婦人


 ここ最近、漢字のお話ばかりしているので、以前、「婦」という漢字が女性差別だと大きな話題になったことを思い出した。

 つい昨日のことのように思い出されるのだが、念のために、調べてみたら、32年も前のことだった!!苦笑

 そこで、お若い方のために、少し書いておこうと思った次第だ。


 「婦」が女性差別だという主張自体は、かねてから行われてきたが、世論を動かすきっかけとなったのは、下記の三井マリ子東京都議会議員(社会党)の発言だと思う。


 平成2年(1990年)9月14日 東京都議会 平成2年厚生文教委員会 三井委員

 「「婦人」に対しての対語というのはないわけですね。そしてまた、女性にほうきを持たせている婦人の「婦」という言葉は、性役割の撤廃という面から考えても非常に問題ある言葉だということは、女性学並びにそういう言葉の研究者からもつとに提言されていることでございますので、行政からまず率先して直していただくということが大事だと思います。  

 そしてまたそれが、「婦人」という言葉の中に私は入らないんじゃないかなと思っている女性に対して、あ、女性、私も女性なんだから、これは自分が受けられるかもしれないなあという気持ちを持たせることになって、それがまたこの婦人福祉資金への女性たちのアクセスを高めることになるわけですね。よろしくお願いします。」(下線・太字:久保)

http://www.metro.tokyo.dbsr.jp/index.php/3243090?Template=doc-one-frame&VoiceType=onehit&DocumentID=12195


 当時のマスメディアは、この発言を取り上げて、「婦」は、女性差別でけしからんという論調が主流だったが、私は、「アホか!現代の偏った価値観で過去を裁くな!そんなことを言い出したら、今後、「女」という漢字はもちろん、ほとんどの女偏の漢字が使えなくなるし、過去の書籍も書き換えなければならず、文化の破壊につながるじゃん。まあ、これが真の狙いなのだろうな。」と思っていた。


 しかし、この言葉狩りの力は、凄まじかった。例えば、女性を対象とした自治体の公の施設には、文部省系統の「婦人会館」、労働省系統の「働く婦人の家」、農水省系統の「農村婦人の家」があるが、いずれも「女性会館」、「働く女性の家」、「農村女性の家」に変更を余儀なくされたところが少なくない。


 自治体の公の施設の設置及び管理に関する事項は、条例で定めなければならない(地方自治法第244条の2第1項)。

 そこで、条例Webアーカイブデータベースで検索すると、条例で「婦人会館」と定めているのは、131件であるのに対して、「女性会館」と定めているのは、72件だ。同様に、「働く婦人の家」は、270件であるのに対して、「働く女性の家」は、46件だ。「農村婦人の家」は、216件であるのに対して、「農村女性の家」は、15件だ。


 これらの女性を対象とした自治体の公の施設は、男の私には無縁で立ち入ったことすらなく、その内部で具体的にどのような活動が行われているのかさえよく知らないが、連合軍の占領政策の一環として作られたことは知っている。二度とアメリカに逆らえないように日本文化を破壊するために、日本社会を支えている女性の意識を改革すべく設置されたのだ。

 その後、フェミニズムに基づいて「女性センター」や「男女共同参画センター」が設置されていった。これらの施設にあっては、当初から「婦人」という言葉は使われていない。

 条例で「女性センター」を定めているものは、196件あり、「男女共同参画センター」は、277件ある。


 では、そもそも「婦」という漢字は、差別用語なのだろうか。


 「女」という漢字は、「手を前に組み合わせてひざまずく人の形にかたどり、「おんな」の意を表す。」(『角川新字源』)。

 「帚」(そう)という漢字は、箒(ほうき)を意味する。

 そこで、三井マリ子都議などのフェミニストは、「婦」という漢字が女に箒を持たせて掃除をさせることを表しており、女を家事労働に縛り付ける封建的思想の現れだと主張していたわけだ。


 確かに、支那(しな。chinaの地理的呼称。)は、伝統的に男尊女卑であり(支那に限らず、西洋も近代になっても女性には法人格が認められなかったが、日本では伝統的に女性の相続や婿養子が認められていた。)、「女」という漢字は、ひざまずく人の形だから、女性の地位の低さを表しているとも考えられる。

 しかし、誰に何のためにひざまずいているのかは、「女」という漢字からは分からないので、男にひざまずく女性の地位の低さを表していると考えるのは早計だろう。


 ご存知の方も多いだろうが、女偏の漢字は、略字を含めれば200字を超える。妬(ねた)み、嫉(そね)みなど、負のイメージの漢字も多い。そこで、フェミニストは、これを男尊女卑の現れだと主張するのだが、果たしてそうだろうか。

 女偏の漢字の数の多さと表現の豊かさに比べて、男偏の漢字は、一つもなく、男が付く漢字は、勇、舅、甥ぐらいのものだ。ど素人の勝手な考えではあるが、これは、取りも直さず、漢字が誕生する前の古代支那が女性優位ないし女性中心の社会だったことを物語っているように思えてならないのだ。


 「婦」の話に戻そう。阿辻哲次京都大学名誉教授によれば、「甲骨文字や殷周時代の青銅器の銘文においては、「」は当時の王の妃を指す文字として使われている。…この場合のホウキは、戸外や一般家屋の掃除に使われるものではなく、実は神聖なお祭りをする祭壇を掃除するためのものだったのである。」(阿辻哲次著『漢字の字源』講談社現代新書)。

 従って、「婦」は、「神聖な祭壇の清掃・管理に当たる女、ひいて、一家の祭事をつかさどる女の意を表す」のだ(『角川新字源』)。


 このように「婦」は、一般女性や女奴隷に用いられる漢字ではなく、王家の王妃など、その家の神聖な宗教行事を執り行う高貴な女性に用いられる漢字だったので、決して女性を蔑視する差別用語ではないわけだ。


 フェミニストが巻き起こした一連の騒動は、フェミニストの無知蒙昧を自ら証明するのみで、実りなき誤りだった。

 公の施設の名称を「婦人」から「女性」に変更するのに要した費用をフェミニストやマスコミが弁償したという話を寡聞にして知らない。恥知らずな連中だ。


 なお、フェミニズムを推奨する本は、書店や図書館に溢れているが、フェミニズムを批判する本は、数少なく、入手困難なものが多い。フェミニズムに賛成するにしても、反対派の意見を知ることは有益であり、公平だろう。

 手頃に入手できるものとしては、林道義(はやし みちよし)東京女子大学教授の『父性の復権』(中公新書)、『母性の復権』(中公新書)、『主婦の復権』(講談社)がある。

 これらのうち、前二者は、ユング臭がプンプンして鼻につくので、読み通すことが苦痛かもしれない。比較的ユング臭が少なく、フェミニズムに焦点を当てた『主婦の復権』が読み易いと思う。

 林教授は、元々、コテコテのマルクス主義者で、東大法学部の学生時代に、全学連組織部長として60年安保闘争を行い、東大大学院で経済学を専攻し、マックス・ウェーバー研究で経済学博士を取得後、ユング研究所に留学してユング心理学の研究者になり、フェミニストとして事実婚を行った。その後、反フェミニズムに転じた変わり者だ。

 しかし、林教授は、左翼でフェミニストだったからこそその内情や理論をよくご存知なので、フェミニズム批判の舌鋒は鋭い。

 もっとも、反フェミニズムに転向しても、「三つ子の魂百まで」だろうと思われるが。


 まあ、なんだかんだ言っても、我が国の女性は、賢く、心根が優しく、家族思いだから、表向きはともかく、内心ではフェミニズムを敬遠しているように思われる。

 というのは、理想の夫の条件として高年収を挙げて、専業主婦になる気満々であり(最近は、若干違うみたいだ。)、それは取りも直さず、フェミニストがなんと言おうが、子供にとって家庭教育や食事等が何よりも大切だということを分かっているからだ。





 







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