クレジット その4

1 質屋の元祖

 前述したように、春に穀物の種を貸し付けて、秋の収穫時に利子を付けて穀物で返済することを出挙(すいこ)と呼んだ。

 当初は、国家が行う公出挙(くすいこ)が主流だったが、やがて民間でも貴族や寺院などが出挙を行うようになり、これを私出挙(しすいこ)と呼んだ。


 そして、貨幣が流通するようになると、資本を蓄えた元遣隋使・遣唐使の留学僧・留学生などが、金利計算ができる能力を活かして、支那(シナ。chinaの地理的呼称。)から学んだ(しち)を営むようになる


 平たく言えば、質というのは、貸主が借主にお金を貸す際に、返済の約束を守る担保として(借金のかたとして)、借主からその所有物(質物、しちぐさ)を預かって、返済期日を過ぎても借金の返済がない場合には、貸主の所有になり(質流れ)、借金を返済したことになるという消費者金融だ。


 なお、マニアックな話しをすると、中世までは、「質」という言葉は、現代の民法にいう質権(占有質。民法第342条)だけでなく抵当権(無占有質。民法第369条)をも含めて用いられたが、鎌倉時代には、両者を区別するため、前者を入質(いれじち)、後者を見質(みじち)又は差質(さしじち)と呼び、江戸時代には、質の語はもっぱら前者の意に用いられ、後者は書入(かきいれ)と呼ばれたそうだ。


cf.1民法(明治二十九年法律第八十九号)

(質権の内容)

第三百四十二条 質権者は、その債権の担保として債務者又は第三者から受け取った物を占有し、かつ、その物について他の債権者に先立って自己の債権の弁済を受ける権利を有する。

(抵当権の内容)

第三百六十九条 抵当権者は、債務者又は第三者が占有を移転しないで債務の担保に供した不動産について、他の債権者に先立って自己の債権の弁済を受ける権利を有する。

2 地上権及び永小作権も、抵当権の目的とすることができる。この場合においては、この章の規定を準用する。


2 サラ金も真っ青!

 少なくとも奈良時代からあった質屋は、かなりあこぎな高利貸しで、暴利を貪り、庶民を泣かせていたようで、例えば、宝亀十年(779年)、光仁天皇は、次のような詔勅を発せられている。


「 [天皇はつぎのように]勅した。

 近年、人民は競って利潤を求め、わずかの銭を[出]挙して、多くの利益をむさぼり得たり、重い負担のかかる契約を取り決め、無理やり質とした財産を取り立てたりしている。幾月も経たないうちにたちまち[利子は元本の]十割になる。困窮した民は償還のためますます家を滅ぼすようになる。今後、令の条文(雑令19公私以財物条)に拠って、利子は十割を超えてはならない。もし心を改めず、貸したり与えたりする者は、蔭(おん)や贖(しょく)[といった特典]を考慮ぜず違勅の罪を科し、ただちにその贓(ぞう。不正な手段で得た金品)を取り上げて、告げた人に与えよう。物の持ち主に対するだけではなく、質物を売った者もまた同様にする」

(直木孝次郎他訳註『続日本紀4』(平凡社東洋文庫)121頁)。


 養老令(ようろうりょう)の雑令(ぞうりょう)19公私以財物条では、複利計算が禁止されているのに、「幾月も経たないうちにたちまち[利子は元本の]十割になる」ということは、おそらく月単位で複利計算(重利計算)していたのだろう。

 しかも、養老令の雑令19公私以財物条では、年利十割を超えてはならないと定められているのに、わざわざ「今後、令の条文(雑令19公私以財物条)に拠って、利子は十割を超えてはならない」とおっしゃっているということは、十割を超える利率で利子を取っていたのだろう。


cf.2『続日本紀』巻第三十四 天宗高紹天皇(光仁天皇)

宝亀十年(七七九)九月甲午【廿八】○甲午。 勅曰。頃年百姓競求利潤。或挙少銭貪得多利。或期重契。強責質財。未経幾月。忽然一倍。窮民酬償。弥致滅門。自今以後。宜拠令条不得以過一倍之利。若不悛心。貸及与者。不論蔭贖科違勅罪。即奪其贓以賜告人。非対物主。売質亦同。


cf.3養老令の雑令

雜令十九 凡公私以財物出舉者。任依私契官不為理。每六十日取利。不得過八分之一雖過四百八十日不得過一倍家資盡者。役身折酬。不得迴利為霖本。若違法責利。契外掣奪。及非出息之債者。官為理。其質者。非對物主不得輙賣若計利過本不贖。聽告所司對賣即有乘還之。如負債者逃避。保人代償。

https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/rituryou/yourou/yourou.htm

 およそ公私が財物をもって出挙(すいこ。利子付き貸借のこと。)する者は、私的契約によるに任せ、(国は)管理をなさない。60日ごとに利子を取る。8分の1を過ぎることを得ず。480日を過ぎたといえども、一倍(100%のこと。)を過ぎることを得ず。家資(けし。家の資産のこと。)が尽きたならば、役身折酬(やくしんせっしゅう。債務不履行の債務者を働かせて弁済させること。)すること。利を廻(めぐら)して霖(ながあめ)の本(もと)となすこと(複利計算のこと)を得ず。もし法に違(たが)いて利子を責め(利子を請求すること。)、契約外の掣奪(せいだつ。私的差押のこと。)をした場合、及び、無利子の借金の場合は、官司(かんし。役人のこと。)が管理をなすこと。その質は、質物の持ち主に対するにあらざれば、輙(たやすく)売ってはならない。もし利子を合計しても本(もと)を過ぎないとき(質物の価格を超えないとき。)には、売らずに、所司(官庁の役人のこと。)に報告して、売ってよいかと聴くこと。余剰があれば、これを借主に返還すること。如(も)し債務者が逃避したら、保人(ほにん。保証人こと。)が代償すること。

 ※  下手くそなりに頑張って読み下し、訳してみた。疲れた。。。。しかし、「不得迴利為霖本」がよく分からない。「霖」(音読み:りん、訓読み:ながあめ)は、長く降り続く雨を意味する。長雨のように延々と繰り返し複利計算することを意味すると考えてみたが、間違っていたら、お許しいただきたい。

<追記>

 ネットで、訳を見つけたので、転載させていただく。

「公私が財物を出挙〔すいこ〕(=利子付き貸与)したならば、任意の私的自由契約に依ること。官司は管理しない。60日ごとに利子を取ること。8分の1を超過してはならない。480日を過ぎた時点で1倍(=100%)を超過してはならない。家資〔けし〕(=家の資産)が尽きたならば、役身折酬〔やくしんせっしゅう〕(=債務不履行を労働によって弁済)すること。利を廻〔めぐら〕して本〔もと〕とする(すなわち複利計算)してはならない。もし法に違反して利子を請求し、契約外の掣奪〔せいだつ/ひきうばい〕(=私的差し押さえ)をした場合、及び、無利子の負債(=債務不履行の際、役身折酬による弁済ができない)の場合は、官司が管理すること。質は、持ち主に対して売るのでなければ安易に売ってはならない。もし(特定期間内、令義解によれば480日+60日を過ぎて後に)、利子を合計しても本〔もと〕(質物の価格)に達しないときには、所司に報告して、持ち主に対して(?)売るのを許可すること。余りが出たならば返還すること。もし債務者が逃亡した場合、保人〔ほうにん〕(=身柄保証人)が代償すること。」

http://www.sol.dti.ne.jp/hiromi/kansei/yoro30a.html#19


3 懲りない面々

 光仁天皇が詔(みことのり)を発せられても、効き目がなかったようで、延暦二年(783年)、桓武天皇が再び勅令を発しておられる。

 天皇の国民に対する慈愛の強さとともに、法を守らぬ生臭坊主や役人に対する強い憤りが文面から伝わってくる。


「これより先、去る天平勝宝三年(七五一)九月の太政官符に[つぎのように]いっている。

 豊かで富んだ人民は銭や財物を出挙(すいこ)し、貧乏な人民は[それを借りるのに]宅地を質としている。[貸主が出挙した銭や財物を]強く取り立てる時になって、自分からその質物を償還に当て、[そのために]自分の本業を失ってしまい、他国に逃げて散り散りになる。今後は[このような害のある私出挙は]皆ことごとく禁止せよ。もし契約があり、その償還期限がきても、なお[本人の]希望にまかせて、[自分の家に]居住して、漸次に返済して償わせよ。

 ここに至って[天皇はつぎように]勅した。

 さきに禁断の命を出したが、まだすこしも懲り改めていない。いま京内の諸寺は、利潤を貪り求め、[人民の]宅を質に取ったり、利子を元本に繰り入れたり(複利計算をすることで、雑令20以稲粟条で禁止されている)している。それは三綱(さんごう。寺を管理・監督する役僧)が法を無視するだけではなく、官司もこれにおもねり寛大にあつかっている。どうしていったい、官吏たるの道がたやすく国法に違反し、出家したはずの僧侶のやからが、もう一度俗世間と結びつくのであるか。[出挙の利子は]多くの歳を経ても[元本の]一倍を過ぎてはならない。もしこれを犯す者があったら、違勅の罪を科して、官人はその現職を免じ、財貨は政府に没収しよう。」

(直木孝次郎他訳註『続日本紀4』(平凡社東洋文庫)224頁)。


cf.4『続日本紀』巻三十七 今皇帝(桓武天皇)

延暦二年(七八三)十二月戊申【六】○戊申。先是。去天平勝宝三年九月。太政官符称。豊富百姓。出挙銭財。貧乏之民。宅地為質。至於迫徴。自償其質。既失本業。迸散他国。自今以後。皆悉禁止。若有約契。雖至償期。猶任住居。令漸酬償。至是。勅。先有禁断。曾未懲革。而今京内諸寺。貪求利潤。以宅取質。廻利為本。非只綱維越法。抑亦官司阿容。何其為吏之道。輙違王憲。出塵之輩。更結俗網。宜其雖経多歳。勿過一倍。如有犯者。科違勅罪。官人解其見任。財貨没官。


cf.5養老令の雑令

雜令二十 以稻粟條:凡以稻粟出舉者。任依私契官不為理。仍以一年為斷。不得過一倍其官半倍。並不得因舊本更令生利。及迴利為靄本。若家資盡。亦准上條。

<追記>

「稲粟〔とうぞく〕を出挙したならば、任意の私的自由契約に依ること。官司は管理しない。そうして1年を1期間として判断すること。1倍(=100%)を超過してはならない。官司(の出挙)は半倍(=50%)すること。いずれも旧本〔くほん〕(=本〔もと〕の値)に従って?)、さらに利子を発生させたり、複利計算してはならない。もし家資〔けし〕(=家の資産)が尽きたならば、また上の条に準じること。」

http://www.sol.dti.ne.jp/hiromi/kansei/yoro30a.html#19


4 「質」の語源

 ところで、「質」という漢字には、

①もと。もとになるもの。ものの内容。中身。実体。「品質」「質量」「物質」

②生まれつき。もちまえ。たち。「資質」「体質」

③きじ。ありのまま。「質素」「質実」

④問いただす。「質疑」「質問」

⑤しち。約束や取り引きの保証として預けておくもの。かた。抵当。「質屋」「言質」

という意味がある(『角川新字源』)。


 『角川新字源』によれば、「貝(鼎(てい)〈かなえ〉の省略形)と、斦(ぎん)(二つのおのを並べた形)とから成る。かなえにおので文字を刻むことから、誓い・保証の意を表す。」とあるが、この説明は、⑤は上手く説明できるが、①を上手く説明できない。②・③・④は、①の派生だろう。

 私は、『学研漢和大字典』の説明の方が分かり易いと思う。

 すなわち、「斤(キン)は、重さを計る重りに用いたおの。質は、「斤二つ(重さが等しい)+貝(財貨)」で、Aの財貨と匹敵するだけなかみのつまったBの財貨をあらわす。名目に相当するなかみがつまっていることから、実質、抵当の意となる。」


 借金と借金のかたとして預かった質物は、重さが等しくなければならないのに、律令制時代の質屋は、わずかな借金を高利で複利計算して、暴利を貪り、高価な質物を手に入れていたわけで、「質」の原義から外れている。

 天皇がお怒りになられるのも当然だ。







 








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