法案理由書

1 5点セットとポンチ絵

 内閣総理大臣から①法律案が国会に提出される際には、資料として、②要綱、③理由、④新旧対照表、⑤参照条文が添付される。これらを霞ヶ関では「5点セット」と呼ぶ。

 官僚が国会議員に根回しする際には、パワーポイントで作成された⑥概要が用いられる。


 ①法律案:法律の案文。法律の改正の場合、元の法律Aの条文の変更する箇所と変更内容を示して、 改正することを指示する形(これを改め文方式と呼ぶ。)で行われている。具体的には、すでにある条文の内容を変更 する場合には、「〜に改める」、新しく内容を追加する場合には、「〜を加える」、削除する場合には、「〜を削る」とい う形で、具体的にどのように改正するのかを指示するのが長年の慣例になっている。


 ②要綱:法律案を要約したもの


 ③理由:法律案の提案理由。より詳しい提案理由は、本会議の会議録や委員会の会議録の「趣旨説明」に載っている。この「趣旨説明」は、霞ヶ関において、「お経読み」と呼ばれている。聞いている国会議員が居眠りをするからだ。


 ④新旧対照表:新旧の条文を並べ、変更・追加・削除された部分を比較した表


 ⑤参照条文:法律案に関係する他の法律の条文一覧


 ⑥概要:「ポンチ絵」と呼ばれる。ポンチ絵とは、1862年、横浜でイギリス人チャールズ・ワーグマンが創刊した漫画雑誌『ジャパン・パンチ』に由来する言葉であって、本来は諷刺画を意味するが、子供騙しの絵であるということから、官僚が国会議員に法律案の概要を説明する際に用いる 概略図のことをポンチ絵と呼ぶようになった。


2 5点セット廃止論

 5点セットの法的根拠はなく、長年の慣例で作成しているにすぎない。5点セットを作成することは、重労働であって、官僚たちにかなりの負担を強いるものである。

 そこで、令和2年5月、若手官僚たちが河野太郎行革担当大臣に対して、5点セットを見直すよう業務改善を要望した。

 本当に必要なのは④なので、①を④で代替させ(改め文方式をやめて新旧対照表方式を導入する。)、②と③は⑥にまとめ、⑤は誰も利用しないので、やめればよいのではないかと提言している。


 しかし、現在に至るまで5点セットは、見直しすらされていない。


3 5点セット廃止論の問題点

 確かに、②と③は⑥にまとめ、⑤はやめればよいというのは、一理あると思う。


 しかし、改め文方式には合理性があるから、新旧対照表方式を導入することは、賛成しかねる。

 以前にもこのブログでご紹介したが、この点、平成14年12月3日衆議院総務委員会会議録によると、内閣法制局総務主幹横畠裕介氏は、次のように述べて、内閣法制 局として改め文方式を堅持することを示している。 

 「いわゆる改め文と言われる逐語的改正方式は、改正点が明確であり、かつ簡素に表現できるというメリットがあること から、それなりの改善、工夫の努力を経て、我が国における法改正の方法として定着しているものと考えております。 

 一方、新旧対照表は、現在、改正内容の理解を助けるための参考資料として作成しているものでございますが、逐語的改 正方式をやめて、これを改正法案の本体とすることにつきましては、まず、一般的に新旧対照表は改め文よりも相当に大部 となるということが避けられず、その全体について正確性を期すための事務にこれまで以上に多大の時間と労力を要すると 考えられるということが一つございます。また、条項の移動など、新旧対照表ではその改正の内容が十分に表現できないと いうこともあると考えられます。このようなことから、実際上困難があるものと考えております。 

 ちなみに一例を申し上げますと、平成十一年でございますが、中央省庁等改革関係法施行法という法律がございました。 改め文による法案本体は全体で九百四十ページという大部のものでございましたけれども、その新旧対照表は、縮小印刷を させていただきまして、四千七百六十五ページに達しております。これを改め文と同じ一ページ当たりの文字数で換算いた しますと、二万一千三百五ページということになりまして、実に改め文の二十二倍を超える膨大な量となってしまう、こう いう現実がございます。」


 河野太郎氏は、ご自身が改め文方式がよく分からないという理由で、平成28年、国家公安委員会規則を新旧対照表方式で改正した前歴があることから、若手官僚たちは、河野太郎氏ならば、新旧対照表方式を導入してくれるのではないかと期待したのかもしれないし、穿った見方をすれば、河野氏が若手官僚たちを焚き付けて要望させたのかも知れない。


 いずれにせよ、この若手官僚たちの要望の最大の問題点は、これがあくまでも官僚側のご都合主義にすぎず、国会審議の充実、ひいては国民の知る権利に奉仕するものではない点にある


 すなわち、法律に関わる人であれば、おそらく誰しも思ったことがあろうが、5点セットは、分厚いだけで、なぜこの条文が作られたのかという理由(趣旨)が書かれていないのだ。


 肝心要の理由(趣旨)が分からなければ、国会議員も審議のしようがない。官僚としては、何よりもスムーズに法案を通したいがために、国会議員に要らぬ疑念を抱かせて国会審議を長引かせたりしないように、個々の条文の趣旨を明記していないのだろう。

 まさに「由(よ)らしむべし知らしむべからず」(「人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない。」(デジタル大辞泉))だ。

 嘆かわしいことに、これが我が国における議会制民主政の実態だ。国会議員は、なぜ逐条的に理由が書かれていないのかと疑問に思わず、思ったとしても改めさせようとしないのだから、呆れるしかない。


 もちろん、官僚は、国会審議において個々の条文の趣旨を訊かれたら、言質を取られぬように必要最小限度答えるが、訊かれない限り自分からは積極的に説明しない。

 通常、国会議員は、⑥ポンチ絵しか見ていないし(国会議員は、官僚がポンチ絵と呼んで、国会議員を馬鹿にしていることすら知らないのか?)、与党が議席多数の場合には、閣法については碌な審議が行われずに可決される(与党内で十分検討済みだとおっしゃるだろうが、密室で充実した審議が行われたとしても、国民には知りようがない。)。

 熱心で知識のある国会議員がいれば、委員会審査で質疑し、個々の条文の趣旨が明らかになることがあるが、全ての条文についてその趣旨が明らかになることはない。


 そこで、新旧対照表にもう一つ欄を設けて、逐条的に趣旨を書かせるようにしたら、国会審議が充実するのみならず、国民の知る権利にも資するし、大変便宜だ。


 例えば、ドイツでは、「Begründung(法案理由書)」(個々の条文の変更内容や理由を記した文書)が法案に添付されている。

 ドイツにできるならば、日本にできない理由はない。国会も、ドイツを見習って、法案理由書(前述したように、新旧対照表に盛り込むのがベターだ。)を法律案に添付させるべく国会法を改正すべきだ


 なお、国会は、ペーパーレス化も推進してほしいものだ。一つの法律案につき何百、何千ページにも及ぶ5点セットを印刷して全ての国会議員に配布しているが、ほとんどが読まれずに廃棄されているのだから。