濁音が表記される以前は、濁音を表すために付けられたそうだ。確かに、古書で見たことがある。

 しかし、昭和21年(1946年)3月、文部省が発行した『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕』によると、傍点のことを「ワキテン」と呼ぶそうだ。

https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/series/56/pdf/kokugo_series_056_05.pdf

 そして、ワキテンは、①原則として、特に読者の注意を求める語句にうつ、②観念語をかなで書いた場合にうつ、③俗語や方言などを特に用ひる場合にうつ、そうだ。

 まん延の「まん」は、漢字で「蔓」と書くが、「蔓」は、昭和21年11月5日に定められた「当用漢字表」には掲載されていない(現在の「常用漢字表」にも掲載されていない。)。

 漢字で「蔓延」と書けば、一目瞭然だが、「蔓」という字を使えないので、「まん延」と表記した上で、読み手に注意喚起を促すために、ワキテンを付けたのだろう。


 また、「観念語」というのはイマイチ分かりにくいが、「日本語は,物の名やその動き,変化,状態,性質などを表す実質語(観念語)に,文法関係や話し手の事態のとらえ方を表す機能語(関係語)の類が後に次々と付いて事がら全体を描き上げるような構成になっている。」(『世界大百科事典 第2版』平凡社)とある。

 「まん延」とは、「[名](スル)つる草がのび広がること。病気や悪習などがいっぱいに広がること。」を意味するから(『デジタル大辞泉』小学館)、まさに「観念語」だ。この意味からも、ワキテンを付けたのだろう。


 ところが、現在では「蔓延」よりも「まん延」の方に慣れ親しんだ国民が多くなったからだろうか、最近の法令には「まん延」にワキテンが付されていない。


cf.2新型コロナウイルス感染症等の影響に対応するための国税関係法律の臨時特例に関する法律 (令和二年法律第二十五号)

(趣旨)

第一条 この法律は、新型コロナウイルス感染症及びそのまん延防止のための措置が納税者に及ぼす影響の緩和を図るため、国税通則法(昭和三十七年法律第六十六号)その他の国税関係法律の特例を定めるものとする。


 最後に、老婆心ながら、犬についても、死亡届があることをご存知だろうか。

 登録を受けた犬の所有者は、犬が死亡したときには、三十日以内に、その犬の所在地(犬の所在地を変更したときにあつては、その犬の新所在地)を管轄する市区町村長に届け出なければならない(狂犬病予防法第4条第4項)。違反者は、二十万円以下の罰金に処せられる(同法第27条第1号)。

 犬の登録は知られていても、犬の死亡届は知られていない。犬を飼っている人は、ご注意ください。

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