ミス・フィンランドに選ばれた女性が、中国料理店で中国人と食事中に、両手で目を吊り上げる写真を撮って、これを投稿したところ、アジア人に対する差別だとして、ミス・フィンランドの称号を剥奪され、移民に反対する右派政党の議員たちが同様に吊り目の写真を投稿して火に油を注いだことから、フィンランドのオルポ首相が、中国語・朝鮮語・日本語で謝罪文を投稿する大問題に発展した。
駐日フィンランド大使館のfacebookに投稿されたオルポ首相の声明
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私は一年前、日本を訪問する機会に恵まれました。日本、そして日本の皆様に対して深い尊敬を抱いています。フィンランドと日本は、長年の良好な関係を築いています。
個々の国会議員による最近の侮辱的なソーシャルメディアの投稿に対して、心からお詫び申し上げます。こうした投稿は、平等とインクルージョンを大切にするフィンランドの価値観を反映していません。
人種差別、あらゆる差別は、フィンランド社会にあってはならないものです。フィンランド国内、そして国外にいるすべての友人に向けて、フィンランド政府は人種差別を真剣に受け止め、この問題と闘う決意をお伝えします。フィンランドは常に、改善に向かって尽力します。この点において、政治家には模範となる責任があります。
連立政権を組む政党の会派代表は、個々の議員による行為について議論しました。会派代表は共同で、侮辱的で不適切な行為を非難しています。
フィンランド共和国首相
ペッテリ・オルポ
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海外サイトでも、この問題が話題になり、フィンランド人から「吊り目は日本人を対象としたものではない」・「フィンランド人は日本が大好きだ」などの投稿があった。
しかし、私が海外サイトを見て興味深かったのは、フィンランド人が、北欧諸国や西欧諸国の人々から、いまだにFingoliaフィンゴリアと呼ばれていることだった。
かつてフィンランドがモンゴル帝国に支配され、モンゴル人の血が入ったことから、フィンランド人は、フィンランド+モンゴリア=フィンゴリアと呼ばれて、差別されていたそうだ。
そのため、北欧諸国や西欧諸国の人々から、「過去に差別の対象だった人々が今は差別を繰り返している」とフィンランドが批判されているわけだ。
フィンランドと同様に、かつてモンゴル帝国(元)に支配された韓国は、この問題に高い関心を寄せている。
日本人は、吊り目ではないから、フィンランド人が吊り目をしたからといって、差別されているという実感が湧かないけれども、現地で面と向かって吊り目ポーズをされたら、不愉快な気持ちになるかも知れない。
下記の記事によると、実際、ヨーロッパではアジア人への侮辱がタブーだとは思われていないらしい。
以前、このブログに書いたと思うが、戦前から欧米では人種差別が酷くて、黄禍論が席捲していた。
第一次世界大戦後のパリ講和会議において、我が国は、世界で初めて人種差別撤廃を主張し、国際連盟規約に人種差別の撤廃を明記するよう提案したが、国際連盟委員会の議長を務めたウッドロウ・ウィルソン米国大統領が「全会一致でないため提案は不成立である」と宣言して、規約改定に至らなかった。
戦後80年しか経っていないのだから、欧米人の深層心理が急に変わるはずもない。テレビでは、日本礼賛の番組が多いが、欧米人の日本礼賛を鵜呑みにしてはならない。すべての欧米人が快く思っているとは限らないのだ。
上記の記事は、「日本人は東アジアの人々と連携して「相手が謝罪するまで譲らない」スタンスを貫くべきです」と主張するのだが、日本人とは異なる発想だ。日本人を巻き込まないでほしいものだ。
欧米では、中国人や韓国人の観光客に対する批判が凄まじい。吊り目ポーズをされたり、「チンチャンチョン」・「チャンチュンチョン」と呼ばれたりするのには、全く理由がないわけではないからだ。
日本人を名指しした差別的言動に対しては、人種差別撤廃条約を根拠に、毅然たる態度で抗議をすべきだが、今回の件について、欧米人のフィンランド人に対する差別すら解消されていないのに、嫌われている中国人や韓国人と連携してくだらない論争を引き起こし、対立を激化させ、わざわざ日本人に対する敵愾心(てきがいしん)を煽る必要はない。
開国以来、先人たちが行ってきたように、現地の風俗習慣等の文化を尊重し、誠実かつ行儀良く行動するとともに、立派な業績をあげる、すなわち言葉ではなく態度・実績で示すことによって、結果的に日本人に対する畏敬の念を抱かせるのが日本人らしくてよいと思う。
人種差別が激しい米国で、批判や反論を一切することなく、大谷翔平選手が模範を示してくれている。
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