ドラえもんとマリア

 私は、X(旧Twitter)をやっていないのだが、下記の投稿がネットで話題になっていたので、ちょっと考えてみた。

 ドラえもんが「イタリア・スペイン・ポルトガルではめちゃくちゃ人気」であるのに対して、それ以外のヨーロッパでは不人気なのは、「ゲルマン圏」かどうかではなく、カトリックとプロテスタントの違いに由来するのではないかと思う。


 ざっくりおさらいすると、

 ローマ帝国は、多神教だったが、キリスト教がローマ帝国の国教になった。

 その後、ゲルマン民族の大移動により、ローマ帝国が東西に分裂し、キリスト教会も東西にSchismaシスマ「分裂」した。

 東方教会が正教会で、ロシア正教・ギリシア正教と呼ばれる。これに対して、西方教会がカトリックと呼ばれる。

 このカトリックからさらに分かれたのがプロテスタントだ。

 つまり、おおまかに言えば、キリスト教には、正教会、カトリック、プロテスタント、という3つの教派があるわけだ。


 次に、カトリックとプロテスタントの違いをざっくりとおさらいすると、

 カトリックでは、イエスの復活の第一目撃者であるイエスの使徒とその正統な継承者を通してしか神を知ることができないから、人々を導けるのは、第一目撃者である「第一の使徒」ペテロとその正統な継承者である教皇だけなのだ。

 これに対して、プロテスタントでは、神の前では人間皆平等だと考えるので、ローマ教皇を特別扱いしない。


 イエスの母であるマリアについて、カトリックではイエスを産んだ「聖母マリア」として「崇敬」されるのに対して、プロテスタントではイエスを産んだ一人の人間にすぎないとして特別視されない。


 なお、カトリックは、あくまでもマリアを「崇敬」しているにすぎないのであって、決して「崇拝」しているわけではない。「崇拝」の対象は、あくまでも父と子と精霊なのだ。マリアを敬いこそすれ、拝んでいるわけではないのであって、マリア「崇拝」は、異端として禁止されている。


 では、なぜマリア「崇敬」が認められているのか。

 キリスト教がローマ帝国の国教になる前は、多神教であり、女神崇拝が盛んだった。

 これに対して、当初、キリスト教は、奴隷を同じ信者として平等に扱ったり、キリストの血と肉を象徴する葡萄酒とパンを信者が食べる儀式(聖餐式)が人肉食だと誤解されたり、キリスト教以外の宗教を否定したりして、嫌悪され、社会秩序を乱す危険な得体の知れない連中だとして迫害された。キリスト教が国教化された後も、多くの人に嫌悪感を抱かれていた。

 そこで、もともと聖人ではなかったマリアを聖母として認めることにより、女神を信仰する土着宗教に擦り寄って、キリスト教への嫌悪感を払拭し、キリスト教に親しみやすくしようとしたわけだ。


 そして、本来、神と人間との仲介者は、イエスだけなのだが、カトリックでは、聖母マリアに仲介者として畏怖すべき父たる神に取り次ぎを願うことが認められている。

 平たく言えば、厳格な父ちゃんに直接お願いするのは怖いので、優しい母ちゃんから父ちゃんに上手くとりなしてほしいと願うわけだ。

 このような聖母マリア崇敬が、母親や年配の女性に対する敬意を生み、レディーファースト文化へと発展した。


 もうお分かりだろう。ドラえもんは、なんだかんだ言いながら、出来の悪い息子(のび太くん)の願いを聞き入れ、これを助け守る母親のような存在であって、聖母マリアとイメージがオーバーラップすると言うと言い過ぎかもしれないが、聖母マリア崇敬が行われているカトリック諸国では、少なくともドラえもんのような存在が受け入れられる素地があるのだ。

 換言すれば、カトリックでは、聖母マリア崇敬により、母親に甘えることが許されているのに対して、一人ひとりが直接神と向き合わねばならないプロテスタントでは、甘えることが許されないのだ。

 それ故、聖母マリア崇敬が認められているカトリックの「イタリア・スペイン・ポルトガル」では、のび太くんに甘い母親の如きドラえもんが人気なのだと思われる。


 なお、同じラテン系のフランスでドラえもんが不人気なのは、フランス革命によってカトリックの坊さんたちを殺しまくって、個人主義の国になり、子供といえども自立・自律しなければならず、甘えることが許されないからだ。


 素人考えなので、間違っているかも知れないが、中らずと雖も遠からずではないか。


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