人生の岐路

 ドイツ映画『マジカルミラー/もうひとりのボク』(2019年)を観た。B級映画なので、約1時間半も見続けるのが辛かったが、ドイツの教育制度の一端を垣間見ることができて興味深かったため、辛抱して最後まで観た。

 主人公のフリドは、日本で言えば、のび太くんみたいに、遊ぶことが大好きで勉強嫌いの小学5年生。両親は離婚していて、団地で母親と二人暮らし。久しぶりに父親と再会し、先生と両親の三者面談が行われた。その帰り道で両親がフリドの進路をめぐって喧嘩して、悲しくなったフリドがバスを飛び降り、逃げ込んだ移動遊園地にあったマジックミラーのボタンを押したら、自分とそっくりの少年が現れた。


 このコピー少年は、優秀で、家でも学校でも完璧にこなしてくれるので、フリドは、コピーにすべてを任せて、遊び呆けていた。コピーが学校で百点満点を取るので、担任の先生や両親から上級学校への進学を期待される。


 フリドがこの秘密を優等生である親友に打ち明けたことがきっかけで、この秘密が同級生たちにバレて、同級生全員が自分のコピーを学校へ行かせて、遊び呆けているうちに、コピーが現実生活を乗っ取り、フリドたちオリジナルをマジックミラーの中へ閉じ込めようとする。


 コピーが完璧すぎて想像力やユーモアのセンスに欠けることを発見したフリドは、担任の先生にことの顛末を打ち明けて協力を求めた。先生が授業でコピーたちに変な問題を出題し、不正解と言われたコピーたちが動揺し自信を喪失する一方で、オリジナルが正解を回答して自分自身に自信を持つことによって、コピーが次々とマジックミラーに吸い込まれていく。


 とまあ、自分自身に自信を持つことの大切さがテーマの子ども向け映画だった。


 ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』(新潮文庫)、萩尾望都『11月のギムナジウム』(小学館)や『トーマの心臓』(小学館)でギムナジウムが登場するので、ドイツの教育制度についてご存知の方も多いかもしれないが、念のために、簡単に述べておく。


 ドイツでは、6歳から10歳までの4年間をGrundschuleグルンドシューレと呼ばれる小学校で過ごすのが一般的だ。

 例外的に、1年生から13年生を過ごすGesamtschuleゲザムトシューレと呼ばれる総合学校やWaldorf-Steiner Schuleシュタイナー学校があるが、説明を省略する。


 そして、小学5年生10歳で人生の岐路に立たされる。厳しい現実を突き付けられるのだ。

 優等生は、Gymnasiumギムナジウムと呼ばれる中等学校に進学したのち、総合大学に進む。エリートコースだ。

 優等生以外の子のうち、マイスターなどの専門職や事務職を目指す子は、Realschuleレアルシューレと呼ばれる実科学校へ進学する。

 他方、職人など、就職を目指す子は、Hauptsschuleハウプトシューレと呼ばれる基幹学校へ進学する。


 先ほどの映画の主人公フリドは、10歳で人生の岐路に立たされていたが故に、現実逃避して遊び呆けていたわけだ。

 フリドたち同級生全員がエリートコースであるギムナジウムへの進学を憧れながらも、ほんの一握りの優等生しか進学できない現実に直面し、劣等感を抱き、自信を喪失していた。

 映画は、エリートコースだけが人生ではなく、一人一人が自分自身に自信を持ち、それぞれの道を歩むことが大切だと伝えたかったのだろう。逆に言えば、このような映画が作られるほど、深刻な問題なのだろう。


 翻って我が国の教育制度を見ると、小中学校は義務教育で、15歳で中学を卒業して就職する子や高校進学を諦める子もいるが、今は高校の授業料無償化により、高校3年生18歳で人生の岐路に立たされるのが通常だ。

 18歳までモラトリアムでぬくぬくできる我が国と比べ、10歳で人生の選択を迫られるドイツのなんと過酷なことか。


 才能や家庭環境は千差万別で、不平等であるという厳しい現実を直視すれば、10歳か18歳かの違いがあっても、結局、人生の選択に迫られるわけだし、また、勉強ができる子は、放っておいても小学校入試・中学校入試・高校入試で進学校に進んでエリートコースを歩むから、過保護かもしれないが、18歳まではモラトリアムにして、その間青春を謳歌させてあげる我が国の教育制度の方が人生の選択肢の幅が広がるのではないか。

 下記の動画を見た海外の人々の反響の大きさに鑑みると、こんな風に思えるのだが、どうだろうか。

 ただし、高校無償化という社会主義政策には賛成しかねるが、この問題については以前述べたので、省略する。















 


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