政治資金規正法の改正をめぐって与野党が対立しているTVニュースをボーッと見ていたら、ふと思い出したことがある。
昔、公務員試験予備校の講師をしていたときに、受験生から「社会主義と共産主義の違いが分かりません。」という質問を受けることが時々あった(私は、行政法と面接対策を担当し、政治的な発言を一切していないのに、なぜこんな質問を私のところへ持って来るのかが不思議だった。)。
こういう漠然とした質問が一番困る。何がどう分からないのかが私には分からないので、答えようがないからだ。
一口に社会主義・共産主義と言っても、論者によって主張が異なるし、歴史的変遷もあるので、丁寧に答えようとすれば、一冊の本が書けるぐらいの分量になる。現に、例えば、平井新著『増訂 社会主義と共産主義 ー初学者のためにー』(現代教養文庫)という本があるぐらいだ(苦笑)。
社会主義・共産主義は、人類に害悪しかもたらさない狂信的なカルト宗教であって、こんなもののために、時間と労力を費やすのは無駄だから、中身が薄い回答で恐縮だが、受験生にとって何かのヒントになるかもしれないので、一応書いておこうと思う。本文だけを読めば、社会主義と共産主義の違いが分かるはずだ。
なお、社会主義・共産主義が理論的に間違っていることについては、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの著作(ほとんどは無料で読める。https://mises.org/)、フリードリヒ・フォン・ハイエクの『ハイエク全集』(春秋社)、カール・ポパー『開かれた社会とその敵』(未来社)に譲る。
1 capitalismキャピタリズム「資本主義」
さて、いわゆる「市民革命」は、自由と平等を旗印にしていた。自由は、王様ないし政府が自分の判断だけで勝手に課税できないように私有財産権(私有財産制)を保障するという形で実現された。
そこで、bourgeoisieブルジョワジー「市民階級(有産階級、資本家階級)」は、安心して工場建設などに積極的に投資することができるようになった。
その結果、生産手段を所有するブルジョワジーは、労働力以外に売るものがないthe working class「労働者階級」から労働力を商品として買って(働かなければ食べていけない人を雇って工場等で働かせて)、それを上回る価値を持つ商品を製造販売して大きな利潤を得るようなった。
そして、国家は、できる限り市場に介入せずに自由競争に任せておけば、市場がうまく機能し、「神の見えざる手」により需要と供給のバランスが調節されて市場価格が決まり、その価格に応じて生産者が商品を生産する量や消費者が商品を購入する量が決まっていくと考えられた(アダム・スミス『諸国民の富』)。
この市場経済は、産業革命により、飛躍的に発展し、国が経済的に豊かになった。
※1 語源
英語capitalismキャピタリズム「資本主義」(※)は、ラテン語caputカプト「頭・首」が語源だ。頭・首は、命に関わる最も重要なものだから、国の最も重要な都市のことをcapital「首都」といい、商売をする上で最も大切なもののことをcapital「資本(金)」というわけだ。日本語の「頭金」という表現も同じ発想だ。
資本というのは、商売を行うための元手となるお金のことだ。「資」は、貝と次から成る。支那(シナ。chinaの地理的呼称。)では、昔、子安貝(タカラガイ)が貨幣として用いられていた。「次」は、心が満たされてほっと安堵している姿を表している。それ故、「資」は、貝(お金)ができて安心している様子を表しているわけだ。「本」は、もと、元手の意だ。
※ 2 資本主義は、 主義にあらず
capitalismキャピタリズム「資本主義」は、 ideologyイデオロギー「主義」を表す-ismが付加され、社会主義や共産主義と対比されているが、元来、イデオロギーではなく、マルクス主義者が敵対者を非難するために生み出した用語にすぎない。
2 socialismソーシャリズム「社会主義」
ブルジョワジーは、自らの労働ではなく、投資により大きな利潤を得る一方で、資本を持たない労働者階級は、ブルジョワジーに労働力を売る以外に生きる術(すべ)がなく、その労働力を安く買い叩かれて安い賃金で働かざるを得ず、労働に見合った対価を手にすることができなかった(搾取)。その結果、貧富の差がますます大きくなった(富の偏在)。
そこで、この不平等を是正するため、土地(農地)、鉱山、工場、機械、鉄道、船舶などの生産手段をブルジョワジーの手から強制的に取り上げて、societyソサエティー「社会」が生産手段を所有管理すれば、労働者階級は、労働に応じた対価を得られるはずであり、平等な社会を実現できるはずだと考えられるようになった。
このように社会が生産手段を所有管理して平等な社会を実現すべきだというイデオロギーをsocialismソーシャリズム「社会主義」というわけだ。
※1 社会主義にいう「社会」
社会主義は、「社会」が生産手段を所有管理すべしと言うのだが、問題は、誰が実際に所有管理すべきかだ。
生産手段を一切個人に所有させず、公的団体に所有管理させるべきだという考え方が有力だ。公的団体としては、職業団体(ギルド又は労働組合)が所有管理すべしとするguild socialismギルド・ソーシャリズム「ギルド社会主義」又はsyndicalismサンディカリスム「労働組合主義」と、国家が所有管理すべしとするnational socialismナショナル・ソーシャリズム「国家社会主義」がある。
逆に、無政府主義者プルードンのように、生産手段の私有を広げて労働者に分有させる考え方もある。
なお、ナチス・ドイツの正式名称は、Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei(NSDAP)であって、「国民社会主義ドイツ労働者党」とも「国家社会主義ドイツ労働者党」とも訳されている。我が国の戦前の右翼も、国家社会主義だ。
※2 計画経済
国家社会主義では、市場の需給調節に任せる市場経済を否定し、生産手段を国有化して、生産、流通、消費、金融など全ての経済活動を国家の統制下に置き、国家の計画と指令に基づいて、生産資材から生活必需品に至るまですべての資源の配分が行われる。このような経済体制を計画経済という。
そもそも人間は無知なので、いつ誰がどこで何をどれぐらい必要としているのかなど、全ての需要と供給を正確に把握することができないし、また、国家の計画と指令に基づいて経済活動が行われるので、賃金も国家が計画的に決めるから、労働者は頑張って働いても賃金が上がらないため、勤労意欲が低下し、効率よく仕事をしようと努力もしないし、競争原理が働かないので、より良い商品やサービスを提供しようともしない。さらに、官僚機構が肥大化し、非効率な国家運営が行われ、財政が逼迫する。
ソ連においては、номенклату́раノーメンクラツーラと呼ばれる共産党の特権的幹部(赤い貴族)の蓄財や汚職が頻発した。
ドストエフスキーは、『悪霊(下)』(新潮文庫、102頁)において、登場人物に仮託して、「彼はですね、問題の最終的解決策として、人間を二つの不均衡な部分に分割することを提案しているのです。その十分の一が個人の自由と他の十分の九に対する無制限の権利を獲得する。で、他の十分の九は人格を失って、いわば家畜の群れのようなものになり、絶対の服従のもとで何代かの退化を経たのち、原始的な天真爛漫さに到達すべきだというのですよ。これはいわば原始の楽園ですな、もっとも働くことは働かなくちゃならんが。人間の十分の九から意志を奪って、何代もの改造の果てにそれを家畜の群れに作り変えるために著者が提案している方法はきわめて注目すべきものであり、自然科学にのっとったきわめて論理的なものです。」と皮肉を込めて述べて、社会主義の本質を喝破している。
お若い方にはソ連よりも、北朝鮮の国民が置かれた現状をご覧になれば、ドストエフスキーが言わんとしている意味が理解できるかと思う。
※3 社会主義政策
最低賃金の保障、累進課税、相続権の廃止、教育無償化、鉄道等の国有化、年金制度、医療保険制度、労働組合などは、Equality of Outcomes「結果の平等」を実現すべく社会主義者が提唱した政策だ。
後述するマルクス主義の普及に伴って、暴力革命に危機感を抱いた資本主義国は、国民の福祉の向上を図ることも国家の責務であるとして、これらの社会主義政策を採り入れるようになった(福祉国家)。
その結果、例えば、英国では、from the cradle to the grave「ゆりかごから墓場まで」国家が面倒を見てくれるため、勤労意欲の低下、社会保障負担の増大、経済の停滞、莫大な財政赤字などのBritish disease「英国病」と呼ばれる様々な社会問題・経済問題をもたらした。
この英国病を克服したのが真の自由主義者=保守主義者であるマーガレット・サッチャー英国首相であり、アメリカのレーガン大統領とともに、ソ連を崩壊に追い込み、自由を守った。両者は、人類の恩人だ。
※4 革命思想
エンゲルスは、マルクスと自分以後の革命思想を「科学的社会主義」と自称し、それ以前の「空想的社会主義」と区別した。
空想的社会主義は、現在の体制(旧体制)を革命によって完全にぶっ壊して、自由、平等、博愛という状態をつくりさえすれば、人間は楽園に到達できると考えた。
マルクスは、この革命理論に修正を加えた。ぶっ壊す主体は、プロレタリアートであり、プロレタリアートはブルジョア社会によって必然的に生み出されるものであり、ぶっ壊した後の来るべき社会は共産主義社会なのだと主張した。
3 communismコミュニズム「共産主義」
社会主義は、社会が生産手段を所有管理して不平等を是正すべしと主張するのだが、社会が生産手段を所有管理しても、人には生まれつき労働能力に差異があるので、労働に応じて対価を受けたのでは所得格差が生まれ、消費生活上の不平等はなくならない。
そこで、原理的に不平等が生じないようにすべきだとして、生産手段だけでなく、食べ物、衣服、家具などの消費財をも含めたすべての私有財産を否定して、これをすべての人の共有にし(つまり、communityコミュニティー「共同体」の所有に帰属させ)、各人はその労働能力に応じて働き、必要に応じて消費できるようにすれば、完全に平等な社会を実現できるはずだというイデオロギーがcommunismコミュニズム「共産主義」だ。マルクスは、「各人は能力に応じて労働し、欲望に応じて消費する」と述べている。
国家社会主義では国家が労働に応じて分配するのだが、すべての私有財産を共有化すれば、みんなでこれを管理するので、国家は不要であり、消滅することになるという。
共産主義によれば、社会主義は、共産主義に至る過渡的段階であり、共産主義こそが人類史の発展の最終段階だという。
※1 レーニン主義
ロシア語で少数派をменьшевики́メンシェヴィキというのに対して、多数派を большевики́ボルシェヴィキという。
1930年、ロシア社会民主労働党の大会で、中央集権か地方分権かをめぐって争いとなり、中央集権主義を唱えるレーニン率いる急進派が多数派を占めたことから、レーニン主義をBolshevismボルシェヴィズムともいう。
レーニンは、マルクスの考え方に独自の解釈を加えた。
① ブルジョア国家の廃止は、暴力革命によらなければ不可能だ。
② 暴力革命によってプロレタリアに握られた国家権力は、プロレタリア独裁のもとに行使されるべきであって、デモクラシーは排除されなければならない。
なお、ドイツ語Proletarierプロレタリアは、資本主義社会において、生産手段を持たず、自分の労働力を資本家に売って生活する賃金労働者をいう。
プロレタリアがブルジョワジーの支配体制を打倒して社会主義社会を建設する革命のことをプロレタリア革命という。
プロレタリア独裁というのは、資本主義から共産主義への過渡期の国家権力をプロレタリアが独占して支配する政治形態をいうが、その実態は、共産党一党独裁だ。暴力革命に反対する者は、誰であれ、すべて「反革命」・「人民の敵」・「反動勢力」と見做され、銃殺、強制収容所送りなど徹底的に弾圧された。
ソルジェニーツィン著『収容所群島』(新潮文庫)は、スターリン時代、ソ連全土に数百か所設置された残忍で非人道的な絶滅収容所の実態を暴き、告発する書だ。
※2 社会民主主義
暴力革命とプロレタリア独裁の共産主義を否定し、デモクラシーの方法によって社会主義を実現すべきだとするイデオロギーをSocial democracyソーシャル・デモクラシー「社会民主主義」という。
ただし、「社会民主主義」の方が共産主義よりもマシだと騙されてはならない。「共産党」は、すべて「社会民主党」から始まっているからだ。ソ連の「共産党」も、レーニン率いるロシアの「社会民主労働党」左派(ボルシェビキ)から始まっている。
<追記>
※3 信用してはならない
「労働者は祖国をもたない。」(大内兵衛・向坂逸郎訳『共産党宣言』岩波文庫65頁、金塚貞文訳『共産主義者宣言』太田出版56頁)ので、愛国心なんてさらさらなく、むしろ国家は消滅すべきもの、破壊すべきものだから、平気で国を裏切るし、国益を害することも厭(いと)わないし、国を売ることに躊躇(ためら)いはない。
「共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命のまえにおののくがいい。プロレタリアは、革命においてくさりのほか失うべきものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。
万国のプロレタリア団結せよ!」(前掲・岩波文庫87頁)
「共産主義者は、かれらの目的が、これまでのいっさいの社会秩序を暴力的に転覆することによってしか達成され得ないことを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命の前に慄(おのの)くがいい。プロレタリアには、革命において鉄鎖のほかに失うものは何もない。かれらには獲得すべき全世界がある。
全世界のプロレタリア、団結せよ!」(前掲・太田出版97頁)
このように法秩序、道徳、慣習、伝統、文化、宗教、礼儀作法・マナーなど一切の社会秩序を暴力的に転覆することを公然と宣言している以上、破壊対象たる法も道徳も守らないし、このことにいささかも痛痒(つうよう)を感じない。
「家族の廃止」(前掲・岩波文庫63頁、前掲・太田出版52頁)や「婦人の共有」(前掲・岩波文庫65頁、「女性の共有制」前掲・太田出版55頁)を公然と宣言し、夫婦別氏・同性婚を推進して、家族制度・夫婦制度という社会秩序を破壊しようとする。
LGBTQ+を推進し、学校教育で過激な性教育を行なって、健全な性倫理や善良なる風俗を破壊する。
皇室を「天皇制」と呼んで、ことあるごとに批判し、ギロチンにかけられたルイ16世や銃殺されたロマノフ家のように、皇族すべてを死刑にすることを熱望し、それが現時点で叶わぬのであれば、女系天皇を容認させて万世一系の皇統を破壊しようとする。
慣習や伝統文化を尊重しようとはせず、むしろ多文化共生という名の「多文化強制」により、慣習や伝統文化を破壊しようとする。
移民を入れて社会秩序を破壊し、日本を混乱の坩堝(るつぼ)に陥れようとする。
目的のためには手段を選ばないので、ロシア革命のように人殺しも厭(いと)わないし、日本赤軍のようにテロも平気で行う。
マルキスト以外はすべて敵であり、敵の命を奪うことに躊躇(ちゅうちょ)しないから、日ソ不可侵条約を一方的に破棄したり、戦時国際法を無視して日本兵をシベリアに抑留したり、北方領土を侵略したりするなど、国際法を守る気などさらさらない。
道徳・倫理は破壊すべき社会秩序であって、そもそも道徳心・倫理観が欠如しているので、息を吐くように平気で嘘をつき、己の矛盾した言動、例えば、他者に対する批判が自分に返ってくるブーメラン発言をしたり、ダブルスタンダードの二枚舌発言をしたりしても、恥を恥とは思わない。
異常だ。
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