アメリカ合衆国のバージニア州立ジョージメイソン大学経済学部教授アレックス・タバロック(Alex Tabarrok)氏の「意図せざる結果の法則」(The Law of Unintended Consequences)というエッセーを読んだ。下記のリンクをクリック。
タバロック教授が冒頭に挙げているダブナー(Stephen Dubner『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』の著者兼編集者)とレヴィット(Steven Levittシカゴ大学経済学部教授)の「意図せざる結果の法則」の実例3つは、『超ヤバい経済学』(東洋経済新報社)に載っていた。要約すれば、以下の通りだ。
①「障害を持つアメリカ人法」(ADA)は、障害を持つ被雇用者を差別から守るために作られた法律なのに、この法律が施行されると、雇用主は、障害者を雇うとろくに仕事をしなくても罰を与えたり首にしたりできなくなるんじゃないかと心配して、最初から障害者を雇わなくなったため、この法律のおかげで障害者雇用が減ってしまった。
②「絶滅の危機に瀕する種の保存に関する法律」は、絶滅危惧種を保存するために作られた法律なのに、絶滅危惧種に指定された動物の住処に適した土地の所有者は、絶滅危惧種の動物に住まれたらたまらないと思って、木を伐採して生息地に相応しくない土地にしてしまった。環境経済学者の中には、絶滅の危機に瀕する種の保存に関する法律は、種を保存するよりも種を絶滅に追いやっていると主張する人がいる。
③旧約聖書に記されたユダヤの律法は、債権者に安息年に、つまり7年ごとにすべての債権を放棄しなければならないとして、借金棒引き制度を定めていた。この制度は、借金を返済しないと非常に重い罪に問われるため、借金の返済に苦しむ貧しい人々の救済を意図していたが、その意図に反して貧しい人々の立場を悪化させる結果につながった。貸し手たちは、制度の裏をかいて、安息年のすぐ後にお金を貸して、5年目・6年目に貸し渋りをするようになったからだ。
似た実例ならば、我が国にもある。木材不足を補うため、昭和25年(1950年)に制定された「造林臨時措置法」を契機に、成長が早い杉や檜の植林が強力に進められた。我が国の国土の3分の2は森林なのだが、そのうちのなんと4割が杉や檜の人工林になってしまった。すでに伐採適齢期になっているのに、伐採しても輸入木材との価格競争に勝てないため、伐採されずに放置されている。手入れがなされないために、根が十分に張れずに、台風や大雨があるたびに流木となって甚大な被害を与えているのみならず、花粉症が国民病になってしまった。
cf.造林臨時措置法(昭和二十五年法律第百五十号)
(目的及び趣旨)
第一条 この法律は、森林資源を培養して国土の保全を図るため急速に森林を造成することを目的とする。
2 この法律の規定に基く行政権の発動は、前項の目的を達成するため必要な程度に限定されるべきであつて、これを濫用してはならない。
3 政府は、造林に関する補助金の交付、資金の融通、苗木の確保その他の施策の実行に当つては、この法律に基く造林の実施を確保するように努めなければならない。
タバロック教授によると、このような「意図せざる結果の法則」は、単純なシステム(政治システム)が複雑なシステム(人間社会や生態系)を規制しようとしたときに起こるそうだ。
人間は無知であり、乏しい情報しか有しない以上、政府が人間社会や生態系を思い通りにコントロールすることはできないから、タバロック教授の言う通りだろう。このことは、オーストリア経済学の重鎮ミーゼスやハイエクが社会主義・集産主義・計画経済が破綻することを理論的に証明し、実際にソ連や東欧諸国が崩壊したことで歴史的にも証明されていることからも明らかだ。
ただ、タバロック教授は、「意図せざる結果の法則は、政府が複雑なシステムを規制しようとしてはならないことを意味するのか?」と自問し、「いいえ、もちろんそうではないが、規制当局は謙虚である必要があり(人間と社会を作り直そうとしないこと)、複雑なシステムに対する規制には高いハードルを課すべきだ。」と自答している。
この点に関連して、下記の記事が気になった。Yahoo!も京都新聞もリンクが切れているので、後学のために、スクショを貼らせていただく。
京都市は、条例を改正して、その規模にかかわらず市内に新設される宿泊施設すべてを対象にバリアフリー化を義務付けるそうだ。
この条例は、「二重目的条例」又は「二重効果条例」とでも呼ぶべきものであって、表向きの目的は、バリアフリー化だが、真の目的は、観光客増加に伴う宿泊施設の建設ラッシュに歯止めをかけることにある。
神の見えざる手による予定調和(需要と供給のバランス)に委ねるべき経済活動に対して、賢(さか)しらな規制を加えると、「意図せざる結果の法則」が発動するかもしれない。
例えば、身体障害者や高齢者の観光客が急増して、いわゆる「観光公害」が激化し、宿泊施設がさらに増加するかもしれないし、逆に、神社仏閣等の観光地のバリアフリー化が進まなければ、身体障害者や高齢者の観光客が増えないため、宿泊施設のバリアフリー化は建設コストの増加を招くだけになり、老朽化した既存の宿泊施設の建て替えが進まずに、建設コストが安い京都市周辺の自治体に宿泊施設が新設され、宿泊客を奪われるかもしれない。今後の動向に注目したい。
「シナリオ気にしてちゃ恋はできない
一秒のはずみでラストも変わる」
というのは、寺尾 聰の『予期せぬ出来事』の一節だ。
恋ならば「予期せぬ出来事」もいいだろうが、規制によるネガティブな「予期せぬ出来事」は願い下げだ。
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