下記の記事を読むと、幕末・明治の留学生のことを思わざるを得ない。
幕末・明治の頃の西洋は、世界のほとんどを植民地化し、今と比べ物にならない程、有色人種差別が酷かった。
西洋は、厳格な階級社会であり、自国民に対する差別が酷いからこそ、自由・平等・博愛が声高に叫ばれるのだが、いわんや有色人種の外国人をや。
ただ、戦国時代に訪日した南蛮人たちがもたらした数多くの報告書や遣欧使節団によって、武力によって征服できない文明国日本は、西洋人に一目置かれた。
例えば、種子島にもたらされた鉄砲は、戦国末期には50万丁に達し、世界一の保有国になった。しかも、西洋のダマスカス銃よりも優れていた。
戦国時代の教育については、以前述べた。
江戸時代のオランダ商館を通じて西洋にもたらされた日本の陶磁器・漆器・屏風・着物・扇子・醤油などの様々な優れた文物は、西洋の上流階級を魅了し、梱包材とされた浮世絵は、ジャポニズムを生んだ。
江戸は、上下水道が完備し、リサイクルが行われ、清潔で商工業が盛んな世界最大級の都市だった。江戸を訪れた西洋人が驚嘆したほどだ。
幕末、大西洋からインド経由で(史上初めて太平洋を横断したのは、勝海舟率いる咸臨丸だ。)日本へやってきたペリー提督は、野蛮人だと思っていた「日本人は極めて勤勉で器用な人民であって、業種によっては世界最高である」、「日本人は数学、力学及び三角法を知っている。非常に優れた自国の地図を作っているし時計を作り、そこに発明の才を示している」、「艦載ボートが測量から帰ってくると、士官や部下たちは日本人の親切な気質や国土の美しさに有頂天になっていた。」、「日本人は、手工業において非常な精巧さと緻密さを示している。そして彼等の道具の粗末さ、機械に対する知識の不完全さなど不利な条件下でも、彼等の手工業上の技術の完璧さにはすばらしいものがある。日本の手工業者は世界におけるいかなる手工業者にも劣らず熟練して精通しており、国民の発明力をもっと自由に発達させるならば、他の国の物質的進歩の成果を学ぶ彼等の好奇心、それらを自らの使用目的にあてる敏速さによって、日本人は世界で最も成功している工業国民になっていただろう。他国民との交流から日本国民を孤立させている政府の排外政策(鎖国)が緩和されるならば、彼等はまもなく最も発達した国々の水準まで達するだろう。日本人が一度文明世界の過去及び現在の技能を手にしたならば、強力な競争者として、将来の機械工業の成功を目指す世界の競争に加わるだろう」と述べているように、日本を侮れない対等な国として断固たる姿勢で交渉に臨んだ。
このような先人たちのお蔭で、日本人は、西洋の大学へ留学することができた。しかも、優れた成績で卒業し、学位を取得したので、ますます日本は、一目置かれた。
この点についても、以前少し述べた。
当時の留学生は、名誉を守るためには命を捨てられる武士。日本人を侮蔑しようものなら、西洋の大男を投げ飛ばすぐらい造作もない。文武両道に優れ、礼儀正しく、信義に厚かった。
幕末・明治の留学生たちは、日本人として・武士としての誇りを胸に秘め、ドジャースの大谷翔平選手のように、誰もが納得せざるを得ない優れた結果を出して、人種差別をねじ伏せてきたのだ。
翻って記事を見ると、タレント神谷明采氏は、「ずっと日本にいて視野が狭くなるなんて絶対嫌だ」と述べている。
どこにいようが視野の広狭は、本人の努力次第だ。例えば、アメリカの首都ワシントンDC(正式名称「コロンビア特別区」)の人口は、70万人で、バーモンド州やハワイ州よりも多いのに、連邦議会議員の選挙権がない。ワシントンDCは、黒人が多数を占めているからだ。このように根強い黒人差別があることは、日本にいても分かる。
私自身、子供の頃、横須賀の米軍基地で黒人差別を何度も目撃した。この点については、以前述べた。
それはともかく、神谷氏が己のことを棚に上げて、日本にいると視野が狭くなると日本を見下していることは、間違いない。
しかも、神谷氏は、「私は東アジア人であることを本当に誇りに思ってる」と述べて、日本人としての誇りがないようだ。
黄色人種であること以外に東アジアにはなんらの共通点もないのに、いったい何に誇りを感じるのだろうか。かつて「儒教文化圏」が主張されたことがあるが、根拠薄弱で、今では誰も口にしなくなった。
少なくとも私は、一度も自分が「東アジア人」だと思ったことはない。これまでの人生を振り返ってみても、「私は東アジア人だ」と言う人を見聞きしたことがなく、神谷氏がはじめてだ。
フランスで差別された神谷氏は、日本人としての誇りがないようだが、日本人には実に誇らしいことがある。すなわち、世界史上、初めて人種差別撤廃を提案したのは、日本なのだ。
第一次世界大戦後のパリ講和会議において、日本は、「各国均等の主義は国際連盟の基本的綱領なるに依り締約国は成るべく速に連盟員たる国家に於る一切の外国人に対し、均等公正の待遇を与え、人種或いは国籍如何に依り法律上或いは事実上何等差別を設けざることを約す」と国際連盟規約に盛り込むことを提案したのだ。
世界中が欧米列強諸国の植民地にされ、すさまじい差別が行われているのに、誰も声を上げることができなかった。
しかし、我が国は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦に勝利して独立を維持し、誰もが納得せざるを得ない結果を出したからこそ、かかる提案ができたし、フランス、イタリア、ギリシャ、セルビア、クロアチア、チェコスロバキア、ポルトガル、中華民国が賛同してくれたのだ(アメリカ、イギリス、ブラジル、ポーランド、ルーマニアが反対し、アメリカのウィルソン大統領が議長として「全会一致ではないので、否決された」と一方的に宣言し、廃案にされてしまった。)。
私は、日本人として、日本人の血と涙と努力の結晶であるこの提案を誇らしいと思う。
ところで、世界で最も優秀な民族であると自称することが他の民族を差別していることに気付かない韓国人が西洋で差別されると、「アジア人に対する差別だ!」と喚いて被害者コスプレするのが常套手段であることは、周知の通りだ。
韓国・韓国人が嫌われていることを認めたくなくて、日本その他のアジアの国々を巻き込もうとするのは、やめてほしいものだ。まず、己の考え方や言動を改めよ。
タレント・モデルの水原希子氏は、アメリカ人の父と韓国人の母から生まれたそうで、日本人の血が一滴も入っていないのに、日本名を名乗って日本人になりすまし、日本女性を侮辱するかの如き写真を世界に配信した。
神谷氏は、「アジア人差別は根強い」と述べていることから、「水原希子」と同様に、「神谷明采」も通名で、在日外国人かもしれないし、韓国その他の東アジアの国の血が入っているのかもしれない。
これならば、反日感情から、日本に誇りを持たない、又は持てないのも理解できる。
仮に神谷氏が純血の日本人であった場合、母国である日本に誇りを持っていない人に対して、愛国心が強いフランス人が敬意を払うとは到底思えない。
そもそも神谷氏のことは、この記事を読むまで知らなかったし、いわんや神谷氏の出自なんて、私にはどうでもいいことだが、自分が差別されたからといって、韓国人みたいに「アジア人差別は根強い」とアジア人全員を被害者に巻き込むような恥ずかしい真似は、日本人ならばやめてほしいものだ。
さて、人種差別撤廃条約(正式名称:「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」)には、日本を含む多くの国が加盟している。
我が国は、加盟国の中で最も人種差別がない国だと言って過言ではない。肌の色が異なろうとも、お客様として平等におもてなしをしているからこそ、外国人観光客が急増し、リピーターも多い。ネットを検索すれば明らかだが、この点を絶賛している外国人が多い。
我が国の歴史・伝統文化、日本製品、漫画・アニメ・音楽・映画・日本食などが外国人を魅了していることも、日本に対する敬意の下地になっている。
そのため、日本人だと分かった上で、露骨に差別をする人は少ないようだ。
そうだとすれば、「差別するな!」と罵り合うのではなく、逆に、世界中の人々が他国人から敬意を持って遇されるよう言動を改め、「郷に入りては郷に従え」でお行儀よく振る舞えるよう自らが努力することが何よりも大事だということになる。
とはいえ、戦争がなくならないように、世界から人種差別がなくなることはないだろう。弱肉強食の自然界に生きる人間存在自体がそういうものなのだから。
しかしながら、幕末・明治の留学生や大谷選手のように、身をもって優れた結果を残すことにより、差別しづらくすることはできる。「差別するな!」と罵り合うのではなく、差別することが恥ずかしいと思わせるようにするのが有効なのだ。
アメリカへ幼くして留学し、ホームステイ先で奴隷として売られた高橋是清卿は、「栄枯盛衰は、人生の常である。順境はいつまでも続くものではなく、逆境も心の持ちよう一つで、これを転じて順境たらしめることもできる。境遇の順境は、心構え一つでどうにでも変化するものである。」と述べている。
神谷氏は「空気になることすら許されなかった」と嘆いているが、コソコソと空気になろうとせずに、日本人ならば、日本人としての誇りを持って正々堂々と留学先のパリの街を闊歩し、先人たちと同様に、優れた結果を残してほしいものだ。
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