すっかり忘れていたが、下記の記事で思い出した。団塊の世代やその一つ上の世代に流行った「うたごえ運動」「歌声喫茶」だ。
1970年代に徐々に衰退したが、私が子供の頃は、まだその名残があった。テレビやラジオでもロシア民謡「ともしび」「カチューシャ」「トロイカ」などが流れたり、「歌声喫茶」の様子が放送されたりしていたからだ。
日教組教育、学生運動、労働争議、サークル活動、公民館等の各種講座など、あの手この手で露骨に共産主義運動が行われていた時代だった。これに附和雷同した愚かな団塊の世代たちが日本をダメにした。
この点、ギュスターヴ・ル・ボンの名著『群集心理』(講談社学術文庫)から一部引用しよう。1895年出版された『群集心理』は、戦後の我が国の共産主義運動にも見事に当てはまる。
「今日、群衆の要求は、ますますはっきりしてきた。そして、それは、ややもすれば現在の社会を徹底的に破壊して、文明の黎明以前のあらゆる人間集団の常態であった、あの原始共産主義へこの社会を引きもどそうとする。」(16頁)
「歴史の教えるところによると、社会の骨格である道義力がその効力を失ったときに、まさに野蛮人ともいうべき凶暴で無意識なこれらの群衆によって、その決定的な瓦解が行われたのである。幾多の文明は、これまで少数の貴族的な知識人によって創造され、指導されてきたのであって、決して群衆のあずかり知るところではなかった。群衆は、単に破壊力しか持っていない。群衆が支配するときには、必ず混乱の相を呈する。…群衆は、もっぱら破壊的な力をもって、あたかも衰弱した肉体や死骸の分解を早めるあの黴菌(ばいきん)のように作用する。文明の屋台骨が虫ばまれるとき、群衆がそれを倒してしまう。群衆の役割が現れてくるのは、そのときである。かくて一時は、多数者の盲目的な力が、歴史を動かす唯一の哲理となるのである。」(18頁・19頁)
「群衆は、自ら真理あるいは誤謬と信ずることになんらの疑いをもさしはさまず、他面、おのれの力をはっきりと自覚しているから偏狭であるに劣らず横暴でもある。個人ならば、反駁や論難を受けいれることができる。しかし、群衆は、それらに堪えられないのである。」(64頁)
「仏教、キリスト教、回教などの創始、宗教改革、フランス大革命、また今日では社会主義の憂慮すべき侵入のような、歴史上の大事件はすべて、群衆の想像力の上に及ぼされた強烈な印象の、直接あるいは間接の結果なのである。…群衆の想像力を刺戟する術を心得ることは、群衆を支配する術を心得ることである。」(84頁・86頁)
この点、NHKから国民を守る党の立花孝志氏は、次のように述べている。ル・ボンの『群集心理』を読んでいるとは思えないが、「群衆の想像力を刺激する術」・「群衆を支配する術」を心得ている危険な扇動家だ。
「だから、言い方はっきり言うけど、馬鹿な人たちをどうやって上手く利用するか。それはホリエモンがそういうことを言っている。最近、俺もそうやなって思っててね。だから、犬とか猫と一緒なんよ。
そういう人たちにも有権者として一票を託している制度、僕は、今の民主主義のやり方、一人一票でやり方は、全然違うと思っているけれども、これ違うと言っても、それは批判してもこの状態で選挙に勝たなきゃいけない。だから、馬鹿に入れて貰う方法を考えるのが本当の賢い人かなと思って。
ガーシーとかと話しているのはね、本当にこの国の国民って政治の問題、ウクライナの戦争の問題よりも芸能人の下ネタの方が好きなんよ。なるほどなと。
そうするとね、『そんなの下らない人間だ』と批判するよりそこに降りていく、そこに首突っ込むしかないんよ。この人たちに票を貰わなきゃいけない。それが結局その馬鹿な人たちを助けることでもありっていう、そこだよ」
保守主義者ル・ボンが伝統について述べた部分を一部引用しよう。拳拳服膺しなければならない。
「伝統は、過去の思想、欲求、感情を現すものである。それは、種族性の綜合であり、絶大な力をもってわれわれの上にのしかかっている。
…民族というものは、過去によって創造された一種の有機体である。どんな有機体とも同様に、民族は、祖先伝来徐々に蓄積されてきたものに手を加えなければ、変改することはできないのである。
民族を真に導くものは、伝統である。そして、私が幾度もくりかえし述べたとおり、民族が容易に変化させるのは、伝統の外形のみである。伝統がなければ、つまり、国民精神がなければ、どんな文明もあり得ないのである。
それゆえ、人間が存在して以来、二つの大事業とは、複雑な伝統を創造することと、ついで伝統の有用な効力が消耗したときに、その伝統を打破することであった。確乎とした伝統がなければ、文明はないし、またこれらの伝統を徐々にとり除いて行かなければ、進歩はない。むつかしいのは、不動と変動のあいだに、適正な均衡を見出すことである。
…従って、民族の根本的な任務は、過去の制度を少しずつ改めつつも、それを保存することでなければならない。これは、困難な任務である。その任務を実現したのは、だいたいにおいて、古代ではローマ人、近代ではイギリス人だけであろう。」(102頁・103頁)
ソ連時代の「カチューシャ」
ソ連兵や一般聴衆が無表情なのが印象的だ。ロシア民謡もロシアのクラッシックバレー団もボリショイ・サーカスもロシア帝国時代の遺物にすぎず、ソ連は何一つ世界に誇れる文化を生み出すことができなかった。自由が抑圧されていたからだ。お若い方には、隣国の北朝鮮を見れば、理解できるだろう。
ソ連崩壊後の「カチューシャ」
なお、「うたごえ運動」の資金源等については、下記が参考になる。
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