ご存知のように、日本語では同じ発音だが、語源・綴(つづり)・発音を異にする二つのキャリアがある。
まず、半導体の中を流れる電荷の運び手となるもの、荷台、保菌者、通信事業者、運送業者を指すcarrierキャリアは、carryキャリー「運ぶ」から派生した言葉だ。
もうひとつがcareerキャリアだ。こちらが今日のお題。
careerキャリアとは、「熟練を要する技術、仕事、遊びなどにおける十分な経験。〔外来語辞典(1914)〕」をいう(『精選版 日本国語大辞典』小学館)。
careerの語源は、中世ラテン語のcurrere(carrus-=車)轍(わだち)であって、そこから競馬場や競技場のコースやトラックという意味が生まれ、さらに人の経歴・職歴などの経験を指すようになった。
つまり、careerは、もともと「どこへ向かって、なんのために」という目的や志を問わない言葉なのだ。
「キャリア・アップ」、「キャリア・プランニング」、「キャリア・デザイン」、「キャリア・プラン」、「キャリア・カウンセラー」などのカタカナ言葉が薄っぺらく思えるのは、キャリアという言葉自体に目的や志が欠如しているからなのだ。
下記の記事には、「この組織で自身のキャリアを諦める選択をしました」、「自身のキャリアについて『このままでいいのかな』と考えていたら」という言葉が出てくる。
この記事の主人公を批判するつもりはない。自分の人生だから、自由にしたらいい。
ただ、私が気になるのは、この記事を何度読んでも、キャリア・アップの目的や志が見えてこない点なのだ。
これは、ひとつには、記事の執筆者に原因があるのかもしれない。「教育ジャーナリストの濱井正吾さんが、「学歴ロンダリング」をして、人生が好転した人を取材する連載「濱井正吾 人生逆転の学歴ロンダリング」」という連載記事の性質上、学歴ロンダリングに力点を置いているからだ。
そこで、記事から離れ、一般論になるが、転職求人サイトのCMがバンバン流され、青い鳥症候群に毒されている人が増えたような気がする。
厚労省の用語解説によれば、「現実の自分や、取り巻く環境、待遇などを受け入れられず、自分にはもっと力があり、もっと能力を発揮できる場所があるはずだ、という考えを捨てられず、理想の職場を求めて転職を繰り返す人のことをメーテルリンクの童話「青い鳥」にちなんで「青い鳥症候群」と呼ぶことがあります。不全感が続くことにより、うつ病に移行することもあります。」
青い鳥症候群も、careerという言葉と同様に、目的や志が欠如している。
自己評価が高く、他者からの承認欲求が強い人は、足るを知らず、現状に不平不満を抱き、目的や志なくして「キャリア・アップ」を図るべく学歴ロンダリングや転職を繰り返すのだろう。
日本は、アメリカ型社会の悪い面ばかりを後追いしているように思える。
とはいえ、青い鳥症候群の人は、昔からいた。
孔子は、『論語』で次のように述べている(宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫、103頁)。
子曰、不患無位、患所以立。不患莫己知、求爲可知也。
子(し)曰(いは)く、位(くらゐ)無(な)きを患(うれ)へず、立(た)つ所以(ゆゑん)を患(うれ)ふ。己(おのれ)を知(し)るものなきを患(うれ)へず、知(し)らるべきを爲(な)すを求(もと)む。
世人は位のないことを患うるが、君子は位のないことを患えないで、その地位に立つだけの学問道徳のないことを患うる。世人は人から知られないことを患うるが、君子は他人が己を知らないことを患えないで、人から知られるだけの学問道徳を身に具えようと求める。
孔子は、他にも似たことを言っている(前掲書34頁)。
子曰、不患人之不己知、患不知人也。
子(し)曰(いは)く、人(ひと)の己(おのれ)を知(し)ら不(ざ)るを患(うれ)へず。人(ひと)を知(し)らざるを患(うれ)ふ。
君子の学は己の人格を完成することをつとめるのである。他人が知っても知らなくても、己を損益することはないのであるから、他人が己を知らなくても憂慮はしない。ただ人を知らないことを憂慮する。人を知らなければ、善を取って悪を去り、正に従って邪に遠ざかることができないからである。
群雄割拠する春秋時代、孔子は、己の理想を実現すべく仕官の口を探して諸国を流浪した。
しかし、実力主義の下剋上が罷(まか)り通り、身分秩序が崩れつつある乱世において、古代の周王朝への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げる孔子の思想は、あまりにも現実離れしていて、理想主義的であるため、諸侯たちに受け入れられなかった。
このことを踏まえて、改めて上記二つの発言を読むと、孔子が負け惜しみを言っているようにも思える。実際その通りだったのだろう。
しかし、青い鳥症候群とは異なり、孔子には目的・志(それが良いか悪いかは別として)があった。
それ故、不遇を託(かこ)つことなく、目的・志を実現するために、自ら研鑽に励むとともに、後進の指導に努めたのだと思う。
孔子の下に3000人の弟子が集まったのも、孔子がただの青い鳥症候群ではなかった証拠だ。
「キャリア」で悩んでいる人がいたら、目的・志に思いを馳せてみてはどうだろうか。そうすれば、不遇をものともせずに健気(けなげ)に生きる道も開けよう。
<追記>
下記の記事によると、「転職でキャリアアップ」は古くなりつつあり、アメリカの雇用市場の「日本化」が進みつつあるらしい。
個人的には、終身雇用・年功序列で社員を家族として扱う日本式経営で上手くいっていたのだから、これをこのまま続けつつ、外部から必要な人材を補充する方が日本人のライフスタイルや価値観に合っていると思っている。
ハーバード大学のビジネススクールの院生たちが、毎年わざわざ日本へ来て、日本式経営を学んでいるのに、日本は、学歴ロンダリング・転職を繰り返して、アメリカ型社会の悪い面を後追いばかりしているのは、なんという皮肉だろうか。
「転職でキャリアアップ」はもう古い?「会社を辞めないアメリカ人」が増えている理由
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