今年6月6日、フランスのオマハ・ビーチでノルマンディー上陸作戦(Dデイ)80周年記念式典が開催された。スティーブン・スピルバーグ監督と俳優トム・ハンクスの顔も見えた。
ノルマンディー上陸作戦中に行方不明になった一人の兵士を探す任務を命じられた8人の兵士を描いたスピルバーグ監督、トム・ハンクス主演の1998年の映画Saving Private Ryan(邦題:『プライベート・ライアン』)がご縁で呼ばれたのだろう。
爺さんなので、ノルマンディー上陸作戦を描いた映画と言えば、1962年の映画The Longest Day(邦題:『史上最大の作戦』)を真っ先に思い出すのだが、ジョン・ウェインをはじめとする関係者は物故者なので、『プライベート・ライアン』の関係者が招待されたのだろうか。
この映画Saving Private Ryanのprivateプライベートは、「私的な」という意味ではなく、「兵、兵卒」を意味するから、直訳すれば、「兵卒ライアンの救出」ということになろう。
なぜprivateが「兵、兵卒」を意味するのかというと、中世ヨーロッパの王様には常備軍がなく、各封建領主は私的に雇った兵(傭兵)に領地を守らせたので、privateプライベート「私的な」兵(私兵)がそのまま「兵、兵卒」という軍隊における一番下の階級を表すようになったわけだ。
さて、このprivateプライベート「私的な」の語源は、ラテン語のprivareで、「奪う、引き離す、解放する」という意味だから、「公の物を奪う」又は「公的な生活・公務から離れた・解放された」が原義だと思われる。公務の最たるものは兵役義務であって、これは誰でも嫌だから、おそらく後者が原義だろう。
キリスト教では、労働は原罪に対する罰だから、キリスト教の普及に伴ってますますプライベートが重視されることになる。
このprivateの対義語であるpublicパブリック「公共の」の語源は、peopleピープル「人々」と同じ語源であって、ラテン語のpopulusで「人々の」を意味するから、「人々に共通・共有するものの」が原義だと思われる。
なお、スコットランド、アメリカ、オーストラリアなどの英語圏でpublic schoolパブリック・スクールと言えば、公立学校を意味する。
ところが、イングランドでは、公立学校はstate schoolステイト・スクールと呼ばれ、public schoolパブリック・スクールは、private schoolプライベート・スクール「私立学校」又はIndependent schoolインデペンデント・スクール「私立学校」のうち、歴史と伝統のある名門寄宿中等学校を指す。
昔、著者自身のパブリック・スクール留学経験を綴った池田潔『自由と規律』(岩波新書)を読んだとき、なぜ私立なのにパブリック・スクールというのだろうかと疑問に思って、調べたことがある。
イングランドではroyal familyロイヤル・ファミリー「王室」を支える人材育成機関として設立された私立学校には、当初は貴族や紳士の子弟だけが入学できたが、チャリティーの一環として庶民の子弟にも門戸を開いたため、public schoolパブリック・スクールと呼ばれるようになったそうだ。
つまり、このpublicパブリック「公共の」には、王侯貴族の語義はないのだが、王侯貴族が私費で学校を設立したり、教会が運営する学校に寄付したりして庶民にも教育を受ける機会を与えたため、私立学校なのに公共的役割を果たしているということでpublic schoolパブリック・スクールと呼ばれるようになったわけだ。
この公私の関係について、コミンテルン32年テーゼで天皇制打倒を命じられたマルキストである我が国の学者たちは、西洋は進んでいて、日本は遅れており、西洋では、ギリシャ・ローマの時代からres privata レス・プリワタ「私事」とres publicaレス・プブリカ「公共事」が明確に区別され、「公共事」について市民が平等な立場で討論を行なう政治が行われていたのに対して、日本では、このような政治は行われず、下が上に「奉(たてまつ)る」・「奉公する」政治構造となっており、戦前には、天皇に対する絶対的な忠誠や「滅私奉公」が奨励され、「天皇陛下、万歳!」と言って多くの将兵が無駄死にしたから、元凶である天皇制(普通の人は、「皇室」と尊称する。)を打倒すべきだと言う。
しかし、西洋においても、公私の区別が明確だとは必ずしも言えないのであって、長い歴史の中で公と私の綱引きが常に行われてきた。自由主義が伸長するにつれて公が狭くなり、私が広くなるし、逆に、自由主義が退潮すれば公が広くなり、私が狭くなる。
また、例えば、縄文時代の遺跡を見ると、中央に広場、墓地、大型建物があり、その周辺に家屋が配置され、ゴミ捨て場が別に置かれていることから、当然、日本でも古くから公私の区別があっただろう。
さらに、我が国の村落共同体でも、村の行事や行く末などについて、村人たちが話し合って決めていたわけで、民主政は、ギリシャ・ローマの専売特許ではない。
仏教哲学・比較思想の世界的権威である中村元(なかむら はじめ)先生の『東洋人の思惟方法』によると、和語「おおやけ」は、一般の日本人が小家(こやけ)であるのに対して、皇室を大家(おおやけ)と呼んだことに由来するそうだ。
前述したように、縄文時代の遺跡において、集落の周辺に「こやけ又はおやけ(小家、小宅)」が、集落の中心に大型建物がそれぞれ配置されており、この大型建物で神事、集会、共同作業、備蓄が行われていたと考えられる。この大型建物は、このような集落全体に共通した活動を司る首長とその家族の住居でもあっただろう。
当初は、この大型建物を「おおやけ(大家)」・「おおやけ(大宅)」と呼んでいたと思われる。
やがてその集落全体に共通した利害関係事項と首長のことを「おおやけ」と呼ぶようになったのだろう。つまり、「おおやけ」は、共同体性と首長性を包含する概念ではないかと思われるのだ。
※ 「おおやけ」の語源
この点、安永寿延『日本における公と私』(日本経済新開社)によれば、「大屋処(おおやけ)」、つまり「大いなる屋のある所」の意であり、「大」は量的な大きさの意味ではなく、偉大、尊貴、第一などを表し、「屋」は神々の聖なる住居を表している。「屋」は、人間の住む俗なる住居としての「家」とは本質的に異なり、天つ神の住居である。天つ神が地上に降臨した際に一時的に住む仮の宿が、屋の代わりという意味のヤシロ(屋代=社)であって、社が一般化すると、天つ神の宿る天つ社、国つ神の宿る国つ社などと言われるようになる。
共同体の首長ー大王=第一の人は、「まつり」に先立って厳格な物忌み(ものいみ。一定期間飲食や行動を慎み、不浄を避けることをいう。)を行い、御言持ち(みこともち)として、解読された神々のメッセージを人々に伝え、執行する。これが「まつり」及び「まつりごと」の原義であり、ヒメがまつり(祭)を、ヒコがまつりごと(政)を管掌する。第一の人が聖なる「屋」に神々を招いて「まつり」と「まつりごと」を執り行う場が「おおやけ」の原義だという。
「<大屋>が大きな建物をかならずしも意味しないとしても、縄文時代の遺跡のなかには、集落の中央に、民家よりも一際大きな建物の痕跡があり、そこで特別な催しが行われたであろうことを暗示している。おそらくこの建物こそが屋の原型であったにちがいない。そこに共同体の首長、のちには大王=第一の人が住み、屋に神を招き寄せて、まつりを主催したのであろう」という。
そして、「おおやけ」は、「わたくし」の対立概念ではなく、共同体の成員、すなわち「ヤカラ」と、屋の代わりという意味の「ヤシロ(屋代=社)」との媒介概念であって、共同体の成員「ヤカラ」は、血族集団としての「ウカラ」と異なり、血縁にかかわらず、同一の「屋」ー同一の神ないしシンボルのもとーに結集する集団のことだという。なお、「ヤカラ」は、仲間・同類を意味する「輩(やから)」であり、「ウカラ」は、血族を意味する「親族(うから)」だ。
安永氏は、マルクス主義者ではあるが、上記の説明は参考になる。
そして、集落の大家(おおやけ)→国(くに)の大家(おおやけ)という風に、社会の拡大と諸国統一にともなって、「おおやけ」概念も拡張していき、ついには、この伝統を踏まえて、日本書紀にある「八紘(八極=四方と四隅=八方=天下=国内という意味)をおほひて宇(いえ)とせむ」(天(あま)の下を掩(おお)って一つの家としよう=国内に住む人々を同じ屋根の下に住む家族としよう)という神武天皇の「八紘一宇(はっこういちう)」のお言葉に結実したと思われる。
その後、漢字が移入され、「公」(コウ)の訓読みとして「おおやけ」が当てられた。
『新漢語林』(大修館書店)によれば、「公」は、「指事。八は、開くの意味とも、行の甲骨文・金文の上半分と同形で、通路の象形ともいう。口は場所を示す。みんなが共にする広場のさまから、おおやけの意味を示す。常用漢字の公は口の部分がムに変形したもの。」とされ、「①表むきなこと。あからさまなこと。公然。②かたよらず正しいこと。公平。公正。③おおやけ(おほやけ)。個人のことでなく、国家・社会などに関すること。みなが共にすること。④きみ。天子。諸侯。国君。主人。⑤五等爵(公・侯・伯・子・男)の第一位。⑥最高位の官名。三公。⑦祖父・父・長老・年長者などに対する敬称。転じて、他人に対する敬称としても用いる。」とある。
「公家」は、本来、「おおやけ」・「こうけ」と読み、「天皇ないし朝廷」を意味していたが、中世になると、「武家(ぶけ)」の対義語として、「天皇ないし朝廷に仕える人々(「公家の衆」)」も、略して「公家(くげ)」と呼ばれるようになった。
前述したように、この「おおやけ」は、共同体性と首長性という二重構造になっているだけではなく、集落の大家(おおやけ)→国(くに)の大家(おおやけ)という風に、社会の拡大と諸国統一にともなって、「おおやけ」概念も拡張して、ついには「天皇ないし朝廷」を意味するようになったという意味で、ロシアの民芸品であるマトリョーシカ人形のような入れ子構造になっているのが特徴だ。
この「おおやけ」と「わたくし」の入れ子構造というのは、ちょっと分かりにくいかも知れない。例えば、私が以前働いていた公務員試験予備校は、民間企業だから、その業務も、政府との関係では私事にすぎないが、講師の私にとっては、予備校の授業は仕事であって公私混同が許されないから、授業中に携帯電話で私的な通話をしたり、個人的な意見はもちろんのこと、いわんや政治的意見を述べたりすることは許されない。
つまり、政府(公)↔︎公務員試験予備校(私)なのだが、この構造の中には、公務員試験予備校(公)↔︎講師(私)という構造が入っているわけだ。
ところが、この入れ子構造は、日本社会の特徴であって、諸外国とは異なる。例えば、下記の記事にあるイタリアの公共窓口やレストランは、日本であれば、公私混同の誹(そし)りを免れないだろうが、イタリアでは是認されている。
日本社会の特徴である「おおやけ」と「わたくし」の入れ子構造のおかげで、官民問わず、仕事では公私混同が忌避され、しかも、日々の仕事に懸命に取り組むという勤勉の精神(山本七平『日本資本主義の精神』(PHP文庫)によれば、戦国時代末期の鈴木正三 (すずき しょうさん)という禅僧と、江戸中期の石田梅岩 (いしだ ばいがん) という思想家、そして彼らによって生み出された「石門心学 (せきもんしんがく)」に由来する。)により、例えば、時刻表通りの鉄道の運行や丁寧な接客などが行われ、外国人観光客を驚かせているわけだ。
ただ、前述した「おおやけ」の共同体性と首長性には、マイナス面がある。
共同体性ということは、「内(うち)」と「外(そと)」というダブルスタンダードが妥当するということを意味し、「おおやけ」の典型例である省庁においてすら、内輪の論理を優先させて、国益よりも省益を優先させたり、不正を隠蔽したりする。
首長性は、国益・公益よりも首長への忠義を優先させる危険がある。そのため、鎌倉時代から、武家社会では、行跡の悪い主君を家老たちの合議により監禁する「主君押込(しゅくんおしこめ)」といういわばクーデターが行われてきた。
公益通報者保護制度は、「おおやけ」の共同体性と首長性のマイナス面をカバーするものとして機能させていく必要があるが、公益通報は組織に対する裏切りだとして、内輪の論理や首長への忠義を優先させて、公益通報者を守ろうとしない傾向がみられる。
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