小中学生時代を過ごした神奈川県逗子市では、横須賀米軍基地のラジオ放送がものすごくクリアに聞こえた。
今では「オールディーズ」と呼ばれる歌謡曲がよく流れていた。歌詞は、大衆向けだから、中学生でも理解できる易しい英語で、甘ったるくてたわいのないものばかりだが、メロディ・ラインの面白さや歌手の歌唱力で聴かせる曲が多かったように思う。
1990年の映画Ghost『ゴースト/ニューヨークの幻』の主題歌に採用されて、リバイバル・ヒットを記録したRighteous Brothers ライチャス・ブラザーズUnchained Melody(1965年)もその一つだ。
YouTubeのおすすめを何気なく視聴した。ブラジルのストリート・ミュージシャンMaxi Bogaro(誰それ?)がカバーしたUnchained Melodyだった。出だしは少し緊張がみられたが、すぐに立て直し、低音を効かせて持ち歌の如く力一杯歌っていて、ライチャス・ブラザーズよりも良かった♪
歌詞がものすごく甘ったるいので、目の前で歌われたら、ブラジルのおばさまたちのように、女性はメロメロになるかも?笑
(腕の稚拙な刺青は、隠した方がいい。)
調べてみたら、もともとUnchained Melodyは、日本未公開の映画『アンチェインド』(1955年)の主題歌で、ライチャス・ブラザーズのそれは、カバーだった。知らなかった。。。
ジジイのぼやきだけど、我が国の最近の歌謡曲は、集団で踊っているだけで歌で聴かせるものが少ないように思う。Adoなど、高難度の曲を器用に歌う歌手もいるが、一方通行で心に響かない。
ストリート・ミュージシャンMaxi Bogaroは、たまたまこの時に上手に歌えて、歌い手自身が自らの歌に感動していることを聴衆に伝えられているからこそ、聴衆も感動するのだろう。
つまり、歌の本質は、共感なのではないかと思う。
とすれば、最近の我が国の歌謡界は、多くの人の共感を集めるのではなく、一方通行であっても、共感できる人だけ集まればよい、という具合に、分断・細分化されているような気がするのだ。これが国民的大ヒット曲を生まない原因ではなかろうか。
な〜んてな。音痴のジジイが何を言っても詮なきことだけど、日本社会分断の予兆のような気がしてならないのだ。
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