職員研修では、「前文」と「制定文」の由来については、マニアックなお話なので、省略しているが、今では当たり前のように用いられている「前文」と「制定文」は、いずれも米国の影響によって用いられるようになったものなのだ。
1 前文
前文は、題名の後に条文本体の前に置かれ、その法令の制定の目的や理念などを述べた文章をいう。
法令の第1条に目的規定を置くのが通例になっているので、目的規定と内容が重複する前文を置くことにどれほどの意味があるのかと疑問に思わなくもないが、前文は、法令の一部であり、その法令の解釈基準となるので、読み飛ばしてはならない。
前文は、日本国憲法はもちろん、連合国軍に占領されている期間、GHQ(General Headquarters)「連合国最高司令官総司令部」の推進の下に制定された法律に多く見られる。その意味で米国式だと言える。
例えば、教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号。平成18年に全部改正された。)、国立国会図書館法(昭和二十三年法律第五号)などがそうだ。
占領期間中に制定された警察法(昭和二十二年法律第百九十六号)にも前文があったが、昭和27年にTreaty of Peace with Japan「日本国との平和条約」、いわゆるサンフランシスコ平和条約の発効によりGHQが解体され、占領が終わったからであろうか、昭和29年の全部改正によって米国式の前文が削除され、その内容が第1条の目的規定に盛り込まれた。
前述したように、前文は、第1条の目的規定と重複するので、前文を置く合理性に欠けるし、また、「占領が終わり、日本は主権を回復したのだから、いつまでも米国式の前文なんて置いてられるか!」という警察官僚たちの心意気が感じられる。
ところが、昭和36年、農業基本法(昭和三十六年法律第百二十七号)に前文が置かれて以来、多くの基本法に前文が置かれるようになってしまった。
忌まわしき占領中の記憶が生々しく残っているであろうに、再び米国式の前文が多用されるようになったのは理解し難い。
「もはや戦後ではない」と言われて久しいが(昭和31年(1956年)度『経済白書』の序文に用いられたフレーズ。)、米国式の前文が多くの基本法に用いられていることからすると、これらの基本法を制定する際に、いまだに米国にお伺いを立てているのではないかと邪推したくなる。
2 制定文
政令以下の命令(法規命令)には、その命令の制定の根拠又は形式を表す文章が題名の後ろに置かれる。これを前文と区別して、制定文という。
例えば、「内閣は、〜法(昭和◯年法律第◯号)第◯条の規定に基づき、この政令を制定する。」という制定文は、委任命令であることを示している。これに対して、「内閣は、〜法(昭和◯年法律第◯号)第◯条の規定を実施するため、この政令を制定する。」という制定文は、執行命令であることを示している。
実は、この政令以下の命令の制定文は、GHQに政令の制定の根拠又は形式を一目見て分からせるために置かれるようになったものなのだ。
原則として、法律には、このような制定文が置かれることはないが、唯一の例外が全部改正の法律だ。
法律の内容を全面的に改めようとする場合に、既存の法律を廃止すると同時に、これに代わる新しい法律を制定する方式が採られることがある。これを廃止制定という。
他方で、法律の内容を全面的に改めようとする場合に、既存の法律を存続させつつ、法律の中身全部を書き改める方式もある。これを全部改正という。
廃止制定が家の建替えだとすれば、全部改正は家のリフォームに相当する。ある法律の内容を全面的に改めようとする場合に、廃止制定によるか、それとも全部改正によるかについて明確な基準があるわけではないが、既存の法律の目的・趣旨・制度を基本的に維持しつつその内容を全面的に改める場合には、既存の法律の効力を存続させる全部改正の方式が採られるのに対して、新旧制度の継続性を維持すべき必要性が低いような場合には、廃止制定の方式が採られることが多い。
全部改正の法律は、新たな法律の制定と実質的に変わりがないため、新しい法律番号が付けられるので、全部改正と廃止制定を区別しにくいことから、全部改正であることを明らかにするために、題名の後ろに「〜法(昭和◯年法律第◯号)の全部を改正する。」という制定文が置かれる。
実は、この全部改正の法律の制定文も、GHQに廃止制定ではなく、全部改正であることを一目見て分からせるための工夫として置かれるようになったものなのだ。
GHQは、主に米国軍人で構成され、日本法についてはもちろん、そもそも法学を学んだことがない連中が多かったため、「前文」や「制定文」を置いて、アメリカ人の法学素人にも一目瞭然にしたわけだ。当時のご担当者のご苦労が偲ばれる。
いきさつはどうあれ、一旦「前文」や「制定文」が置かれるようになると、それが前例として踏襲されていき、法制執務の発展へとつながっていくのだが、今ではその由来すら忘れ去られようとしていることを残念に思い、このブログに書き留めることにした次第だ。
自画自賛するようでアレだが、我々日本人は、上記の法制執務だけでなく、あらゆる分野で外国のものを自家薬籠中にするのが得意だと思う。
私よりも上の世代は、rockabillyロカビリーに熱中していた。1950年代、ロックンロールとヒルビリーを融合させた音楽がロカビリーで、日本では英語の歌を日本語で歌っていた。
また、私はリアルタイムで聞いていたのに、今では「オールディーズ」と呼ばれている米国のロックンロールやモータウンのR&B、カントリーミュージックも流行っていた。
私が小学生の頃は、英語の歌を日本語で歌うことが少なくなり、アイドル歌手が台頭していた。その中で異色だったのが、フィンガー5だ。沖縄県出身の5人兄弟のグループだ。
このグループ名からも明らかなように、マイケル・ジャクソンをメインボーカルとするThe Jackson 5ジャクソン・ファイブをパクったものだ。日本人が「ヘイ、ヘイ、ヘイ」とか「ワオ」とか言うわけで、初めて見聞きしたときは、正直気恥ずかしかった。
しかし、ただのパクリならば、誰も見向きもしなかっただろうが、作詞家の阿久悠や作曲家の都倉俊一などの一流陣の手にかかると、アメリカンなのに日本的な独特の世界観が生まれ、特に下記の4曲の学園ものは、マンガチックな歌詞と明るい曲調で大ヒットになった。当時テレビのどのチャンネルを回しても、フィンガー5が歌っている状況だった。
サングラスをかけたメインボーカルの晃くんの声変わりにともなって、一気に人気が下火になり、消え去った。
個人授業(1973年)
恋のダイヤル6700(1973年)
学園天国(1974年) ←2001年公開の日本映画『ウォーターボーイズ』の挿入歌に採用されたので、ご存じかも?
恋のアメリカン・フットボール(1974年)
今、こうして再び聴いてみると、当時のアメリカの曲は、総じてシンプルなのに、これらは、アメリカの曲を参考にしながら、様々な音を重ねて複雑でありながらもボーカルの邪魔をしないテクニカルな曲に仕上がっている。この作曲家の高度な要求に応えているスタジオ・ミュージシャンの演奏も上手であることに驚いた。
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