職員研修では、判例・通説・行政実例に従って講義をしており、個人的な意見は極力言わないようにしているし、ましてや政治的なことは一切言わないようにし、公私の区別を心がけている。
職員研修講師として、法を初心者にできるだけ分かりやすく説明し、今後行われるであろう様々な法律研修や自己研鑽につなげ、実務に役立てられるようにすることが務めであって、研修は個人的な意見を述べる場ではないからだ。
しかし、このブログは、職員研修の場ではない。日々思いついたことを書き連ねているにすぎないことをあらかじめおことわりしておく。
1 多文化共生社会=多文化強制社会は、亡国への道
令和元年(2019年)6月14日、立憲民主党は、多文化共生社会基本法案を提出したが、これに懲りずに、令和4年(2022年)6月10日、再び多文化共生社会基本法案を提出した。
「郷(ごう)に入(い)っては郷に従え」は、後述するように表現に違いはあれど、世界中どこの民族であろうとどこの国であろうと認められており、日本国憲法の表現を借りれば、いわば「人類普遍の原理」であるにもかかわらず、この多文化共生社会基本法案は、日本に在留する外国人に、日本の風俗習慣に従わずに自分達のやり方で生活することを認めて、逆に日本人にそれを耐え忍べと強制するものであって、いわば多文化「強制」社会基本法案だ。
すなわち、この多文化共生社会基本法案第2条は、日本国民と在留外国人の一人一人が「社会の対等な構成員」だとしているが、虚構に立脚した憲法違反の規定だ。
なぜならば、国民主権原理(憲法前文・第1条)に基づいて、日本国民は、日本国という運命共同体の一員として、国の命運に責任を負っており、場合によっては国を守るために戦わなければならない(徴兵制が合憲かどうかについては、学説上争いがある。)のに対して、在留外国人は、日本国の構成員ではないので、日本国の命運に責任を負わず、いつでも母国に逃げ帰ることができるし、母国と日本国が交戦状態になった場合には、日本国及び日本国民に銃口を向ける敵になり得るのであって、かかる立場の違いから、そもそも日本国民と在留外国人が日本社会の対等な構成員であるわけがないからだ。
また、人権の前国家的性格及び確立された国際法規の遵守(憲法第98条)から、外国人にも、権利の性質上適用可能な人権規定は、すべて及ぶが、参政権、社会権、入国の自由は、その権利の性質上外国人には保障されないと解するのが通説であって、権利上も日本国民と在留外国人は対等ではないのだ。
この多文化共生社会基本法案第14条は、国籍又は社会的文化的背景が異なることを理由とする差別を禁止することによって、日本国民に多文化を「強制」しており、日本国民は、日本国籍を有することを理由に、日本国政府及び地方公共団体によって、人類普遍の原理である「郷に入っては郷に従え」に反する不合理な差別を受けることになる。
現在の与野党の国会議員数から、幸にしてこの法案が可決される見込みはまったくないが、決して油断していてはならない。
なぜならば、自治体レベルでは、「多文化共生」を用いている条例が158本も制定されているからだ。
市区町村レベルでは、例えば、外国人がゴミ出しをきちんとしないなどの苦情が絶えず、トラブルを解決・予防し、日本人住民と外国人住民との融和を図るべき切実な必要性に迫られ、その対応策を検討する際に、専門家と称する活動家・工作員やそのシンパが入り込んで、「郷に入っては郷に従え」との正当な主張を差別だと断じて、これを封じ込め、巧妙に「多文化共生」を盛り込ませている。
少子高齢化や人口減少が著しい日本が大量の移民や難民を受け入れたら、いずれ日本人が少数民族になる可能性があるし、そこまでいく前に、多文化共生社会法制により、外来魚が在来魚を駆逐するように、おとなしい日本人は、傍若無人に振る舞う外国人に眉を顰(ひそ)めながらただ指を咥えて傍観するしかない立場に追い込まれ、日本の強みの源泉である日本文化とこれを基底とする日本社会が崩壊することだろう。
そして、在日外国人に地方参政権が付与され、売国奴、帰化人ないしその子孫(日本に対する愛国心・忠誠心をもつ人を除く。)やそのシンパが力を持つ政党が国会で多数を握れば、戦争によらずに合法的に日本を侵略することに成功する。
その後、日本は、外国の属国になるか、諸外国に割譲されるか、北海道、沖縄、対馬などが独立宣言後に諸外国に併合されるかするだろうし、これに抵抗する日本人は、強制移住させられたり、強制収容所に収容されて、拷問を受け、再教育という名の洗脳を受けたりすることになるだろう。
「こんな与太話はあり得ない!」と馬鹿にされるだろうが、ソ連時代に実際に行われているし、中国は、モンゴル自治区やウイグル自治区で現在も行なっている。逆に、なぜ日本ではあり得ないと思うのか、不思議でならない。
外国人には、他国への入国の権利も在留の権利もない。これは、万国共通だ。「郷に入っては郷に従え」が嫌ならば、出国すればよいだけの話というのも、万国共通だ。
後述するように、「郷に入っては郷に従え」に類することわざが諸外国にもあるのだから、諸言語でこれを伝えるとともに、日本人に多文化を強制するのではなく、外国人に日本の風俗習慣や法で禁止されていることを正しく理解させ、「郷に入っては郷に従え」、それが嫌なら出ていけと毅然たる態度で臨むことが大切なのだ。これは、差別ではない。合理的理由に基づく合理的区別だ。
例えば、在エジプト日本国大使館は、『安全の手引き(2022年2月版)』で、「1心構え」の⑶において、「「目立たない」、「行動のパターン化を避ける」、「用心を怠らない」:海外で安全に生活するための3原則です。現地の文化、風俗、価値観を十分考慮し、「郷に入っては郷に従え」の精神が重要です。」と日本人に注意喚起しているのだが(下線:久保)、だったら政府・外務省は、日本に入国する外国人に対しても「郷に入っては郷に従え」と注意喚起すべきだろう。
2 「郷に入っては郷に従え」の由来
さて、「郷(ごう)に入(い)っては郷に従え」とは、「よその土地へ行ったら、その地の風習を尊重し、これに従うがよい。文化の異なるところでは、その文化を尊重することが大切で、むやみに自分たちのやり方を持ち込んではならない。」という意味だ(『ことわざを知る辞典』小学館)。
※ 「郷に入りては」の音便化であるから、「はいっては」とは読まない。また、「郷に行っては郷に従え」とは書かない。(『デジタル大辞泉』小学館)。
『ことわざを知る辞典』(小学館)によれば、このことわざは、「中国から入ったもので、寺子屋の教科書「童子教」では「郷に入っては郷に随い、俗に入っては俗に随え」と漢文で教えられ、広く知られようになりました。」とある。
ふむふむ。『童子教(どうじきょう)』は、平安時代の僧・安然著と伝えられている。実際には作者も著作年も不明らしいが、鎌倉中期から末期に至る間の作と推定されているそうだ。
この『童子教』は、空海著と伝えられている『実語教(じつごきょう)』とワンセットで、鎌倉末期から明治中頃にかけて、広く日本において用いられてきた寺子屋の初等教科書で、子供たちは、すべてをそらんじることができた。『童子教』は、処世術を、『実語教』は、学問の大切さや親孝行などの道徳を、それぞれ中心に教えている。
1000年にわたって子供の教育に用いられてきたのだから、日本文化の原点の一つと言えるのだが、今日ではほとんど見向きもされず、読んだことがない人が大多数であるため、明治中頃までの日本人とそれ以後の日本人、特に戦後の日本人との間には、大きな世代間ギャップがあるわけだ。
『童子教』・『実語教』で育まれた先人たちが漸進的に築き上げてくれた日本文化という遺産のおかげで、我々現代日本人は、安全安心で豊かな文化的生活を送ることができているのだ。
しかし、愚かにも今や相続した遺産を食い潰し、日本文化は、危機に瀕している。
祖先から相続した日本文化を守り、これを後世に伝えることは、相続人たる子孫の義務だ。日本文化を後世に伝えたいのであれば、これらは必読書だと言えよう。活字印刷されて読みやすい本のリンクを貼っておく。
この『童子教』の「入郷而随郷(ごうにいってはごうにしたがい、入俗而随俗(ぞくにいってはぞくにしたがう)」は、支那(シナ。chinaの地理的呼称。)の南宋の坊主が編集した禅宗の歴史書である『五燈會元(ごとうえげん)』(1252年)に出てくる「入郷随俗」に由来するそうだ。
「入郷随俗」は、現代の中国(中華人民共和国の略称。)でも使われていることわざであって、「ルーシャンスイスー」と読むらしい。
【原文】
雖然如是、且道入郷随俗一句作麼生道。良久曰、西天梵語、此土唐言。
【読み下し文:久保】
雖然如是(しかもかくのごとくなりといえども)、且(まずは)道(いう)、郷(ごう)に入(い)っては俗(ぞく)に随(したが)えの一句、作麼生(いかにか)道(いわん)。良久(りょうきゅう)曰(いわく)、西天(さいてん)にあっては梵語(ぼんご)、此土(しど)にあっては唐言(からこと)。
※ 普段、私が読んでいる漢文とは異なり、アニメ『一休さん』でお馴染みの「作麼生(そもさん)!」・「説破(せっぱ)!」という禅問答なので、読み下すのに苦労した。間違っていたら、ご容赦いただきたい。
【意訳:久保】
しかもこのようであっても、まずは言う、「『郷に入っては俗に随え』の一句は、どのような意味であろうか?」。良久が答えて言うには、「インドにあってはサンスクリット語を、ここ支那にあっては唐の言葉を用いるということだ。」。
ウィクショナリー(Wiktionary) を見たら、この「入郷随俗」は、『荘子』の「外篇」の「山木」にある「入其俗従其令」に遡(さかのぼ)ると考える説があるという記述を見つけたので、該当箇所を確認したら、間違いを発見した。おそらく入力ミスだろう。
「入其俗従其令」は、間違いであって、正しくは、「入其俗、從其俗。」(そのぞくにいっては、そのぞくにしたがえ)だ。
なお、上掲スクショ『童子教』の「入境而問禁、入國而問國」(きょうにいってはいましめをとい、くににいってはくにをとい)は、『礼記(らいき)』の「曲禮上」の「入竟而問禁,入國而問俗」(きょうにいってはいましめをとい、くににいってはぞくをとう)に由来すると考えられる。
国境を越えたら、その国の禁制を問い、その国に入ったらその国の風俗習慣を問い、それに違(たが)わぬのが礼儀だというわけだ。
3 諸外国における「郷に入っては郷に従え」
「郷に入っては郷に従え」は、中国では「入郷随俗」と呼ばれていることについては、前述したので、中国以外の外国ではどのように呼ばれているのかについて、ざっくりとみてみよう。
同じ漢字文化圏であったベトナムでは、入家随俗Nhập gia tùy tục.(家に入ってはその家風に随え。)と呼ぶそうだ。
次に、英語では、When in Rome do as the Romans do.(ローマではローマ人がなすようになせ)、フランス語では、À Rome, fais comme les Romains.(ローマでは、ローマ人たちのように行え)、スペイン語では、Cuando a Roma fueres, haz lo que vieres.(ローマに行った時はそこで見たようにせよ)と呼ぶそうだ。
これらのことわざは、聖アウグスティヌスにローマとミラノの安息日の違いについて手紙で問われた4世紀ミラノの司教である聖アンブロジウスが「私はここ(ミラノ)にいるときは土曜日には断食せず、ローマにいるときは土曜日に断食している。」(ミーニュ教父全集第32巻の書簡36)と答えたことに由来するそうだ。
https://www.oxfordreference.com/view/10.1093/acref/9780199539536.001.0001/acref-9780199539536-e-1864
この回答がどうやら下記のようなラテン語に訳されて、イギリス等に伝わったらしい。
cum fuerīs Rōmae, Rōmānō vīvitō mōre; cum fuerīs alibī, vīvitō sīcut ibī
クム フェリース ローマエ ローマーノ ウィーウィトー モーレ 、クム フェリース アリビー ウィーウィトー シークト イビー
「ローマにありてはローマ人の如く生き、その他にありては彼の者の如く生きよ。」
フランスやベルギーには、Il faut hurler avec les loups.(狼と一緒にいれば、吠えなければならない)ということわざがあるそうだ。
マレーシアには、「ヤギの小屋に入ればメ~と泣き、牛の小屋に入ればモ~と鳴け」ということわざがあるそうだ。インドネシアにも、「ヤギ小屋に入れたらメェーと鳴き、水牛小屋に入ればモーと鳴く」ということわざがあるそうだ。
ロシアには、「他の修道院へは自分の修道院の規則は持ち込まぬもの」ということわざがあるそうだ。
モンゴルには、「その国の水を飲んだら、その国の習慣に従え」ということわざがあり、横綱朝青龍を送り出す際に母親がこのことわざを贈ったそうだ(共著・訳者: 野村誠一 『横綱 朝青龍』 ゴマブックス)。
青木伸生監修『小学生おもしろ学習シリーズ まんが ことわざ大辞典: まんがで身につくことばのチカラ!!』 (西東社)147頁によると、アラブ地域、ベトナム、デンマークにも類似のことわざがあるそうだ。
探せば、他にもあるだろう。ことわざには、先人の知恵が込められており、国柄も分かって、面白いものだ。みなさんも探してみては如何だろうか。
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