ここ数年、東大生のキャリア官僚離れがよく話題に上っている。
下記の記事には、「東大生の「キャリア官僚離れ」が進んだ理由はいくつもあるが、長時間労働の常態化が主要因の1つと見られている」とある。
人間というものは、やりがいや生きがいを感じれば、寝食を忘れて没頭する生き物であって、東大生も例外ではない。
長時間労働の常態化という労働環境の悪さがあっても、やりがいや生きがいがあれば、働くのが人間なのだ。
現に上記の記事には、「同じ激務ならば、官僚になるよりも、より多くの報酬を得られる外資系企業などに勤めたほうがよい」と考える学生が少なくないとあり、労働環境が悪くても働くのだ。
では、何が原因なのか?
ひと昔前までは、「自分がキャリア官僚になって国家を運営し、社会主義・共産主義を実現するんだ!」とやりがいや生きがいを感じて、キャリア官僚の世界へ飛び込んだのだが、今や社会主義・共産主義が人類に害悪しかもたらさない狂信的なカルト宗教であるという認識が東大生の間に広まったため、社会主義・共産主義の実現を夢見る東大生が減り(東大の人文社会科学系の教授陣は、今なお真っ赤っかで、学生を洗脳し続けているため、東大入学後に洗礼を受ける学生が少なくないことも事実だ。)、資本主義・市場経済の自由な世界で活躍したいと考えられるようになったことが大きいと思われる。これは、東大生の支持政党の変遷を見れば、明らかだ。
その意味で、東大生のキャリア官僚離れは、東大生の健全さを表しているといえよう。
そうだとすれば、官僚養成学校として設立された東大の性格上、健全な東大生にこそキャリア官僚になってもらって、全体の奉仕者として国家国民のために働いてもらいたい。
そのためには、自分で質問を考えることができない国会議員の代わりに質問を考えてやるなどの長年の悪しき因習を改めることだ。このような馬鹿馬鹿しい因習こそが働く意欲を失わせるのだ。
憂慮すべきは、立命館大学の躍進だ。昔から「東の法政、西の立命館」と呼ばれるほどの左翼の牙城であって、多くの同志を地方公務員として自治体に送り込んできた実績がある。東大生のように、憑き物が落ちた学生ばかりであればよいのだが。
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