晴れ乞い条例?

 「雨乞い」の対義語は、「晴れ乞い」であって、我が国では京都の貴船神社が神事として行った例があるそうだ。我々に最も身近な「晴れ乞い」は、てるてる坊主だ。


 我々民間人がてるてる坊主を吊るしたり、神社が晴れ乞いの神事を自主的に行うのは自由だが、これを国や自治体が法的に強制すると、憲法が保障する信教の自由を侵害し、政教分離の原則に違反することになろう。


 ところが、下記の記事によると、長雨が続くフランスのノルマンディー地方にある人口227人のクロンス村の村長が、「8月と9月、そして10月も雨がやみ、代わりに明るい太陽が顔を出し、微風が吹くよう、ここに命じる」、「フランス北部の教区司祭らは、最優先たる天との交信を通じて貢献し、よって本条例の施行に責任を負うこと」と明記した条例を制定したそうだ。


 う〜ん、晴天を命じるという非科学的な条例に合理性があるのかという疑問が生じる。

 また、フランスでは、フランス革命以来、 laïcitéライシテと呼ばれる厳格な国家と教会の分離の原則(政教分離の原則)が国の基本原則となっているので、条例で司祭に「天との交信を最優先」する責任を負わせることは、ライシテに違反するのではないかという疑問が生じる。


 村長の暴走かと思いきや、「村長のもとには多くの住民から感謝の声が寄せられている」らしい。


 神の国(天国)に入るというキリスト教の根本教義からすれば、天候なんてどうでもよい瑣末な問題なのだが、キリスト教が普及する前のアミニズム的な土俗宗教が担っていた役割を今でもカトリック教会が代替していることがよく分かる事例だ。

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