今日、世界で広く行われている挨拶の仕方は、握手だ。現代日本で握手をするのは、政治家・芸能人・スポーツ選手ぐらいのもので、外国人と接する場合を除き、通常、一般人が握手をすることはない。言うまでもなく、日本では、お辞儀が挨拶の仕方だからだ。
では、なぜ、日本では握手ではなく、お辞儀が挨拶の仕方なのだろうか。
下記の瀧川政次郎(たきがわ まさじろう)國學院大学名誉教授のエッセーを読んで驚いたのだが、実は、昔、日本でも、握手が行われていたのだ!
記録に残っていないため、断言できないけれども、他の民族と同様に、握手が、ひょっとしたら元々は挨拶だったのかも知れない。
しかし、少なくとも上代以降、握手は、法的に特別な意味を持つ行為となり、その結果、支那(シナ。chinaの地理的呼称。)から入ってきたであろうお辞儀が挨拶の仕方として日本独自に発展したのではないかと思われる。
すなわち、昔は、契約のことを「ちぎり(契り)」といった。ちぎりは、てにぎり(手握り)が語源であって、「古え契約締結に当たって、契約当事者がお互いに手を握り合った習俗から生まれた言葉である。今日商人の行う手打ち及び小児の行う指切り玉切りは、恐らく上代の習俗を反映せる土俗であろう。」(瀧川政次郎『法史煩談』(時潮社、昭和9年)168頁。常用漢字・現代仮名遣いに改めた:久保)。
つまり、上代において、握手は、契約締結の要式行為として法的に特別な意味を持っていたわけだ。
ここに要式行為とは、「一定の事項を記載した書面によるとか、所定の手続によって届出をするなど、法令に定める一定の方式に従って行わないと不成立又は無効とされる法律行為」をいう(有斐閣『法律用語辞典第4版』)。
確かに、現代でも、「手を握る」は、「力を合わせて事にあたる。また、仲直りする。」という意味で用いられているし、逆に「手を切る」は、「関係を絶つ。縁を切る。」という意味で用いられていることから、握手が如何に重要な意味を持っていたかが窺える。
「この契約当事者が互いに手を握り合う慣習は、後に草又は紐を結ぶ慣習に変化して行った。何となれば、手を握りあった印象は、記憶の中から消え去ることはあっても、結んだ物は解けずにあるからである。奈良時代には、この物を結び合わせるという契約締結の要式行為が、まだ現に行われていたものと見えて、万葉集の中には約束又は誓いをするに当たって、木の枝、草の根等を結び合わせる歌が数多く見えている。即ち一巻之上には、
君が代も、我が代も知らむ磐代(いわしろ)の、岡の草根をいざ結びてな
とあり、二巻の中には、
磐代の、濱松が枝を引結び、まさきくあらば、又還り見む
とあり、又十二巻之中には、
妹が門、行き過ぎかねて草結ぶ、風吹き解くな、又還りみむ
とある。」(前掲書169頁)
契約当事者が握手をする慣習は、草又は紐を結ぶ慣習に変化するに伴って、次第に行われなくなり、おそらく草又は紐を結ぶ慣習がベースとなって、由来の異なる水引へと発展していったのだろう。
ちぎり(契り)という言葉も、時を経るにつれて、①約束、誓いという意味から、②(仏教思想で)前世からの約束、宿縁、因縁、運命→③縁、ゆかり、夫婦の縁→④男女の逢瀬、男女の交わりという意味へと変化していった。いやはや何とも艶(なまめ)かしい意味になったものだ。
ちなみに、「契約」という漢語が最初に用いられたのは、北魏の正史である『魏書』の「鹿悆(ろく よ)傳(でん)」だそうだ。
日本でも、この「契約」という言葉は、かなり古くから用いられていたようで、渡部万蔵『現行法律語の史的考察』(萬里閣書房、昭和5年)227頁によると、「此語辞は王朝時代より武家時代に至るも法令又は公文書に累々見受けられるが(太上法皇御受戒祀、後附。高野山文書、實簡集三十七。文禄四年御掟。寛文五年江戸老中連署条目寫)又約束と称えた例(天正二十年正月二十七日海路諸法度)もある」そうだ。
英語contract、フランス語のcontract、ドイツ語vertragの翻訳語として「契約」という漢語を最初に用いたのが誰であるかは不明だが(明治政府からフランス民法の翻訳を命じられた箕作 麟祥(みつくり りんしょう)先生か?)、艶かしい意味に変化してしまった「ちぎり(契り)」という言葉を翻訳語として用いるわけにはいかないので、よくぞぴったりの漢語を探し出して下さったものだと感心する。
今後は、契約を締結する際には、古式に則り、握手を交わすといいかもね♪
西洋かぶれと言われそうだが。
映画『大日本帝国』の主題歌で、五木ひろしの『契り』をどうぞ♪
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