以前、他家等を訪問し、応接室に通された際に、案内係の人に「どうぞお掛けになってお待ちください」と言われても、座ってはならないと述べた。
下記のニュース動画では、千原せいじをはじめとする吉本興業の面々が、仙台市長を表敬訪問した際に、普段着姿で、椅子に腰掛けたまま誰一人立ち上がらずに市長に挨拶をしていた。
いい歳をして礼儀を知らぬのか、それとも礼儀は知っているが、仙台市長よりも自分の方が偉いと思っているのか。
いずれにせよ、かかる行為は、市長個人のみならず、市長が代表している全ての仙台市民に対する侮辱であって、見ていて実に不愉快になった。どこが「表敬訪問」なのか!
<追記>
先日、古本屋で購入した草柳大蔵『礼儀覚え書 過不足のない美学』(グラフ社)に同じ話が載っていた。少し長いが所々引用する(12頁から16頁まで)。
「昭和二十三年の秋でした。私は雑誌社の末端編集員として雨の中を集稿に歩いていました。夕方近く、ある国務大臣の邸にたどりつき、応接間に招じ入れられました。朝から雨に中を歩いて疲れ気味だった私は、ソファに深く腰掛け、なけなしの煙草に火をつけました。
そのとき、国務大臣の奥さんが応接間に入ってこられた。表が薄暗かったこともあって、私は白い花束が立っているように思いました。美人で有名なその奥さんは「はい、ご苦労さま」と原稿を渡してくれ、帰ろうとする私に「お紅茶でも飲んでいらっしゃい」と声をかけてくれました。
その当時には珍しい紅茶にウィスキーを少し入れてのもてなしに、私は雨に濡れた身体も心も温まる思いでしたが、夫人の「あなたのお父さまは何をしていらっしゃったの」という質問にすこし身体を起こしました。
「石屋です。灯籠やお稲荷さんの狐や墓を刻んでおりました」
「そう」と夫人はうなずいて、「それではこれから申しあげることを、ひとつの参考として聞いて下さいね」と、静かな口調になりました。
「あのね、他所(よそ)のお家を訪問して応接間に通されたときは、そこの家の主人が姿を見せるまでは椅子に腰をおろさず、立ったまま待つものですよ。そのために、壁に絵がかかっていたり、花瓶に花が活けられているのです」
私は、ソファにどっかりと身を沈めて、穴のあいた靴底から浸み込んだ雨水に濡れた靴下を両手であたためていた私自身の姿に、かっと恥ずかしさが込みあげました。耳まで赤く熱くなったのを今でも覚えています。
「ありがとうございました」
かすれたような声で礼を言い、私は原稿を内懐(うちぶところ)に入れて、雨の道を駅まで急ぎました。電車に乗ってから、どういうわけか、「世の中っていいな、素晴らしいものだな」という言葉を繰りかえしていました。綺々(きらきら)しき思い、とでもいうのでしょうか。
二十数年が経ちました。取材に三菱銀行の会長になられた田実渉(たじつ わたる)氏を訪ねました。会長面談室に通されて、秘書の方が「どうぞお掛け下さい」というのにお礼をいい、私は立ったまま部屋の壁にかけられたルオーの絵を眺めて居りました。
<中略>
それから三年が経過しました。人物論をシリーズで書いていた私は「中山素平論」をとり上げました。氏の周辺の取材を終え、いよいよ目指すは本丸、中山氏自身のインタビューに日本興業銀行の会長室を訪ねました。
<中略>
取材が終わって、筆記具を収(しま)い、立ちあがろうとした私に、中山さんは少し語調を変えていいました。
「君のこと、じつは昨日、田実さんに電話で聞きました。明日、草柳君という人と会うことになっているんだが、あなたは何時(いつ)か彼に会ったそうで、それで伺うんだけれど、どんな男です、彼は? そうしたらね、田実さんが電話の向こうで、“ああ、あの男はおれが部屋に入るまで座らないで、立って待っているような男だよ”というんです。それだけよ。それで僕は、きょう、君と安心して会うことにしたんだ」
<中略>
応接間のソファにすわらない。
ただそれだけの教えが、三十年近くも私の周囲に生き続けてきたのです。雨の日の、白い花束のように見えた美しい奥さんの言葉は、田実さんから中山さんまで一貫していた。いや、そればかりでなく、人物評価のモノサシにさえなっていたのです。」
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