法令の「施行」の読み方としては、「しこう」、「せぎょう」又は「せこう」のいずれが正しいのか?

 我が国に仏教と共に漢字がもたらされた際の音読みは、呉音(ごおん)であったが、その後、遣隋使・遣唐使が帰国して漢音がもたらされたことから、漢字の音読みが混乱した。


 そこで、延暦11年(792年)、桓武天皇は、「勅。明経之徒、不可習呉音。発声誦読、既致訛謬。熟習漢音。」という漢音奨励の勅を出して、漢音で統一するよう努められた。

 勅(ちょく)す。明経(めいけい)の徒(と)は、呉音を習うべからず。発声・誦読(しょうどく)は、すでに訛謬(かびゅう)に致(いた)せり。漢音を習熟せよ。(読み下し文:久保。)

 みことのりする。論語や孝経などの経書(けいしょ)を学ぶ者は、呉音を習ってはならない。発声や声を出して本を読むことが、(呉音によって)あやまりになってしまった。漢音に慣れて十分に会得せよ。(意訳:久保。)


 しかし、呉音に慣れ親しんだ僧侶が抵抗したため、平安時代以降、日常生活に定着している漢字やお経などの仏教関連は呉音で、それ以外は漢音で読むしきたりになった(もっとも、例えば、「和尚」は、真言宗では呉音で「わじょう」、天台宗では漢音で「かしょう」、浄土宗では唐宋音で「おしょう」と呼ぶそうである。)。


ex.1色(訓読みは、「いろ」。)

   呉音:しき 色即是空(しきそくぜくう)(『般若心経(はんにゃしんぎょう)』)

   漢音:しょく 巧言令色(こうげんれいしょく)(『論語』)


 幕末・明治に翻訳された西洋の学術用語や法令用語も、長年のしきたりに従って、通常、漢音で読まれている


  ex.2施(訓読みは、「ほどこす」。)

   呉音:せ お布施(ふせ)、施主(せしゅ)、施工(せこう)(土木建築関係の用語は、仏教建築に由来するものが多く、呉音で読むことが多い。)

   漢音:し 実施(じっし)、施策(しさく)、施行(しこう。呉音で「せぎょう」と読むと、僧や貧しい人々に施しを与える意味になる。)


  戦後、再び漢字の音読みが乱れているが、法令の「施行」は、漢音で「しこう」と読むのが正しい。「執行」と発音が似ていて紛らわしいためであろうか、「せこう」と読む人がいるが、「施工」と同じ発音になって、かえって紛らわしいので、正しく「しこう」と読むべきである。


 同様に、「競売」は、漢音で「けいばい」と読むのが正しい(「競」は、呉音では「ぎょう」であって、「きょう」は慣用音である。)。

 ところが、NHKは、「きょうばい」の読みで統一しており、音読みの乱れに拍車をかけている。

 NHK放送文化研究所(メディア研究部・放送用語 豊島 秀雄氏)によると、

「「きょうばい」は一般用語で、「けいばい」は法律用語です。放送では、法律関係のニュースでも「きょうばい」と読んでいます。」、「「競売」の読みについては、関連のニュースが出るたびに、放送現場や視聴者から「きょうばい」か「けいばい」か問い合わせがあります。かつて NHKでは、絵画や骨とう品の競り売りをさす一般的な「競売」は「きょうばい」、競売法による不動産競売といった法律用語の場合は「けいばい」と使い分けていました。しかし、1898年(明治31年)につくられた競売法(けいばいほう)は、民事執行法に吸収・統合されるなどして、「けいばい」という読み方が一般の人にはなじみがなく分かりにくいことから、放送では現在「きょうばい」の読みで統一しています。ただし、法律の専門家の間では「けいばい」が使われています。専門家特有の読み方は、一般にはなじみがうすいので、できるだけ避けたいものです。また、専門的な番組でやむをえず使う場合でも、ひとこと言い添える工夫が必要です。(NHKことばのハンドブックP51参照)」

(NHK放送文化研究所のHPより引用)。

「競売」の読みは、「きょうばい」?「けいばい」? | ことば(放送用語) - 放送現場の疑問・視聴者の疑問 | NHK放送文化研究所

Q:「競売」の読みは、「きょうばい」「けいばい」どちらでしょうか。A:「きょうばい」は一般用語で、「けいばい」は法律用語です。放送では、法律関係のニュースでも「きょうばい」と読んでいます。解説:「競売」の読みについては、関連のニュースが出るたびに、放送現場や視聴者から「きょうばい」か「けいばい」か問い合わせがあります。かつて NHKでは、絵画や骨とう品の競り売りをさす一般的な「競売」は「きょうばい」、競売法による不動産競売といった法律用語の場合は「けいばい」と使い分けていました。しかし、1898年(明治31年)につくられた競売法(けいばいほう)は、民事執行法に吸収・統合されるなどして、「けいばい」という読み方が一般の人にはなじみがなく分かりにくいことから、放送では現在「きょうばい」の読みで統一しています。ただし、法律の専門家の間では「けいばい」が使われています。専門家特有の読み方は、一般にはなじみがうすいので、できるだけ避けたいものです。また、専門的な番組でやむをえず使う場合でも、ひとこと言い添える工夫が必要です。(NHKことばのハンドブックP51参照)

www.nhk.or.jp


 なお、呉音と漢音の見分け方には、次のような法則があるそうである。

1 ナ行で始まる音読みとザ行で始まる音読みの2つがある場合、ナ行の方が呉音、ザ行の方が漢音である。

例:日=ニチ・ジツ、然=ネン・ゼン、若=ニャク・ジャク

2 ナ行で始まる音読みとダ行で始まる音読みの2つがある場合、ナ行の方が呉音、ダ行の方が漢音である。

例:男=ナン・ダン、女=ニョ・ジョ、怒=ヌ・ド

3 マ行で始まる音読みとバ行で始まる音読みの2つがある場合、マ行の方が呉音、バ行の方が漢音である。

例:米=マイ・バイ、万=マン・バン、美=ミ・ビ

4 同じ行の濁音(ガ行・ザ行・ダ行・バ行)で始まる音読みと清音(カ行・サ行・タ行・ハ行)で始まる音読みの2つがある場合、濁音の方が呉音、清音の方が漢音である。

例:極=ゴク・キョク、成=ジョウ・セイ、白=ビャク・ハク

5 チで終わる音読みとツで終わる音読みの2つがある場合、チの方が呉音、ツの方が漢音である。例:一=イチ・イツ、八=ハチ・ハツ、質=シチ・シツ

http://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0075/


 学生時代に、先生から当てられて日本国憲法第95条を読むようにと言われたので、同条の「一」をついうっかり「イチ」と読んだら、「馬鹿!」と叱られた。「イチ」は呉音だからである。漢音で「イツ」と読むのが正しい。

cf.日本国憲法第九十五条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。





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