1 「分限」の定義が一定せず
日常生活で「分限」(ぶんげん)という言葉を用いることはないが、自治体職員さんにとっては、地方自治法や地方公務員法でお馴染みだと思われる。
明治時代から法令で「分限」という言葉が用いられ、現行の法律でも、労働基準法など17本がこれを用いていることから、法律の世界ではポピュラーな言葉だと言える。
ところが、法令用語としての「分限」の定義は、必ずしも一定していないのだ。通常、法令用語の定義は、多少の表現の違いはあれど、どれも似通ったものだし、また、そうでなければならないのだが、試しに手元にある辞典やコンメンタールを引いてみたら、一つとして同じ定義がなく、似て非なる定義がなされている。これは、珍しいのではなかろうか。
①明治40年出版の渡部万蔵著『法律大辞典』(郁文舎)によれば、「法律上における人の地位、資格を稱して分限と謂ふ。例へば臣民たる分限、子たる分限、軍人たる分限といふが如し。(陸軍将校分限令二條)」とある。
②昭和6年出版の新井正三郎 [編]『法律語新辞典』(新井正三郎自治館)によれば、「各人が法律命令の規定によりて享有する特別の地位なり。」とある。
③昭和42年出版の代表編集我妻栄『新版新法律学辞典』「公務員の身分に関する基本的な規律」とある。
④昭和53年出版の末川博編『全訂法学辞典(改訂増補版)』(日本評論社)によれば、「公務員としての身分およびその変更・消滅に関すること」とある。
⑤平成21年出版の橋本勇『新版逐条地方公務員法<第2次改訂版>』(学陽書房)によれば、「単に「分限」というときは身分保障そのものを意味する。」とある。
⑥平成24年出版の内閣法制局法令用語研究会編『法律用語辞典第4版』(有斐閣)によれば、「一般には身分のことであるが、旧憲法下では、官吏の身分上の変化(免官、休職、転職等)の総称として用いられた。」
⑦平成28年出版の晴山一穂・西谷敏編『別冊法学セミナー新基本法コンメンタール地方公務員法』(日本評論社)によれば、『「分限とは一般に、職員の身分上の変動をいい、「公務の能率の維持およびその適正な運営の確保」を目的とする(前掲・最判昭48・9・14)。本条のいう分限は、「意に反して」行われる分限処分を意味する。」とある。
2 漢語としての「分限」の意義
ところで、そもそも漢語としての「分限」とは、どのような意味なのだろうか。
「分」という漢字は、刀で二分するというのが原義であり、そこから①分けるという意味が生まれ(ex.分離、分割)、②能力・力によって身分を分けることから、身のほど・役割という意味が生まれ(ex.分際)、同様に、③物事の要素・成分(ex.分子)、④明らかにする・わきまえる(ex.分別、分明)、⑤頃合い・程度(ex.夜分、大分、余分)、⑥時間・角度・重さの単位(ex.分銅、分量)という意味が派生した。
「分限」の「分」は、②の意味だ。
「限」という漢字は、行き止まりのおか、かぎりというのが原義であり、そこから①かぎる、くぎるという意味が生まれ(ex.限定)、②かぎり、きり、はて(ex.限界、限度、門限)という意味が派生した。
「分限」の「限」は、②の意味だ。
以上より、「分限」という漢語は、身のほど、分際を意味する。
3 日本語としての「分限」の意義
日本語としての「分限」は、漢語としての「分限」からさらに派生して、多義的になっている。
すなわち、『精選版 日本国語大辞典』(小学館)によれば、
① ある物事を行なうのに可能な限度。また、その能力や力。
② 身分の程度。身のほど。分際。ぶげん。
③ 物事の程度や分量。
④ 財産、資産のほど。財力。ぶげん。
⑤ 財力のあること。金のあること。また、そのような人。金持。財産家。分限者。ぶげん。
⑥ 経済などの状態、様子。有様。
⑦ 公務員の身分に関する基本的な規律。身分の保障・免官・休職・転職など。
[語誌]②④⑤の意では室町時代後半から、「ぶげん」という語形も見られるが、江戸時代においては、「ぶんげん」が「身分や物事の程度」の意とそれの転じた「金持」の意を共に表わし、「ぶげん」は、「金持」だけを表わすという共存のしかたを見せた。(下線:久保)
我々にとって重要なのは、江戸時代においては、「分限」が「身分や物事の程度」という意味と「金持」という意味で理解されていたということだ。幕末・明治の人たちも、この意味で理解していたからだ。
4 法令用語としての「分限」
おそらく明治時代に最初に「分限」を用いた法令は、陸海軍将校分限令(明治21年12月25日勅令第91号)第1条、第2条だと思う。
同令第2条が第1条「将校の官は終身其(その)官を保有し其制服を着し其官に対する礼遇を享(う)く之(これ)を将校の分限とす」(常用漢字・平仮名に改め、ルビを付けた:久保。)を受けて「其分限ヲ失フコトナシ」と定めていることから、「分限」を「身分」という意味で用いていると考えられる。
面白いのは、これ以降、法令用語としての「分限」から「金持」という意味が抜け落ちていることだ。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2944889/4
ところが、理事分限令(明治28年9月21日勅令第125号)、文官分限令(明治32年3月28日勅令第62号)及び公立学校職員分限令 (大正4年1月27日勅令第3号)においては、本則各条には「分限」が用いられずに、本則に定められた免官及び休職を総称して題名のみに「分限」を用いていることから、「分限」を「懲戒」等をも含めて「身分上の変化」・「身分上の変動」・「身分保障の程度」・「身分保障の限界(例外)」全般を指すものとして用いていると考えられる。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2946946/1
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2948009/2
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2952851/1
そして、戦後、労働基準法(昭和二十二年法律第四十九号)第97条第5項は、「労働基準監督官を罷免するには、労働基準監督官分限審議会の同意を必要とする。」として、「罷免」又は「身分保障の限界(例外)」の意味で「分限」を用いていると考えられる。
また、地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第138条第8項及び第172条第4項は、「分限及び懲戒」として、「懲戒とは別の身分保障の限界(例外)」の意味で「分限」を用いている。
ところが、国会職員法(昭和二十二年法律第八十五号)は、「第四章 分限及び保障」として、国会職員の「身分」という意味で「分限」を用いている。
また、裁判官分限法(昭和二十二年法律第百二十七号)第3条第1項は、「各高等裁判所は、その管轄区域内の地方裁判所、家庭裁判所及び簡易裁判所の裁判官に係る第一条第一項の裁判及び前条の懲戒に関する事件(以下分限事件という。)について裁判権を有する。」として、「回復の困難な心身の故障のために職務を執ることができないと裁判された場合及び本人が免官を願い出た場合」(同法第1条第1項)と「懲戒」を合わせて「分限」と呼んでいることから、「身分保障の限界(例外)」の意味で「分限」を用いている。
5 概念の相対性
同じ用語であっても法令によってその意味するところが異なることを概念の相対性という。
例えば、人は、「出生」によって権利能力(権利義務の帰属主体となりうる能力)を取得する(⺠法第3条第 1 項)。胎児は、「出生」に よって法律上の人になるわけだ。
「出生」の時期については、⺠法学では、胎児が母体から全部露出した時であると解されている(全部露出説)。これに対して、刑法学では、堕胎(だたい)罪と殺人罪とを区別するため、一部露出によって外部から傷害が加えられ得る時であると解されている(一
部露出説)。
つまり、⺠法では、全部露出するまでは「胎児」であり、全部露出した時に「人」になるのに対して、 刑法では、一部露出するまでは「胎児」であり、一部露出した時に「人」になるわけだ。同じ「出生」であっても、法律によって意味が異なるわけで、これを概念の相対性と呼んでいるのだ。
法令用語としての「分限」が多義的なのも、概念の相対性による。それ故、上記法令用語辞典のように、「分限」を一言で定義しようとすること自体が間違っているわけだ。
このように法令用語辞典は、大変便利ではあるが、鵜呑みにしてはならない。
昔、大学の先生のご紹介で勉強を教えて下さった弁護士さんも、法令用語辞典を使うときには、気をつけなければならないとおっしゃっていた。法令用語辞典の執筆者として名を連ねる高名な大学教授は、自分で執筆せずに、弟子の院生にアルバイトで書かせることが多いそうで、執筆者の署名がなされていない解説は、特に信用してはならないそうだ。
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