今朝の朝日新聞朝刊の1面の見出し「男女平等 日本120位」「G7で最下位「政治」「経済」低迷」を見て、「ああ、今日はエイプリルフールか」と思った。
データの取り方や評価の仕方が無茶苦茶な世界経済フォーラム(WEF)の「男女格差報告書」を、真に受ける人なんているわけがないと思ったら、いた!四月馬鹿だ。
四月馬鹿の由来が気になった。Wikipediaによると、諸説あって、いまだに決着がついていないそうだ。
Wikipediaが引用しているPHP研究所の説明によると、「エイプリルフール「4月馬鹿」の由来 日本では「四月馬鹿」といって、罪のないウソをついてもいいとされる日。その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが、1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦の採用に踏み切った。これに反発した人々が、4月1日を「ウソの新年」として馬鹿騒ぎをするようになったのが、エイプリルフールの始まりとされる。また、別の説では、悟りの修行が春分の日から始まり、月末に終わるが、すぐに迷いが起こることから、4月1日を「揶揄節」と呼んでからかったことから、インドを起源とする説もある。」(下線:久保)
上記の下線部分を読んでも、いまいち分からない。仕方ないので、自分で色々調べてみたところ、ちょっとニュアンスが違っていた。
フランスでは、ユリウス暦(ユリウス・カエサル (英語名ジュリアス・シーザー)によって紀元前45年から導入された太陽暦)が採られていて、3月25日が元日で、4月1日は新年をお祝いする日だった。
ところが、1564年、シャルル9世が、ヨーロッパで初めてグレゴリオ暦を採用し、1月1日が元日になった。
しかし、王様が急に暦を変更しても、庶民がこれに慣れ親しむには時間がかかる。庶民は、従来通りに4月1日に新年のお祝いをし続けた。
そこで、新しい物好きの連中が、いつまで経ってもユリウス歴に従う頑迷固陋(がんめいころう)な庶民を4月1日に新年会に招待した。喜んで新年会にのこのこ出かけたら、会場の扉に「おめでとう!」と張り紙があるだけで、会場には誰もいなかった。
このように騙された庶民のことを、簡単に針に引っかかって釣れる魚に喩(たと)えて「Poisson d’avrilポワッソンダヴリル四月の魚」と呼んで、からかったそうだ。
子供騙しの悪戯(いたずら)がグレゴリオ暦の普及に一役買ったことから、毎年4月1日にたわいのない嘘をついても許される風習が始まったらしい。
これが「四月馬鹿」の由来に関する諸説の中で、一番もっともらしい説だそうだ。
調べる過程で見つけた昭和12年に出版された笠間杲雄 著『東西雑記帳』(中央公論社)に載っている「四月馬鹿」に関する嘘のような本当の話をご紹介しよう。詳しくは、スクショをご覧いただきたい。
英国の小説家・作曲家Theodore Hookセオドア・フックは、1809年4月1日、友人である小説家・建築家Samuel Beazleyサミュエル・ビーズリーと賭けをして、1週間でトッテナム夫人の家をロンドンで最も有名な家にしてみせると約束し、トッテナム夫人の名で手紙を出して、多くの人がトッテナム夫人の家に集まるのを、向かいの家から友人とともに見物していたそうだ。現代日本であれば、間違いなしに詐欺罪で逮捕され、莫大な損害賠償責任を負わされることだろう。
ところが、あまりにも多くの人が見事に騙されたので、セオドア・フックは、摂政からモーリシャスの会計総長に任ぜられたというのだから驚きだ。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1222039/51
私は、四月馬鹿よりも、Pat Booneパット・ブーンの「April Love四月の恋」(1957年)の方がよい。
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