外国に対して侮辱する目的で、外国の国旗を破いたり、燃やしたり、踏みつけたりすると、その外国の国旗が他人所有か自己所有かにかかわらず、外国国章損壊罪(刑法第92条)に問われることになる。
ところが、日本の国旗について同様の行為をした場合、その国旗が他人所有のときには、日本国に対して侮辱する目的かどうかにかかわらず、器物損壊罪(刑法第261条)に問われるのに対して、それが自己所有のときには、そもそも処罰規定がないので、罪に問われることはない。
そこで、平成24年(2012年)5月19日に提出し、衆議院解散に伴い審議されずに廃案になった日本国旗損壊等の罪を新設する刑法の一部改正法案を、自民党の高市早苗衆議院議員が中心になって再提出するらしい。
高市議員の主張は、下記の通りだ。
平成24年に提案された際に、日本弁護士連合会が「国旗損壊罪」の法制化に反対する声明を出している。
私は、自民党の党員・党友でもなければ、いわんや高市議員の支持者でもない。また、日弁連とは一切無関係だ。
武漢ウイルスのせいで仕事が激減し、引きこもり生活が続いているので、頭の体操として、上記日弁連の反対声明について、少し検討してみようと思う。
1 外国国章損壊罪の保護法益は、何か。
cf.1刑法(明治四十年法律第四十五号)
(外国国章損壊等)
第九十二条 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。
cf.2日本国旗損壊等の罪を新設する刑法の一部改正法案
「日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処すること」
日弁連は、「刑法における外国国章損壊罪が規定された理由は、それらの罪に当たる行為が外国を侮辱するものであることから、国際紛争の火種となり、外交問題にまで発展する可能性があり、ひいては日本の対外的安全と国際関係的地位を危うくするからとされている。」と述べている。
要するに、外国国章損壊罪の保護法益は、国家主義的見地から、日本国の対外的安全と国際関係的地位だというわけだが、これは少数有力説にすぎない。
外国国章損壊罪の内容が、直ちに「日本の対外的安全と国際関係的地位を危うくする」ようなものを含まないこと、外国政府の請求が訴訟条件になっていることから、国際主義的な見地から、外国の法益(外国の国家的名誉)を保護するものだと解する通説が妥当だ。
2 「国旗損壊罪」の保護法益は、何か。
日弁連は、「上記「国旗損壊罪」の保護法益は明確でないが、少なくとも外国国章損壊罪と同様の保護法益が存在しないことは明らかである。」と述べている。
要するに、外国国章を損壊する行為は、外交問題になり得るが、自国の国旗を損壊する行為は、あくまで国内問題にすぎないから、「国旗損壊罪」には、外国国章損壊罪と同様の保護法益が存在しないというわけだ。
しかし、1で述べたように、外国国省損壊罪の保護法益は、外国の「国家的名誉」だと解すべきであり、我国にも外国と同様に「国家的名誉」がある以上、「国旗損壊罪」は、外国国章損壊罪と同様の保護法益が存在していることは明らかだ。
そもそもフランス、ドイツ、イタリア、アメリカ、韓国、中国も、自国の国旗を損壊する行為を処罰する旨の規定を設けているが、日弁連の考え方に従えば、これを上手く説明できない点でも、日弁連の主張は、妥当でない。
3 「国旗損壊罪」は、「刑罰をもって国民に」「国家の威信や尊厳」を強制するものなのか。
日弁連は、「国家の威信や尊厳は本来国民の自由かつ自然な感情によって維持されるべきものであり、刑罰をもって国民に強制することは国家主義を助長しかねず、謙抑的であるべきである。」と主張している。
しかし、1で述べたように、日弁連は、国家主義的見地から、外国国章損壊罪の保護法益を国家の対外的安全と国際関係的地位だと主張しながら、他方で、「国家主義を助長」することはけしからぬと支離滅裂なことを主張していることに気付いていない。
そもそも「国旗損壊罪」は、「日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損」する行為を処罰するものにすぎず、「刑罰をもって国民に」「国家の威信や尊厳」を強制するものではない。
よほど日本国の国旗が恐ろしいのか、はたまたこれを憎悪しているだろうか、又は日章旗の下に日本国民が一致団結することを恐れ、これを阻止したいのかは知らぬが、「国旗損壊罪」が新設されると、刑罰をもって日本国の国旗に対して最敬礼のようなことを強いられると勝手に誇大妄想して、反対しているような印象を受ける。
4 「国旗損壊罪」は、表現の自由を侵害するおそれがあるのか。
日弁連は、「同法案は、損壊対象の国旗を官公署に掲げられたものに限定していないため、国旗を商業広告やスポーツ応援に利用する行為、あるいは政府に抗議する表現方法として国旗を用いる行為なども処罰の対象に含まれかねず、表現の自由を侵害するおそれがある。」と主張する。
しかし、「損壊対象の国旗を官公署に掲げられたものに限定していない」のは、私人が掲揚した国旗に対する侮辱目的の損壊等の行為によって、日本国の国家的名誉が害されることがあるからであり、また、本罪が目的犯である以上、このように解しても、必ずしも不当に処罰範囲が拡大するおそれもないからだ。
また、「国旗損壊罪」は、「日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損」する行為を処罰するものにすぎず、「国旗を商業広告やスポーツ応援に利用する行為、あるいは政府に抗議する表現方法として国旗を用いる行為」自体を処罰対象にしているわけではない。
さらに、そもそも表現の自由といえども、絶対無制約というわけではなく、他人の名誉を毀損したり侮辱したりすることが許されるわけではない。名誉毀損罪(刑法第230条)や侮辱罪(刑法第231条)の「人」には法人も含まれ、法人に対する名誉毀損罪や侮辱罪が成立すると解されているが、名誉毀損罪も侮辱罪も個人的法益に対する罪であることから、日本国に対してはこれらの犯罪は成立しない。
そこで、これを補完するものとして「国旗損壊罪」は、日本国の国家的名誉を守るために、「日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損」する行為に限定した上でこれを処罰するものにすぎず、それ以外の日本国に対する侮辱的表現行為を処罰するものではないから、表現の自由を不当に侵害するおそれはない。
日弁連は、現在の政府こそが国家的名誉を損ねていると抗議する表現方法として、国旗を損壊するなどの行為は有効な手段だ、と考えているのかも知れない。
しかし、国旗が象徴する国家というのは、過去・現在・未来を含む概念であって、現在の政府のみを指すものではない。国家は、消滅することを前提としたものではなく、未来永劫存続することを前提としているからだ。
現在の政府が気に入らないからといって、かかる国家を象徴する国旗を損壊するなどの行為をすることは、全くのお門違いであって、先人たちが築き上げ、我々が維持発展させ、子孫に伝えるべき日本国の国家的名誉を侮辱する行為を正当化するものではない。
5 アメリカ合衆国連邦最高裁判決について
日弁連は、「この点、米国では、連邦議会が制定した国旗保護法の適用に対し、連邦最高裁が「国旗冒とくを罰することは、この象徴的存在をかくも崇敬され、また尊敬に値するものとせしめている自由を弱体化させる」として、違憲とする判決を1990年に出している。」と主張している。
オスプレイなどに関し反米的なスタンスをとる日弁連が、臆面もなく、まるで錦の御旗か水戸黄門の印籠の如く、アメリカの連邦最高裁判決を引用しているので、思わず吹き出しそうになった。
日弁連は、アメリカ合衆国連邦最高裁が政治的に中立で、その判決には普遍性があると考えているわけではあるまい。また、日弁連は、日本がアメリカの51番目の州だと考えているわけでもあるまい。
日本国の国家的名誉を侮辱する目的で日本国の国旗を損壊するなどの行為が表現の自由として保護に値するかという内政が問題となっているのであって、アメリカは無関係だ。
日弁連のために参考までにご紹介すると、この1990年判決の1年前に、アメリカ合衆国連邦最高裁は、「テキサス州対ジョンソン事件」で、抗議目的でアメリカ国旗を焼却した人を処罰したテキサス州法を「違憲」としている。
「テキサス州対ジョンソン事件」とは、何か。ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典によると、「1989年6月21日,アメリカ合衆国最高裁判所が,アメリカ国旗を燃やす行為について,アメリカ合衆国憲法修正第1条のもと言論の自由として保障されるという判断を示した裁判。1984年8月,テキサス州ダラスで開催されたアメリカ共和党全国大会の会期中,ロナルド・ウィルソン・レーガン大統領の政策に抗議するために集まった人々のなかにいたグレゴリー・リー・ジョンソンが,市庁舎の前で国旗に灯油をかけて火を放った。ジョンソンは国旗冒涜を禁止するテキサス州法違反で逮捕され,罰金と禁固 1年の刑を言い渡された。判決は上告審であるテキサス州刑事上訴裁判所で,合衆国憲法修正第1条により「象徴的な言論は保障される」という根拠によって覆された。1989年3月に最高裁判所で口頭弁論が行なわれ,1989年6月,最高裁判所は州上告審の判断を僅差の 5対4で支持した。多数意見は修正第1条による言論の自由の保障を「根本原理」とみなし,政府は「観念の表現について,単に社会が当該観念を不快または好ましくないとの理由で」禁止することはできないとした。リベラル派判事として著名なウィリアム・ジョセフ・ブレナン・ジュニアが多数意見を書き,同じくリベラル派のサーグッド・マーシャル,ハリー・ブラックマンに加えて保守派のアンソニー・ケネディ,アントニン・スカリアも多数意見に加わった。」
この二つの判決は、いずれもソ連崩壊(1991年)以前の東西冷戦下になされた判決であって、現在、同種の裁判が行われた場合には、全く逆の結論になることが予想される。
2016年のアメリカ合衆国大統領選挙で、共和党のトランプ候補を勝利させるために、ロシアが工作したのではないかというロシア疑惑が浮上したように、冷戦終結後も盛んに様々な工作活動が行われているのだから、冷戦下ではソ連による対米工作が徹底的に行われていただろうことは容易に推測できるからだ。
ご存知のように、アメリカ合衆国連邦最高裁の判事は、9人で、多数決で判決が行われる。連邦最高裁判事は、終身職であって、原則として死亡するか、辞職する以外、交代することはない。それ故、保守派とリベラル派のいずれの立場に立つ判事が多数派を形成するかによって、司法判断は大きく異なることになる。そのため、連邦最高裁判事の指名は、極めて大きな政治問題になるわけだ。
昨年、すったもんだの末、アメリカ議会上院が、10月27日、本会議で、9月に死去したリベラル派のギンズバーグ連邦最高裁判事の後任として、トランプ大統領が指名した、保守派のバレット判事を賛成多数で承認したことが記憶に新しい。
バレット氏が連邦最高裁判事になったことで、保守派が6人、リベラル派が3人になったので、人工妊娠中絶、同性婚、銃規制の是非など、アメリカ社会を二分する諸問題に対する司法判断にも保守派の考えが色濃く反映されることだろう。
このようにアメリカ合衆国連邦最高裁は、決して政治的に中立な組織ではないから、その判決を金科玉条のように崇め立て、日本国内の問題に引用することには慎重であるべきだ。
なお、日本では、アメリカの「リベラリズム」は「自由主義」と訳されているが、これは誤訳であって、正しくは「左翼的自由主義」・「自由主義を騙る平等主義」と訳すべきだ。その実態は、弱者救済を叫んで大衆に迎合して権力を掌握し、いつも国策を誤る権力亡者の人権教徒だ。
例えば、日本を戦争へと引きずり込んで日米の多くの将兵を死なせ、日系アメリカ人を収容所に強制収容し、日系人部隊を最も過酷な激戦地に送り込み(日系人部隊は、アメリカ史上最も多くの勲章を授与され、その勇気と忠誠心を世に知らしめ、現在もアメリカ人達の尊敬を集めている。)、スターリンと意気投合してソ連を寝返りさせて、日ソ不可侵条約を一方的に破棄させ、中国残留孤児等の悲劇を生んだフランクリン・ルーズベルト大統領も、広島長崎への原爆投下を決定したトルーマン大統領も、リベラリズムの民主党だ。
二人とも、日頃の人道的な言動とは裏腹に、根っからのレイシストである点でも共通している。フランクリン・ルーズベルト大統領は、日本人の頭蓋骨は我々よりも約2000年発達が遅れており、日本が敗戦したら日本人と他の人種との交配を奨励すべきだと主張する人種改良論者であり、トルーマン大統領は、白人至上主義団体であるKKKに所属していたからだ。
6 国旗損壊罪の法制化に当たり戦争被害を受けた内外の諸国民の感情に配慮する必要があるのか。
日弁連は、「国旗損壊罪を制定している諸外国の中でも、ドイツやイタリアは第2次大戦中の国旗を現在は国旗として使用していないことを考慮すれば、第2次大戦中の国旗を現在も使用している日本においては、国旗損壊罪の法制化に当たり上記のように戦争被害を受けた内外の諸国民の感情に配慮する十分な理由がある。」と述べている。
昔、どこかで見たことがある論旨だなぁ〜と思って検索してみたら、国旗・国歌問題についての日本共産党の立場を表明した不破哲三氏の文章だった。一部引用させていただく。
「『日の丸』は、もっと古い歴史をもっていますが、国旗としては一八七〇年、太政官布告で陸海軍がかかげる国旗として定めたのが最初です。太平洋戦争中、侵略戦争の旗印となってきたことから、国民のなかに拒絶反応をもつ部分が大きくあり、現在でも国民的な合意があるとはいえません。外国でも、日本と同様、第二次世界大戦の侵略国であったドイツとイタリアでは、大戦当時と同じ旗を国旗としていません」
これらの文章は、ドイツとイタリアが、第二次世界大戦の反省に基づき国旗を変更したから、日本もこれを見習わなければならないかの如く、読者に誤った印象を与えるおそれがある。
ドイツは、神聖ローマ帝国→ライン同盟→ドイツ連邦→北ドイツ連邦→ドイツ国(帝政期→ヴァイマル共和政期→ナチス・ドイツ期)→連合軍占領期→ドイツ民主共和国(東ドイツ)とドイツ連邦共和国(西ドイツ)という風に、国が何度もコロコロと滅亡し、その都度国旗もコロコロ変わった。イタリアも同様だ。ドイツとイタリアは、第二次世界大戦の反省に基づき国旗を変更したのではなく、国が変わったから、国旗を変更しただけだ。
現在のドイツ連邦共和国の国旗は、ナポレオン軍と戦ったプロイセン義勇兵の軍服にちなんだものであって、1919年にドイツ連邦国旗として制定され、1949年に復活したものであって、戦争被害を受けたフランス国民の感情なんぞ一顧だにしていない。
建国以来、一度たりとも国が滅んだことがない日本が、なぜ何度も建国と滅亡を繰り返してきたドイツやイタリアを見習わなければならないのか。
そもそも日章旗を戦後も使用することを認めたのは、敵軍である連合国軍総司令官マッカーサー元帥なのだ。昭和24年1月、総司令官マッカーサーが「国旗掲揚制限解除」の年頭所管(覚書)を発表している。
「私は、貴方達が国旗を再び国内で何ら制限なく使用し掲揚することを許可する。私がこのような処置をとった理由は・・・この国旗が・・・平和の象徴として永遠に世界の前に翻(ひるがえ)ることを望むとともに・・・日本の政治的な自由を確信し保全するのに充分な日本経済を建設してゆく義務に向かって、日本国民の一人一人を奮い立たせる輝く導きの光として翻ることを心より念願するからである。」(所功著『国旗・国歌の常識』近藤出版社、114頁)。
敵軍の方がまともなことを言っている。
クラウゼビッツが言うように、戦争は政治(外交)の手段であり、当事国双方に言い分がある。不破氏は、日の丸が「太平洋戦争中、侵略戦争の旗印となってきた」と述べているが、そもそも先の大戦当時、侵略の定義が国際法上定まっていなかったし、日本は侵略するために戦争を遂行してきたわけではない。不破氏が1974年12月の国連総会で採択された総会決議3314を過去に遡及適用して、侵略戦争だと決めつけているのだとしたら、かかる解釈は、事後法の禁止に反する。
自国の国旗を定めることは、内政問題だ。戦争被害を受けた外国の国民感情を考慮に入れて国旗を定めた国があるならば、ぜひご教示いただきたいものだ。
過去の戦争をいつまでも引きずっていては未来志向の良好な国際関係を構築できないからこそ、講和条約等を締結するのであって、条約締結後も戦争被害を受けた外国の国民に感情的なわだかまり等があったとしても、国家間では最終的に解決済みなので、戦争被害を受けた外国の国民感情を考慮に入れて国旗を定めることは、逆に講和条約の趣旨を没却し、紛争を蒸し返すことになるから、そんな国はないのだ。
日本が「国旗損壊罪」を新設しようとしていることについて、公式の外交ルートを通じて抗議してきた外国があるならば、ぜひご教示いただきたい。一体どこの国の国民感情を考慮に入れろとおっしゃっているのか分からないからだ。
そして、不破氏は、「国旗としては一八七〇年、太政官布告で陸海軍がかかげる国旗として定めたのが最初です。」と述べているが、これは明らかな誤りだ。
明治政府が日章旗に関して初めて定めたのは、明治3年(1870年)1月27日、太政官布告第五十七号『郵船商船規則』であって、民間船舶は御国旗を必掲すべき旨を定めているからだ。その後で、不破氏が言う陸軍御国旗が明治3年5月15日、海軍御国旗が明治3年10月3日に、太政官布告によって定められている。
日弁連や不破氏は、どうしても日章旗を明治以降の戦争と結び付けたいようなのだが、史実と異なることを明らかにするために、少し説明する。詳しくは、古代から丁寧に様々な証拠を列挙して由来を解き明かしている前掲書をご一読いただきたい。
日章旗(日の丸)は、「中世の武士たちが私的な旗印として用い始めたが、近世初頭に朱印船などの船印としても使われるようになった。それが寛永の鎖国以後、いわば幕府専用の船印とみなされ、公的な権威をもつに至ったのである。」(前掲書92頁)。
そして、幕末、異国船と区別する必要が生じた。「かくて「日本総船印」は、島津斉彬の提案し水戸斉昭の強力に支援したとおりに「白地に日の丸幟」が公式に採用されるに至ったのである。当時の幕府は日本を代表する政府であり、そのころ対外的に国籍表示を必要とするものは、大船以外になかったから、ここに幕府が「日本総船印」として“日の丸”を採択したことは、その図案が日本の国旗として決定されたことを意味しよう。」(前掲書97頁。下線:久保)。
「しかも、安政六年(1859年)一月二十日に至って幕府から、
大艦ニハ御国総標ノ日ノ丸幟相立テ・・・候様、先年相達シ置キ候フ処、向後、御国総標ハ白地日ノ丸ノ旗、艫綱(ともづな)へ引キ揚ゲ、帆ハ白布相用ヒ・・・候フベキ事。
との触書が出されている(『徳川十五代史』所引)。つまり、ここで従来の「日本総船印」をより国旗に近い「御国総標」と改称し(「幟」も「旗」に直す)、またそれを船の中央でなく外国船舶のごとく船首の「艫綱」に掲げるよう変更したのである。これによって「白地日の丸ノ旗」は、国旗としての要件をほぼ具備するに至ったといえよう。」(前掲書98頁。下線:久保)。
「こうして「白地日の丸旗」は、日本を代表する「御国総標」の地位を確立した。しかもこれが程なく海を渡り、日本の国旗として晴れ舞台に立つに至った。その幕明けは万延元年(1860年)の遣米使節にほかならない。」(前掲書98頁。下線:久保)。勝海舟が艦長を務める咸臨丸には日の丸が掲げられ、サンフランシスコに入る際に、国際儀礼に従ってマストに星条旗を掲げて祝砲を発すると、碇泊していた他国の船もマストに日の丸を掲げて祝砲を放って歓迎の意を表した。また、ホワイトハウスで日米和親条約と日米修好通商条約の批准書を交換した記念に、日米双方から「国旗」の交換が行われている。
このように日章旗は、明治以降の戦争よりも前の江戸時代に確立し、先の大戦後も慣習法として国旗であり続け、平成11年に制定された国旗及び国歌に関する法律(平成十一年法律第百二十七号)によって国旗であることが再確認されたのだ。
cf.3国旗及び国歌に関する法律(平成十一年法律第百二十七号)
7 自民党案の問題点について
外国国章損壊罪(刑法第92条)は、外国の国旗「その他の国章」も対象になっているのに、自民党案の「国旗損壊罪」は、「その他の国章」が対象になっていないため、バランスを欠くから、「その他の国章」を追加すべきだ。
「国旗」は、国家を象徴するものとして定められた旗であって、国章の典型例だ。「国章」とは、国家を象徴する物件を意味し、国旗以外では、陸海空軍旗、元首旗、大公使館の徽章(きしょう)などがこれに当たる。
8 最後に
そもそも我国が、自国の国旗に対する毀損等の罪を定めていないのは、「自国の国旗に対する尊重は自明の常識として別に義務づけていない」からだ(前掲書7頁)。
江戸時代から、日章旗を大切にしていたから、「国旗損壊罪」を定める必要性がそもそもなかったのだ。
決して「日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損」する行為が表現の自由だと考えられてきたからではない。
ところが、「日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損」する行為は、表現の自由だとする非常識な言辞を弄する人権教徒が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、実際にかかる侮辱的行為が行われるようになったからこそ、自民党案が提出されようとしているわけだ。
人権を守れと言っている連中が、彼らの言う表現の自由を制限する原因を作っているというのは、皮肉なことだが、次々に国民の活動を規制する法律が制定されて、国民に法律の雨が降り注ぐことは、それだけ国民の自由を制限する口実を国家に与え、国民の自由が危険に晒されることになるから、彼らは、自らが理想とする全体主義国家へと近づくとでも考えて、内心ほくそ笑んでいるかも知れない。
表現の自由だなんだかんだと賢(さか)しらなことを言って世論を惑わさずに、国旗に対するマナーや常識を身に付けろと言いたい。
以上、頭の体操をしてきたが、個人的には、国旗である日章旗を大切にするという江戸時代から続く慣習法に国民みんなが従う方が、国家に頼って処罰規定を増やすよりも、表現の自由という国民権の保障の充実につながると考えている。
終わりに、国旗及び国歌に関する法律が制定された当時の小渕恵三総理の談話を載せて、締め括ることにしよう。
https://www8.cao.go.jp/chosei/kokkikokka/kokkikokka.html
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