国民感情に反するが致し方ない <追記>

 下記の記事によると、「旧統一教会が今月20日、富山市の富岩運河環水公園で礼拝イベントを予定していることについて、新田知事は「地方自治法と憲法に基づき、公園の使用許可を出した」そうだ。


 富山県知事が指摘しているように、地方自治法第244条第2項は、「正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない」とし、さらに、同条第3項において、「住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取り扱いをしてはならない」と規定している。 


 この点、最高裁は、「集会の用に供される公共施設の管理者は、当該公共施設の種類に応じ、また、その規模、構造、設備等を勘案し、公共施設としての使命を十分達成せしめるよう適正にその管理権を行使すべきであって、これらの点からみて利用を不相当とする事由が認められないにもかかわらずその利用を拒否し得るのは、利用の希望が競合する場合のほかは、施設をその集会のために利用させることによって、他の基本的人権が侵害され、公共の福祉が損なわれる危険がある場合に限られるものというべきであり、このような場合には、その危険を回避し、防止するために、その施設における集会の開催が必要かつ合理的な範囲で制限を受けることがあるといわなければならない。」と判示している(最判平7.3.7民事判例集49巻3号687頁、判例時報1525号34頁、判例地方自治140号41頁。太字:久保)。


 旧統一教会に対して解散命令がなされた結果、宗教法人としては活動できないが、宗教団体としては活動を継続することができる。憲法上、信教の自由が保障されているからだ。

 国民感情としては、納得できるものではないが、現行法上はやむを得ない。


 そして、旧統一教会が公園の使用許可申請をしたからといって、利用の希望が競合する場合、又は、施設をその集会のために利用させることによって、他の基本的人権が侵害され、公共の福祉が損なわれる危険がある場合に該当しない以上、富山県知事としては許可せざるを得ない。


 ネットでは富山県知事の対応に批判的な声があるようだが、富山県知事を批判するのは、お門違いだ。


<追記>

 下記の記事によると、霊感商法の被害者「弁護団は、県の施設を教団の宗教的儀式の場として使用することを許可する行為は、憲法上の政教分離の原則に反すると主張し「県民の安心安全な生活を保護すべき知事の任務に反する行為」だとして宗教儀式の正体に気づかず参加した市民が違法な勧誘や献金の被害を被った場合の責任を問いかけ、公園の使用許可を取り消すよう強く求めています。」

 気持ちは大変理解できるが、どこの宗教法人・宗教団体が許可申請しても同じ対応をしなければ不公平になるし、もし旧統一教会だけを不許可とすれば、特定の宗教を弾圧するものだとして、却って政教分離の原則に反することになる。

 現行法上、旧統一教会が宗教団体として活動することが認められている以上、違法な勧誘等が行われれば、別途対処すべきだということになる。

 解散命令により宗教法人ではなくなった場合には、宗教団体として活動することを禁ずる法律を制定するのが筋だ。



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