以前、iPadminiで戦艦ゲームをしたことがある。いわゆるソシャゲーだ。同じチームの中に、船舶免許を持っている人がいたので、海上交通のルールを教えてもらった。これがきっかけで、海上衝突予防法(昭和五十二年法律第六十二号)の存在を知り、その歴史を遡(さかのぼ)っていくうちに、かつて大変ユニークな法令があったことを知った。
開国後、国内外の船の往来が増加し、海難事故に遭遇する船舶が多かったため、衝突予防のために、我が国で最初に制定されたのが郵船商船規則(明治三年太政官布告第五十七号)である。この規則は、民部省と外務省が所管しており、航法や衝突責任に関する規定がなかった。
そこで、海軍省の建議により、明治5年(1872年)7月に、英国の海上衝突予防規則(Regulations for Preventing Collisions at Sea)を模範として、「船燈規則(明治五年太政官布告第二百九号)」が定められた。これが海上交通の安全を図る目的で制定された最初の近代的な法律であると言える。
しかし、この船燈規則には、図解が載っているとはいえ、条文が抽象的であるため、理解しにくかった。
そこで、1868年に英国の海上衝突予防規則が改正されたことに伴って、 明治7年(1874年) に船燈規則が改正され、「海上衝突豫防規則」(明治七年一月十八日太政官布告第五号)」となった。
この「海上衝突豫防規則」は、船燈規則と基本的には内容が同じであるが、海軍省が分かりやすい表現形式を採用しているのが特徴だ。
すなわち、縦書きで、全ての漢字の右側に平仮名でルビが振ってあり、左側に平仮名で説明が付けられている。
例えば、「海上衝突豫防規則」という題名には、右側に「かいじやうしようとつよぼうきそく」とルビが振られ、左側に「うみのうえつきあたりようじんのきまり」と説明がなされている。
しかも、この規則の後ろに付けられた「海上衝突予防規則附言(かいじやうしようとつよぼうきそくふげん)」には、なんと和歌と暗記術まで載せる念の入れようだ。
※ 「海上衝突予防規則附言」の左側には、「うみのうえつきあたりようじんのきまりつけことば」と説明が付されている。
「檣頂(しやうちやう)の白燈(はくとう)及(および)左右(さいう)の紅緑燈(こうりよくとう)を能(よ)く記憶(きおく)する為(ため)の歌(うた)あり」
※ 「檣頂」の左側には、「ほばしらのさき」と説明が付されている。
「白燈」の左側には、「しろとうろう」と説明が付されている。
「左右」の左側には、「ひだりみぎ」と説明が付されている。
「紅緑燈」の左側には、「あかあをとうろう」と説明が付されている。
「記憶」の左側には、「おぼへる」と説明が付されている。
「大船(おほふね)にともすともしび上(うへ)は白(しろ)
みぎは美とりに左(ひだり)くれない 」
「此歌(うた)を暗記(あんき)し置(おく)へし。但(ただ)し、みぎの美の字(じ)は、ミどりのみの字(じ)なれば、覚(おぼ)へ易(やす)し。又(また)英(えい)亜(あ)等(とう)にては、「ポート、ワイン」ポート産(さん)の赤酒(せきしゆ)は、赤しと云ふことを記憶(きおく)すべしと云へり。是(こ)れ左舷(ポート)と「ポート、ワイン」の語(ご)よく対(たい)して共(とも)に赤(あか)きを以(もつ)てなり。」(句読点:久保)
※ 「暗記」の左側には、「そらんずる」と説明が付されている。
「英亜」の左側には、「イギリスアメリカ」と説明が付されている。
「赤酒」の左側には、「あかざけ」と説明が付されている。
「記憶」の左側には、「おぼへる」と説明が付されている。
「左舷」の左側には、「とりかち」と説明が付されている。
大型船舶の船長や航海士だけでなく、漁師や船頭に至るまで、「海上衝突豫防規則」を周知徹底させる必要があったことから、このように細かいところまで意を用いたのだろう。
現在、和歌や暗記術を載せた法令案や条例案を提出したら、「ふざけるな!」と厳しい叱責を受けるだろうが、海上交通の安全を守りたいとの一心で、表現形式にも気を配った「海上衝突豫防規則」を制定した明治の人に拍手を送りたい。
この点に関連して、下記の記事が気になった。リンクが切れているので、後学のために、スクショを貼らせていただく。
条例が周知せずに有名無実化とは。。。
政策法務でよく言われることだが、他所の自治体がやっているから、ウチもやろうということで、ベンチマークとは名ばかりのコピペをして条例を安易に立案してはならないのだ。立案の段階から周知徹底せんとする明治の人の心意気・情熱を見習って欲しいと思うのは、私だけだろうか。
それにしても、率先垂範すべき市職員が条例違反をしているとは情けない。
https://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/202001/20200101_11012.html
なお、「海上衝突豫防規則」は、国立国会図書館デジタルコレクションの『法令全書. 明治7年』に収められている。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787954
<追記>
ネットでたまたま下記の看板を見つけた。
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