武装解除

 米国では、銃が子どもの筆頭死因だという下記の記事を読んで、刀狩りを連想した。

 いわゆる刀狩りは、古くは鎌倉時代に遡(さかのぼ)るそうだが、有名なのは豊臣秀吉が行った刀狩りだ。

 これにより、百姓一揆が困難になり、農業に専念せざるを得なくなったため、いわゆる兵農分離が進んだわけだ。

 公家や武士のみが帯刀するようになったが、だからといって威張り散らして無闇に刀を抜くことはなく、お蔭で江戸時代は天下泰平が続いた。


 明治になると、四民平等を推進するため、いわゆる廃刀令が出され、武士の特権であった帯刀が禁止された。武士が自らその特権を放棄したわけだ。

 ただし、帯刀が禁止されただけで、所有は禁止されていなかった。


 戦後、GHQは、民間の武装解除条項を指示した。ドイツ兵やイタリア兵は、両手をあげてすぐに降伏するのに、機関銃を撃ちまくる米兵に対して、日本兵は、最後まで降伏せずに、日本刀を抜刀して斬りかかってくることに恐れをなし、武装解除しなければ危険だと考えたからだ。この武装解除には、日本刀が当然含まれた。

 日本政府は、刀は武士の魂であり、各家の家宝だと主張して、刀の接収に反対したが、日本刀を含む全ての武器は、軍国主義の象徴であるとして、GHQは、日本政府の主張を受け入れなかった。

 そこで、日本政府は、美術品として価値のある日本刀は文化財だと主張し、GHQもしぶしぶこれを受け入れた。美術的価値がないとしてGHQに接収された日本刀は、100万〜300万振りだと言われており、その大半は海中に投棄されたが、戦利品として母国へ持ち帰った米兵が少なからずいた。


 このように理由はどうあれ、日本は刀狩りを自ら行い、又米国も日本において武装解除の実績があるのだから、米国においても武装解除をすることができるはずだ。


 しかし、よく知られているように、米国には、憲法修正第2条がある。


cf. アメリカ合衆国憲法の修正条項(アメリカ合衆国憲法本文第5章にもとづき、合衆国議会が 発議し諸州の立法部が承認した、合衆国憲法に追加され またはこれを修正する条項)

修正第2条[武器保有権] [1791 年成立] 

規律ある民兵団は、自由な国家の安全にとって必要であるから、国民が武器を保有し携行する権利は、 侵してはならない。


 この条文は、一見すると民兵団のための集団的な武器保有携行権のようにも思えるし、個人の武器保有携行権のようにも思える。いずれの解釈が正しいのだろうか。

 前者だとすれば、個人の武器保有携行権は認められないので、政府が武装解除させることができることになるのに対して、後者だとすれば、政府が武装解除させることはできないことになるので、問題となる。


 この問題は、我々日本人には馴染みがないが、米国弁護士の内藤博久氏が分かりやすく解説しているので、下記の記事をご覧いただきたい。

 結論から先に言うと、アメリカ連邦最高裁は、個人の武器保有携行権だと解しているため、憲法上、米国政府が武装解除させることはできないことになる。

 憲法修正第2条を改廃して武装解除を行わない限り、子供の死因第一位が銃という悲惨な現状は変わらないわけだ。実に愚かだ。

  この点一つ取ってみても、米国は、決して理想の国ではないし、日本に対して偉そうなことを言える立場ではない。


 米国人観光客は、母国では街を歩く際にはいつ襲われるかと常に緊張を強いられるが、日本に来て生まれて初めて身の危険を感じずに夜中ですら街を歩くことができると感動するそうだ。

 我々は、刀狩りをしてくれた先人に感謝しなければならない。

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