日常的に「伝統」という言葉が用いられているが、「伝統」の対義語は、なんであろうか?
『weblio類語辞典』によれば、「伝統」の対義語は、「革新」だとされているが、「保守」の対義語が「革新」であって(『反対語便覧』三省堂)、「革新」は、「伝統」の対義語ではない。
「革新」とは、古い習慣、制度などを改めて、新しく進歩すること。改進。」をいう(『精選版 日本国語大辞典』小学館)。
「保守」とは、旧来の習慣、制度、組織、方法などを重んじ、それを保存しようとすること。また、その立場。ほうしゅ。⇔革新。」をいう(『精選版 日本国語大辞典』小学館。太字・下線:久保)。
実は、意外なことに「伝統」は、英語traditionの翻訳語として比較的最近になって用いられるようになった新しい言葉なので、日本語にはぴったりの対義語がないのだ。
それ故、『weblio類語辞典』のような誤解が生まれるわけだ。
「伝統」という言葉自体は、『後漢書』巻八十五・東夷列伝の「倭」に出てくるのだが、あくまでも「血統を伝える」という意味にすぎず、一つの熟語として用いられてきたわけではない。
藤堂・竹田・影山全訳注『倭国伝』(講談社学術文庫)によれば、
「使驛通於漢者三十許國、國皆稱王、世世傳統」(437頁)
「使駅の漢に通ずる者、三十許(ばかり)の国ありて、国ごとに皆(みな)王と称(しょう)し、世世(よよ)統を伝う」(25頁)
「漢に通訳と使者を派遣してきたのはそのうち三十国ほどである。それらの国の首長は、それぞれ王を名乗り、王は世襲制である。」(30頁)
とある(太字・下線:久保)。
『精選版 日本国語大辞典』(小学館)も、「伝統」とは、「古くからの、しきたり・様式・傾向・思想・血筋など、有形無形の系統をうけ伝えること。また、うけついだ系統。」をいうと定義するのみであって、初出を明らかにしていないことから、古くから「伝統」が熟語として用いられていなかったことが窺える。
この点、孫引きで恐縮だが、下記のブログが引用する2013年2月18日の読売新聞のコラム「翻訳語事情」で、東京大学教授の齋藤希史(まれし)氏は、次のように述べているそうだ。
「今ではどんな辞書も、 「伝統」 と訳しているが、明治から大正にかけての英和辞典では「tradition」は、 「口伝」「伝説」「交付」「引渡し」 等を充てるのが一般的で、大きな辞書によると、 「慣習」「因襲」 も見られたが、 「伝統」 という訳語は、まず見られなかった」
「大正も半ば以降のこと。「自然主義」に対する「伝統主義」や、「民族の伝統文化」のような使い方が目立ってきて、 「守るべき価値のあるものであることを強調するため、単なる伝承や伝説を越えたもの」 として、 「伝統」 が登場したと考えられる」
「昭和に入ってからますます使われるようになったのは、日本の「伝統」が連綿と続くものとして強く意識された時代だったからだ」
とある。
経緯(いきさつ)はどうであれ、大正の半ば以降、英語traditionトラディションの翻訳語として「伝統」が用いられるようになったことだけは確かなようだ。
そこで、英語traditionの語源を調べてみた。
英語traditionは、ラテン語 tradoトラード「伝える」に由来する。 tradoは、transgenderトランスジェンダーと同根のラテン語 trans-「~を越えて」と、do「与える」から成り立っている。
祖先から子孫へと世代を越えて与えることという意味から、ラテン語 traditioトラーディティオ「与えること、引き渡すこと、言い伝えること」という言葉が生まれた。traditioは、trado「伝える、引き渡す」と、-tio「こと」から成り立っている。
このラテン語 traditioから生まれたのが英語traditionなのだそうだ。
このように英語traditionは、祖先から子孫へと世代を越えて与えること・引き渡すこと・言い伝えることが原義ということになる。
つまり、「慣習、しきたり、習わし、流儀、伝承、伝説など」を意味するわけだ。
なお、英語classicクラシック「古典」は、時間を超越し、時の試練に耐えた点で、tradition「伝統」と共通している。
しかし、tradition「伝統」は、民族・部族・地域によってそれぞれ違うのに対して、classic「古典」は、時間のみならず民族・部族・地域をも超越した普遍性が認められる点で、両者は異なる。
classicは、古代ローマにおける最上位の市民階級classisクラッシスが語源であって、「最高クラスの」「一流の」「格式ある」という意味だ。
では、英語traditionの対義語は、なんであろうか?
英語traditionの対義語は、innovation イノベーションと noveltyノベルティなのだそうだ。
innovationは、「新しいアイデア、方法、または製品の導入。」であり、noveltyは、「新しいもの、独創的なもの、珍しいものの品質。」を意味する。
しかし、語源的には、treasonトゥリーズン「反逆、裏切り」こそが本当の対義語ではないかと思うのだ。
なぜならば、英語treasonの語源は、traditionと同じラテン語traditioトラーディティオ「与えること、引き渡すこと、言い伝えること」であって、先祖から子孫に与えるとtradition「伝統」になり、敵に与えるとtreason「反逆、裏切り」になるからだ。
言語学にいう「二重語」「姉妹語」と呼ばれるもので、厳密には対義語ではないだろうが、素人の私には対義語のように思えるのだ。
我々日本人は、お人好しであって、外国人に教えを請われると、ホイホイと伝統技術を教えてしまう。
ほとんどの外国人は、日本人に教えてもらった日本の伝統技術だと正直に言うので、まだよいのだが、例えば、板のり、和紙、醤油、青森のねぶたなどの伝統製法を韓国人に教えたところ、これらは韓国が起源であって、韓国が日本に伝えた・教えたのだと言い出すから、始末が悪い。
このような話を見聞きするにつけ、日本語にも「門外不出」「一子相伝」「秘伝」という言葉があるけれども、先祖から伝えられたtradition「伝統」を子孫に伝えずに、敵に伝えることは、先祖に対するtreason「反逆、裏切り」なのだという自覚が足りないのではないかと思うのだ。
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