本当は怖い「勤労の義務」


 「働かざる者は食うべからず」という言葉を一度は見聞きしたことがあるだろう。

 文語調なので、支那(しな。china。中国の地理的呼称。)の古典に由来すると誤解されているかも知れないが、実は、新約聖書の言葉に由来する。


 また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。(『口語 新約聖書』(日本聖書協会)テサロニケ人への第二の手紙第3章第10節)


 ここにいう「働こうとしない者」は、働きたくても働けない人ではなく、働けるのに働こうとしない人を指し、怠惰(たいだ)を戒める言葉にすぎない。


 この宗教倫理上の言葉を悪魔の政治用語に変容させ、世間に流布させ、善良なる人々を恐怖のどん底へ突き落としたのはレーニンだ。「『働かざる者は食うべからず』──これが社会主義の実践的戒律である」と述べている(1917年12月の「競争をどう組織するか?」)。


 そして、この言葉は、市民の労働の義務としてソ連の憲法に明記された。「働かざる者は食うべからず」=食いたければ働かなければならない=労働の義務だということをよくご理解いただきたい


 1918年制定のロシア社会主義連邦ソヴェト共和国憲法(いわゆるレーニン憲法)の第18条は、「ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国は、労働を共和国のすべての市民の義務であるとみとめ、『はたらかないものは、くうことができない』というスローガンをかかげる。」と定められている(高木・末延・宮沢編『人権宣言集』岩波文庫283頁)。


 1936年制定のソビエト社会主義共和国同盟憲法(いわゆるスターリン憲法)第12条も、「ソ同盟においては、労働は、『働かざる者は食うべからず』の原則によって、労働能力のあるすべての市民の義務であり、また名誉である。

 ソ同盟においては、『各人からはその能力に応じて──各人にはその労働に応じて』という社会主義の原則が行われる。」と定められている(高木・末延・宮沢編『人権宣言集』岩波文庫292頁)。


 ふ〜ん、だからなんなの?と思われるかも知れないが、全体主義者の言葉を決して額面通りに受け取ってはならない。ジョージ・オーウェルが小説『1984年』(ハヤカワ文庫)で命名したニュースピーク(Newspeak、新語法)で書かれているからだ。

 レーニンの「働かざる者は食うべからず」は、自分では働かずに不労所得で生活している王侯貴族や資本家は殺してしまえ!という意味であり、スターリンの「働かざる者は食うべからず」は、働かない者は餓死させろ!という意味なのだ。


 レーニンは、「働かざる者は食うべからず」を有言実行し、ロシア革命にて王侯貴族や資本家を虐殺した。

 スターリンも、この恐るべき悪魔の政治用語「働かざる者は食うべからず」を実践した。例えば、ウクライナのホロドモール(Holodomor。ホロドは飢饉、モールは苦死。)だ。

 当時のウクライナは、「ヨーロッパのパンかご」と呼ばれるほどの穀倉地帯だったのだが、ソ連は、自営農家(クラーク)の土地を没収し、農民は、強制移住させられて、集団農場(コルホーズ)や国営農場(ソフホーズ)で過酷な強制労働をさせられ、収穫した穀物は、政府に徴収されて外貨獲得のために国外へ輸出された結果、ウクライナは飢饉に陥った。

 ソ連は、憲法にあるように「働かざる者は食うべからず」=「働かざる者は餓死させろ!」を実践して、ウクライナ人口の20%(国民の5人に1人。約400万人から約1450万人。)を餓死させたと言われている。

 ソ連は、五カ年計画に基づいて輝かしい発展を遂げていると喧伝する一方で、長年、この事実を隠蔽していたが、2006年、ウクライナ議会は、ホロドモールを「ウクライナ人に対するジェノサイド」だと認定した。


 このような背筋が凍るソ連の悪行の数々については、例えば、ステファヌ・クルトワ/ ニコラ・ヴェルト『共産主義黒書―犯罪・テロル・抑圧 ソ連篇』(恵雅堂出版。現在は、ちくま学芸文庫で読める。)やギネス・ヒューズ/サイモン・ウェルフェア『赤い帝国:発表を禁じられていたソ連史』(時事通信社)などを参照してもらいたい。


 さて、「働かざる者は食うべからず」=労働の義務という言葉の真の意味が理解できたと思うが、実は、この言葉が日本国憲法に採り入れられていると言ったら、きっと驚かれることだろう。


日本国憲法第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ

② 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。

③ 児童は、これを酷使してはならない。


 GHQのいわゆるマッカーサー草案には、「勤労の義務」がなかった。また、帝国議会に提出された帝国憲法改正案第25条にも「勤労の義務」はなかった。参考までに条項を載せておく。


帝国憲法改正案第二十五条 すべて国民は、勤労の権利を有する。

 賃金、就業時間その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。

 児童は、これを酷使してはならない。


 ところが、これに噛み付いたのが社会党だ。

例えば、「第90回帝国議会 衆議院 帝国憲法改正案委員会 第3号 昭和21年7月2日」の衆議院議員黒田壽男(寿男:ひさお)氏は、次のように述べている。

 「勞働關係に付きまして午前中に多少御尋ね致しましたが、尚ほ申し殘して居りました點に付て、今少しく質問を致して見たいと思ひます、第二十五條で、國民は勤勞の權利を有すと規定されて居りますが、我々總て健康な國民は勤勞の義務を有する働かない者は食ふべからずと云ふ原則を打立つべきであると考へます殊に敗戰後の我が國に於きましては、一人と雖も無爲徒食する者があつてはならないのでありまして、單に權利を有すると云ふばかりでなく、義務を有すると云ふことを私ははつきりと規定すべきであると考へます、政府原案に於きましては、唯勤勞の權利を有すと云ふだけになつて居りますが、積極的に義務を有することまでも規定する、政府に其のやうな御意思はございませぬでせうか」

https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/#/detail?minId=009012529X00319460702&spkNum=34&single

 熱烈なマルクス主義者である黒田壽男氏は、レーニンやスターリンの忠実なるしもべとして、勤労の義務=「働かざる者は食うべからず」を憲法に明記せよと主張するとともに、戦後の食糧難において、「働かざる者は食うべからず」=働かざる者は餓死させろ!と言っているわけだ。


 もちろん勤労の義務=「働かざる者は食うべからず」が、レーニンの言葉であり、ソ連の憲法に明記されている言葉であることを当時の国会議員であれば、誰でも知っていたはずだが、残念なことに、当時の吉田茂第一次内閣は、社会党との連立政権だったので、このような社会党の意見が通り、日本国憲法第27条第1項に「勤労の義務」が明記されたというわけだ。


 この点、宮澤俊義著・芦部信喜補訂『全訂 日本国憲法』(日本評論社)278頁は、「勤労の「義務を負ふ」とは、国民は、自分の勤労によって生活すべきだ──「はたらかざる者は食うべからず」の意である。」と明言している。「語るに落ちる」とはこのことだ。


 新約聖書→レーニン→レーニン憲法第18条→スターリン憲法第12条→日本国憲法第27条第1項という系譜が分かると頭の中がスッキリしたと思う。


 憲法の教科書の「勤労の義務」でレーニンやスターリンについて一言たりとも触れずにこれを隠蔽している憲法学者は、学者の名を騙る工作員若しくはその手先又はシンパだ。






 




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