「公」と「私」 2

 『旺文社全訳古語辞典』によると、「おほやけ」は、「「大家(おほやけ)」「大宅(おほやけ)」(大きな家の意)から、皇居→天皇・朝廷→公共の意となった。」とある。

 これは、前回述べたとおりだ。


 では、「わたくし」はどうだろうか?


 『旺文社全訳古語辞典』によると、「古典で用いられる「わたくし」は、「公(おおやけ)」に対する普通名詞として「個人的・私的なこと」という意味である場合が多い。「わたくしごと」「わたくしざま」などの語はみなこの意味をもつ。一人称の代名詞としての用法が生まれるのは室町時代ごろである。」とある。

 

 しかも、前掲:安永によれば、この室町時代ごろに生まれたとされる一人称代名詞「わたくし」が同時にprivateプライベート「私的な」と全く同じ言葉で表現されるということは、世界にその例を見ないそうだ。

 下記のサイトでも、中国語の一人称代名詞は、「私」ではなく、「我」であって、「私」はプライベートなという意味で用いられているそうだ。

 困ったことに、下記のサイトによると、この世界的に珍しい「わたくし」の語源が不明らしいのだ。


 真っ先に思い付くのは、「わたくし」が「わ」と「たくし」の複合語ではないかという当て推量なのだが、「たくし」が分からない。


 まず、「わ」だが、この意味は明らかだ。

 『旺文社全訳古語辞典』によると、「わ」【我・吾】は、「(代)自称の人代名詞。われ。私。」を意味し、「上代には「が」「を」「に」「は」などを伴って用いられ、中古以降、格助詞「が」を伴って、多く「わが」の形で用いられた。」とある。

 また、『旺文社全訳古語辞典』によると、「あ」【吾・我】は、「(代)自称の人代名詞。私。われ。」を意味し、「上代に多く用いられ、中古には「あこ」「あが」など限られた形で使われた。「わ」も同じ意味の語だが、「あ」は「あが君」など親愛の気持ちをこめて言い、「わ」は「わが君」など改まった気持ちで用いた。」とある(下線:久保)。


 つぎに、問題の「たくし」なのだが、「たく」と「し」に分けて、「たく」が助動詞「たし」の連用形だとすれば、「たし」は「〜したい」という動作の実現を希望する意を表す。

 集落の中心に置かれた大型建物「おほやけ」における集会で、「わ」は、きき(聞き)たく、やすみ(休み)たく、たべ(食べ)たくなど、「わ〜たく(私は〜したい)」と改まった気持ちで言っていたから、いつの間にやら「個人的・私的なこと」を「わたく」と呼ぶようになったかも???笑

 「し」は、分からん!苦笑


 こんな風にいい加減なことを言っていると、古文にお詳しい方から厳しいお叱りを受けそうなので、さらに調べると、『旺文社古語辞典<新訂版>』によれば、「「たし」は、鎌倉時代頃から現れた。和歌などでは、なお「まほし」が用いられ、「たし」は俗語と考えられていたが散文では「まほし」にかわって「たし」が用いられるようになった。」(下線:久保)とあるので、上代から用いられている「わたくし」の「たく」は、「たし」の連用形ではないということになる。

 やれやれ振り出しに戻ってしまった。お手上げだ。


 ネットでさらに検索したら、下記のブログがヒットした。wa-taku-siで、「わ」が「する」「こと」だというが、言語学についてど素人の私にはその真偽が分からない。

 なんにせよ、古語「わたくし」は、現在でも男女ともに丁寧な言い方として多くは目上の人に用い、また改まった言い方をするときにも用いられている。

 この「わたくし」から、「わたし」、「わし」、「わて」、「あたくし」、「あたし」、「あたい」などの一人称代名詞が派生しているというのに、その語源が不明というのは、なんともおさまりが悪いものだ。


 う〜ん、自分が古代人の立場に立って考えてみたらいいのかも知れない。

 言葉には言霊(ことだま)と呼ばれる神秘的な霊力が宿っていると考えられ、柿本人麻呂の歌に「葦原 (あしはら)の瑞穂 (みづほ)の国は神 (かむ)ながら言挙(ことあげせぬ国」とあるように、我が国では神を招いてその意のままに従い、言葉に出してこれに異議を唱えず、論争しないことが美徳とされてきたから、集落の中心に配置された大型建物「おおやけ」(公)の場で、個人的・私的なことを述べたり、ましてや神のメッセージを伝える首長の言葉や長老・古老たちの多数意見に異を唱えることは、さぞや勇気が要ったことだろうし、きっと緊張してお腹が痛くなったことだろう。

 「腹が立つ」、「腹を割って話す」、「腹を探る」などの表現や切腹の風習からも明らかなように、昔から腹には心があると考えられてきた。

 そこで、「わたくし」の「わた」は、「はらわた」の「わた」(腸)であり、「わたくし」の「くし」は、「くっす」(屈す)で、心からへりくだって「大変心苦しいのですが、恐れながら申し上げます」と床に手をついて首(こうべ)を垂れお腹を屈折させて私見を述べたことから、「わたくし」と呼ばれるようになったのではあるまいか。又は、端的に「心苦しい」という意味で、「わた(腸)」「くる(苦)し」が縮まって「わたくし」になったのではあるまいか。

 誰も主張していないど素人の珍説なので、鵜呑みにする人はいないと思うが、ご注意を!


 「わたくし」の語源は、とりあえず傍に置くとして、漢字「私」の訓読みとして「わたくし」が当てられたのだが、漢字「私」と和語「わたくし」にはギャップがある。


 すなわち、漢字の「私」は、『新漢語林』(大修館書店)によれば、「形声。禾+ム。音符のムは、わたくしするの意味。禾(カ)は、いねの意味。私有の稲の意味から、わたくしするの意味を表す。」とある。


 しかし、『精選版日本国語大辞典』(小学館)によれば、「わたくし」は、「公(おおやけ)に対して、その人個人に関すること。自己一身にかかわること。うちうちのこと。」を意味し、元来「わたくしする」という意味はなかったのだ。だからこそ現代でも最もフォーマルな一人称代名詞として用いられているわけだ。

 「自己の利益をはかって不法を行なうこと。自己の利益のために、不法に公共の財物を自分のものとすること。」という意味は、後代に生まれたものであって、初出は仮名草子・清水物語(1638)だそうだ。

 支那人と日本人の国民性の違いを表すようで、興味深い。


 もっとも、沖縄県の方言で「ワタクシ」、「ワタクシグヮー」、「ワタクサー」と言えば、「へそくり」の意味だそうだから、漢字「私」の原義通りと言えようか。


 なお、「私」の訓読みは、「わたくし、わたし、ひそかに」なのだが、「きさき」と読まれることもある。

 大阪府交野市(かたのし)には、「私部」(きさべ)、「私市」(きさいち)という地名が残っている。交野市役所の所在地が交野市私部一丁目1番1号だ。私も、北河内職員研修協議会の職員研修で交野市役所を訪れたことがある。

 下記のサイトによると、

「 「私」は「后(きさき)」と同じ意味

 大和朝廷時代、国の制度は中国に倣って作られました。中国では皇后のことを司る役所を「私府」、それぞれの任にあたる人を「私官」、実際の仕事をする人を「私部」としていました。 即ち、「私」という字は「后」と同じ意味で、「きさき」と読んでいました。 

 「部」は、朝廷に属する各種職業人の集団ということで、皇后のためのことをする人達は「私部」と言われていました。 

 交野地方の私部は、皇后のための稲作を行う人達という役職名でした。それが、集団名になって、地名に残されていきました。」とある。

 きさきべ→きさべに変わったのだろう。


 



源法律研修所

自治体職員研修の専門機関「源法律研修所」の公式ホームページ