下記の記事によると、登山家の野口健氏がXで「またしても日本人の子どもが狙われてしまった。シナの大使を国外追放すべき(注:原文のまま)」とツィートしたことに対して、批判が集まっているそうだ。
確かに、野口氏は、「シナの大使」ではなく、「中国の大使」と表記すべきだった。
しかし、それは「シナ」が差別用語だからではなく、「シナ」は地理的呼称であって、国名ではないからだ。
「中国」は、「中華人民共和国」という国名の略称だ。「中華」は、漢民族が、周囲の国・民族より優れている、換言すれば、周囲の国・民族は劣っているという信念から自国を呼ぶ美称だ。「中華」こそが差別用語なのだ。周辺の国・民族を侮辱する国名を用いている国は、中華人民共和国と中華民国(台湾)だけだ。
劣等民族であると蔑(さげす)まれている日本人が「中華人民共和国」と呼ぶのは、屈辱以外の何ものでもないし、長たらしいから、正式名称で呼ばなければならない外交などの公式の場面を除き、「中国」という略称で呼んでいるのだ。
これに対し、「シナ」・「支那」は、差別用語ではない。Chinaの地理的呼称にすぎない。
「支那(シナ)」は、英語「China(チャイナ)」と同様に、始皇帝の「秦(シン)」が語源だ。日本にも、仏典を通じて「支那(シナ)」という呼称が伝えられ、江戸時代に次第に普及した。
易姓革命により王朝がころころ替わったため(夏・殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・新・後漢・三国・晋・南北朝・隋・唐・五代・宋・元・明・清・中華民国・中華人民共和国)、例えば、「中国史」・「中国文化」と表記すると、「中華人民共和国史」・「中華人民共和国文化」という風に、極めて限定的な意味になってしまうので、古代から現代までをトータルで表すために、地理的呼称を用いて「支那史」・「支那文化」と呼慣わしてきたのだ。
例えば、明治42年3月に出版された柴田波三郎, 津川千代子 著『日本の家庭に応用したる支那料理法』(日本家庭研究会)が、「清国料理」ではなく、「支那料理」と表記しているのも、同様の理由による。この本には、「支那料理の極めて感心すべきこと」「支那料理の進歩は確に世界の第一位にあり」「支那料理は清潔で善い」などと積極的に評価しており、「支那」には差別的意味合いがないことは明らかだ。
戦前、清国が弱体化して、事実上の無政府状態に陥り、1912年(明治45年)1月1日に南京で中国国民党の孫文が率いる中華民国臨時政府が樹立され、2月12日に清朝最後の皇帝宣統帝(溥儀)が退位したことにより、清国は消滅した。
詳しい説明は省略するが、中国国民党の中華民国、中国共産党、満州国、国民政府(汪兆銘政権)、冀東(きとう)防共自治政府、馬賊などが入り乱れた状態で、当時の支那には統一国家がなかった。
そこで、例えば、「支那事変」、「膺懲(ようちょう)支那」(支那を懲らしめよ!)などの表現が用いられたわけだ。ここにいう「支那」には差別的な意味合いはなく、統一国家がないため、国名で呼ぶことができないので、地理的呼称を用いているにすぎない。
「シナ」・「支那」が差別用語だと言う連中は、South China Sea南シナ海、East China Sea東シナ海を知らぬのだろう。
このような常識が欠如した連中が増えたのは、漢学者の責任が大きい。
もともと「支那文学」・「支那哲学」・「支那史」と呼慣わしてきたのに、戦後、中国共産党に阿(おもね)て「中国文学」・「中国哲学」・「中国史」と呼ぶようになったからだ。
「シナ」・「支那」が差別用語だと言う連中は、無知な人だけでなく、中国共産党の工作員・シンパが多いと思われる。
戦時中、「支那」・「支那人」と呼んで、「中国」・「中国人」を蔑(さげす)むだけでは飽き足らず、現代においても「支那」・「シナ」と呼ぶことは、侵略戦争に対する反省が足りないからだ、と主張して、「支那」を差別用語にでっち上げて、中国は戦後に建国された(1949年10月1日建国)にもかかわらず、戦前の「支那」・「支那人」を「中国」・「中国人」と呼ばせようとするとともに、支那事変を勝手に侵略戦争にすり替え、日本人に贖罪(しょくざい。罪滅ぼし)意識を植え付け、中国共産党の言いなりにさせようというプロパガンダだからだ。
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