二つの未来の選択

 1000年以上続いた岩手県奥州市の黒石寺(こくせきじ)の「蘇民祭り」が幕を閉じた。

 黒石寺のHPには、次のように説明されている。

「令和7年以降の黒石寺蘇民祭については、実施しないこととなりました。 その理由は、現在祭りの中心を担ってくださっている皆様の高齢化と、今後の担い手不足により、祭りを維持していくことが困難な状況となったためです。 

今後可能な限り祭りを継続することも検討しましたが、祭り直前での急な開催中止等、多くの皆様にご迷惑をかけかねない事態の発生を防ぐため、祭り自体を行わないという判断に至りました。 

これまで長きにわたり、黒石寺蘇民祭の護持にご尽力いただいた皆様に心より感謝申し上げます。 

また、蘇民祭を楽しみにしてくださっている皆様におかれましては、大変申し訳ございませんが、何卒ご理解を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。 

妙見山黒石寺 住職 藤波大吾」

https://kokusekiji.jp/%e8%98%87%e6%b0%91%e7%a5%ad/


 1000年以上も続いたお祭りが絶えてしまうのは、残念至極。一度失われた伝統を復活させるのは至難の業だ。

 担い手不足と高齢化が原因だという。観光振興や地域振興の目的であれば、奥州市や岩手県の男性職員さんたちが担い手をすることは、政教分離の原則に抵触しないと考えるが、憲法違反を恐れたのだろうか。文科省・文化庁は、何をしていたのだろうか。きちんと取材してほしいものだ。


 ところで、蘇民将来信仰は、『釈日本紀』巻七の「備後国風土記」の逸話に由来するそうだ。

蘇民将来符 - その信仰と伝承:八日堂蘇民将来符

蘇民将来符 上田市指定民俗文化財。信濃国分寺が護符として頒布する。除災招福を願って神棚や仏壇にそなえるが戸口に吊したり、1センチほどのケシと呼ばれるものは懐中に携える。 「備後国風土記」は、鎌倉時代末期の『釈日本記』に引用記載されていることから逸文*1として伝存している。風土記は、和銅6年(713)中央官命*2により作成された報告公文書で、いつ編述が完了したかは明らかでないが、早くても官命後数年を要したと思われる。 この備後国(現広島県東部)風土記逸文に、わが国で最も古い蘇民説話が見られ、原文を要約するとおよそ次のようになる。 八日堂縁日の参詣者  むかし、武塔神が求婚旅行の途中宿を求めたが、裕福な弟将来はそれを拒み、貧しい兄蘇民将来は一夜の宿を提供した。後に再びそこを通った武塔神は兄蘇民将来とその娘らの腰に茅の輪*3をつけさせ、弟将来たちは宿を貸さなかったという理由で皆殺しにしてしまった。武塔神は「吾は速須佐雄の神なり。後の世に疫気あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ」と言って立ち去った。 この説話で注目したいのは、まず武塔神という名の神である。 武塔神(むとうのかみ)は、外国から渡来した武答天神王か、武に勝れた神を意味する名であるかは明確ではないが、「吾は速須佐雄の神なり」と、伝承の過程でスサノオノミコト*4に武塔神が習合*5されている。ここでは後にふれる牛頭天王(ごずてんのう)と武塔神は習合されていない。ちなみにスサノオノミコトを祗園社の牛頭天王と習合するのは平安時代以降である。 蘇民将来符 信濃国分寺の檀信徒が製作するものには、七福神の絵などが描かれ縁起物としての性格が付与されている。 次に、悪い病気が流行したら除厄の呪文として「蘇民将来の子孫」と唱えるように武塔神が言ったが、この呪文は蘇民将来符に「蘇民・将来・子孫・人也」と書かれている。 また、「兄蘇民将来」「弟将来」とあり、わが国の人名表記にしたがえば、この兄弟の名は同じである。かりに「将来」が姓であるならばこの表記法はヨーロッパ民族の慣習によるものであり、なにを意味しているのであろうか。 「備後国風土記」にみる蘇民説話では以上のような点が注目される。戻る|次へ 原文がほとん

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 備後国(びんごのくに)というのは、現在の広島県東部だ。「北の海」が日本海だとすれば、「南の海」は瀬戸内海だろう。


 「武塔(むたふ)の神」は、結局、疫病神(やくびょうがみ)なので、ご「むたい」(無理なこと、無法なことの意)なことをする神というような意味だろうか。


 兄弟が同じ「将来」だということは、「将来」は名字なのかなと思ったが、そうすると「蘇民将来」は、氏名が逆になってしまうので、「将来」は名字ではないということになる。


 素人考えで恐縮だが、「将来」は、将 (まさ)に来 (きた)らんとする時だから、未来、前途を意味するので、兄・蘇民将来は「今は貧乏だが、民(の繁栄)が蘇(よみがえ)る未来」を、弟・将来は「今は富裕だが、全滅する未来」をそれぞれ暗示しており、生か死か、いずれの未来を選択するかが試されていたのだろうと思われる。


 そして、「武塔(むたふ)の神」に一夜の宿を貸さなかった弟・将来一家は皆殺しにされたのに対して、一夜の宿を貸して貧しいながらも精一杯のおもてなしをした兄・蘇民将来一家は伝染病から免れ、その子孫も伝染病から免れるという未来が約束された。「蘇民将来の子孫」が呪文で、「茅の輪」(ちのわ)が結界をはる護符なのだろう。

 よい行いをすれば、よい結果に報いられるという善因善果、わるい行いをすれば、わるい結果に報いられるという悪因悪果が表現されている。因果応報という仏教思想の影響を受けていることは明らかだ。


 「武塔(むたふ)の神」は、弟・将来一家を皆殺しにした後で、「吾(われ)は速須佐雄(すさのお)の神なり」と律儀に名乗っている。

 皆殺しというのは、日本の神様や日本の国柄に馴染まないので、異国のお話が伝わって、素戔嗚の神と習合した可能性は捨てきれないが、伝染病は、村を全滅させることがあったから、日本のお話だと考えても不自然ではない。


 「蘇民将来の子孫」を唱え、茅の輪を着(つ)ければ、伝染病から免れるが、これだけでは子孫は繁栄しない。子孫が繁栄するためには、五穀豊穣(ごこくほうじょう)でなければならない。

 そこで、これらを願って1000年以上も続いた蘇民祭りが、少子高齢化・人口減少による担い手不足・高齢化が原因で、廃止になるとは、なんたる皮肉だ。


 この逸話は、日本の将来を暗示しているように思えてならない。「今は貧乏だが、民(の繁栄)が蘇(よみがえ)る未来」と「今は富裕だが、全滅する未来」のいずれを選択するかが試されているのだ。


 









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