「誰そ彼」・「彼誰」・「誰何」


 たまたまテレビを付けたら、校舎の窓から遠くを眺めている男子生徒に対して、女子生徒が「何たそがれてるの!」と言って、励ますかの如く男子生徒の背中をポンと叩くシーンがあった。


 う〜ん、シチュエーションからすると、気分が沈んでいること、物思いに耽っていることの比喩として「たそがれ」と表現しているのだろうなぁ〜と理解したが、「たそがれ」には、そのような意味はない。


 今でこそ「たそがれ」と言うが、本来は、「たそかれ」と言う。夕暮れ時には人の顔が見分けにくくなるため、「誰(た)そ彼(かれ)は」と問いかけたことから、「たそかれ」という言葉が生まれたわけだ。


 そして、日の盛りを過ぎた「夕暮れ」からの連想で、盛りの時期が過ぎて衰えが見え出した頃を喩(たと)えて「たそがれ」とも言うようになった。


 冒頭の女子生徒は、おそらく陽が沈む「夕暮れ」からの連想で、「気分が沈んでいること」、「物思いに耽っていること」を指して「たそがれ」と言ったのだろう。これは誤用だが、いずれ国語辞典にも掲載されるようになるかも知れない。


 なお、「たそがれ」は、漢字で「黄昏」と書くが、これは当て字だ。夕暮れを意味する漢語「黄昏(コウコン)」を「たそがれ」に当てたわけだ。


 注意すべきは、「たそがれ」を「誰彼」とは書かないことだ。

 「誰彼」は、「だれかれ」(古くは「たれかれ」。)と読んで、不特定複数人あの人この人を意味する。「誰彼の区別なく」、「誰彼の容赦なく」という風に用いる。


 ややこしいことを言うようだが、「誰彼」を逆さにした「彼誰」は、「かれだれ」とは読まない。

 「彼誰」は、明け方には人の顔が見分けにくいために、「彼(か)は誰(たれ)」と問いかけたことから、「かわたれ」と読み、明け方のことを「彼誰時」(かわたれどき)と言う。

 「たそがれ」に比べると、「かわたれ」は、日常生活ではほとんど用いられることがなくなったのではなかろうか。


 では、ここで問題。「誰何」をなんと読むだろうか?


 「だれか」と読んだ人は、惜しい!

正解は、漢音で読んで、「スイカ」だ。夏に食べる「西瓜(スイカ)」でもなければ、JR東日本のICカード乗車券「Suica」でもない。

 「誰何」(スイカ)は、不審な人に「だれか」と訊ねて、名前や所属などを問いただすことを意味する。

 現行法上、「誰何」が用いられているのは、刑事訴訟法だけだ。現行犯人は、誰であっても逮捕状なしに逮捕できるのだが(刑事訴訟法第213条)、準現行犯人として、刑事訴訟法第212条第2項第4号に「誰何されて逃走しようとするとき。」とある。


cf.1刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)

第二百十二条 現に罪を行い、又は現に罪を行い終つた者を現行犯人とする。

 ② 左の各号の一にあたる者が、罪を行い終つてから間がないと明らかに認められるときは、これを現行犯人とみなす。

 一 犯人として追呼されているとき。

 二 贓物又は明らかに犯罪の用に供したと思われる兇器その他の物を所持しているとき。

 三 身体又は被服に犯罪の顕著な証跡があるとき。

 四 誰何されて逃走しようとするとき。

第二百十三条 現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる。


 なお、陸上自衛隊の歩哨(ほしょう。見張りのこと。)から「誰何(スイカ)」された場合には、すぐに回答しましょう。

 下記のサイトの『自衛隊用語辞典』の「誰何」によれば、陸上自衛隊の「歩哨の一般守則」には、「3度誰何しても答えない者は、捕獲するか、刺・射殺する。」とあるらしいからだ。


 念のために、「歩哨の一般守則」を調べてみたのだが、現行の「陸上自衛隊服務細則」第140条第2項第4号には、「夜間は特に監視を厳重にし、近づく者があるときはよく確かめ、不明のと きは銃をかまえて誰何する。」とあるだけで、「3度誰何しても答えない者は、捕獲するか、刺・射殺する。」という部分がなかった。

 頻繁に改正されているので、ひょっとしたら改正により、削除されたのかも知れない。


cf.2陸上自衛隊服務細則(昭和35年4月30日陸上自衛隊達第24-5号)

(歩哨の守則)

第140条 歩哨の守則は、一般守則及び特別守則からなる。

2 歩哨の一般守則は、次の各号に定めるとおりとする。

  (1) 歩哨は絶えず耳目を働かせ、すべての徴候に深く注意して定められた範 囲を監視する。

  (2) 所定の場所を出入する者があるときは、それが許可された者であるかど うかを確かめる。

  (3) 異状若しくは不審な事項を発見した場合又は規律違反者があった場合は、 直ちに定められた方法によって警衛司令に報告しその指示を受ける。この 場合において、要すれば速やかに隣接歩哨に通報する。

 (4) 夜間は特に監視を厳重にし、近づく者があるときはよく確かめ、不明のと きは銃をかまえて誰何する

  (5) 常に服装及び姿勢態度を厳正にし、喫煙又は雑談してはならない。

  (6) 命令のない限り哨所又は動哨経路から 30 メートル以上離れてはならない。

  (7) 武器は体から離してはならない。銃は通常「立て銃」又は「吊れ銃」をし、 必要より「腕に銃」又は「控え銃」をすることができる。

3 歩哨の特別守則は、各哨所ごとに駐屯地司令が定める。


 戦前はどうだったのだろうかと思って調べてみたら、「歩哨一般守則」の二に「夜間歩哨ニ近ツク者アラハ銃ヲ構へ「誰カ」ト問フ呼フコト三回ニ至ルモ尚答へサル時ハ直ニ殺スヘシ」とあった。

 古今東西、歩哨が殺されて部隊が全滅することがよくあったので、残酷ではあるが、誰何して回答しない正体不明の者を敵と見做(みな)して殺すのは、万国共通の歩哨の義務だ。なぜ、現行の「陸上自衛隊服務細則」第140条第2項第4号に明記していないのかが不思議だ。

 英語では歩哨が「Who goes there?」(誰だ?)と言うので、気を付けよう。

 ずいぶん物騒な話になってしまった。


 冒頭の女子生徒の「たそがれ」の誤用から連想した歌で締めくくろう。

 五木ひろしの「よこはま たそがれ ホテルの小部屋〜♪」の『よこはま・たそがれ』ではない。笑


 フランク永井の「宵闇せまれば 悩みは涯(はて)なし みだるる心に うつるは(た)が影〜♪」の『君恋し』だ。

 原曲は戦前だが、昭和36年(1961年)にフランク永井がカバーして大ヒットした。昔の歌詞は、国語として美しい。

作詞:時雨音羽

作曲:佐々紅華


宵闇せまれば 悩みは涯なし

みだるる心に うつるは誰が影

君恋し 唇あせねど

涙はあふれて 今宵も更け行く


唄声すぎゆき 足音ひびけど

いずこにたずねん こころの面影

君恋し おもいはみだれて

苦しき幾夜を 誰がため忍ばん


去りゆくあの影 消えゆくあの影

誰がためささえん つかれし心よ

君恋し ともしび うすれて

えんじの紅帯 ゆるむもさびしや


君恋し 唇あせねど

涙はあふれて 今宵も更け行く

今宵も更け行く

今宵も更け行く…



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