先日、老母が「この座り方できる?」と訊いてきた。いわゆる「ヤンキー座り」だ。もちろんできる。テレビで健康に良いと言っていたらしい。
以前にも話したような気がするが、中学時代を過ごした神奈川県逗子市では、「ヤンキー」という言葉を聞いたことがなかった。
ところが、父の転勤で高校時代を過ごした大阪府では、「ヤンキー」という言葉が日常的に使われていた。「Yankeeヤンキー」=「アメリカ人」だと思っていたので、当初、クラスメイトたちの会話が理解できなかった。
「ヤンキー」=「不良青少年」で、例えば、「原宿のホコ天(歩行者天国)で踊っている“ローラー族”のように、リーゼントに革ジャンのようなアメリカ風の出で立ちだから、ヤンキーって言うねん」と教えられた。
『精選版 日本国語大辞典』(小学館)には、「ヤンキー」とは、「( 髪を染める風俗からという ) 俗に、街にたむろする新風俗の若者。主に関西でいう。」(太字:久保)とあるので、関東にいた私が知らなかったのも無理はない。
漫画やアニメの影響で、いまでは「ヤンキー」は、全国区になっているようだ。
ついでにYankeeヤンキーの由来が気になったので、調べてみたら、『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社)によると、
「 語源は不明であるが,北アメリカにヨーロッパ人による植民がはじまった当初,マサチューセッツに住んでいたインディアンが,イギリス人を意味する英語の〈English〉あるいはフランス語の〈Anglais〉という言葉をなまって発音したものともいわれている。
初めはニューイングランド生れの人たちを指したが,その後独立革命期にはイギリス軍が植民地軍に対してこの言葉を使い,南北戦争のときは南部連合軍が北部連邦軍を指してこの言葉を使った。その後はアメリカ以外の国からアメリカ人一般を指して使うようになり,例えば20世紀の初めにさまざまな形でアメリカの介入を受けた中央アメリカやカリブ海諸国は,こういうアメリカの政策に対して〈ヤンキー帝国主義Yankee imperialism〉という表現を使っている。 執筆者:猿谷 要 」
とあった。
Yankeeヤンキーは、その対象範囲を広げながらも、軽蔑的な意味合いを持ち続けているわけで、日本人がアメリカ人に面と向かってYankeeヤンキーと呼ぶことは、控えた方が良さそうだ。
まあ、New York Yankeesニューヨーク・ヤンキースというプロ野球球団があるので、気にしすぎかも知れないが。
さて、私が小学生の頃は、「体育座り」との対比で、踵(かかと)を地面につけてしゃがむことを「ウンチング・スタイル」とか「うんこ座り」と呼んでいたと記憶しているが、「ヤンキー」が股を広げて踵を地面につけてしゃがんで、タバコを吸ったり飲食することから、いつしか「ヤンキー座り」と呼ばれるようになった。
ところが、驚いたことに「ヤンキー」の本家本元であるアメリカ人のほとんどは、この「ヤンキー座り」ができないのに対して、アジア人は100%できることから、アメリカでは「ヤンキー座り」のことをAsian squatアジアン・スクワット「アジア系しゃがみ」と呼ぶそうだ!笑
データの原典を探したのだが、すでに削除されているため、真偽の程は明らかではないが、次のようなデータがあるらしい。
So we did a test – 100% of the Asians could squat with feet on the ground (P<0.000063) while only 13.5% of North Americans could (p<0.0000043). And of the 13.5%, 9% had part ASIAN ancestry in them. The remaining one was a Yoga Freak.
そこで、テストを実施したところ、アジア人の100%が足を地面につけた状態でスクワットすることができた(P<0.000063)のに対し、北米人ではわずか13.5%(p<0.0000043)でした。そして、その13.5%のうち9%はアジア系の血を引いていました。残りの1人はヨガマニアでした。
アジア人は、幼い頃から地面や床にしゃがむ生活習慣を繰り返すうちに、膝、足首、股関節が柔軟になり、「ヤンキー座り」・「Asian squatアジアン・スクワット」が知らず知らずのうちにできるようになったらしい。
これに対して、北米人は、椅子に座る生活習慣であるため、これができないらしく、我が国でもライフスタイルの欧米化に伴って、畳の部屋や和式便器がなくなり、椅子や洋式便器に座る生活習慣となったため、これができない若者が増えているらしい。
生活習慣の違いが運動能力にまで影響を与えていることに驚きを禁じ得ない。
椅子に座る生活習慣が運動能力を低下させているということは、他にも同様のケースがあるかも知れない。
アフリカなどでは、頭の上に重い荷物を乗せて運んでいる。また、私が高校生の頃までは行商人のおばさんたちが何十キロもの魚を入れた大きな箱を風呂敷状の丈夫な布に包んで肩に背負って電車に乗っていたので、一度担がせてもらったことがあるが、恥ずかしながら一人では立ち上がることができなかった。
綾瀬はるか主演のNHKの大河ドラマ『八重の桜』のモデルになった新島八重(にいじま やえ)は、13歳の頃には60キロもある米俵を4回も肩まで上げ下げできたそうだ。
冒頭に述べたように、この「ヤンキー座り」・「Asian squatアジアン・スクワット」が健康によいらしいのだ。俄(にわか)には信じられないが、下記の記事によると、腰痛に効くそうだ。
最後に、「ローラー族」と言っても、お若い方にはちんぷんかんぷんだと思うので、今や「前世紀の遺物」と呼ばれる昭和生まれの私が老婆心から、簡単に説明しておく。
なお、当時は、アイドル歌手や演歌歌手の歌もヒットしており、ロカビリーだけが流行していたわけではないので、誤解のないように。
1950年代に、エルヴィス・プレスリーなどのrockabillyロカビリーと呼ばれる黒人音楽と白人音楽を融合させたロックが大流行し、我が国でも若者を中心に第一次ロカビリー・ブームが起きた。
「ロカビリー三人男」(平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎)、尾藤イサオ、佐々木功(ささきいさお)などが活躍した。
ところが、1960年代になると、ビートルズが世界的に大流行し、我が国でも若者を中心にグループ・サウンズが流行するにつれて、ロカビリーは、下火になっていった。
1970年代になると、我が国では、安保闘争・反戦運動を背景に、大学生を中心にフォーク・ソングやニューミュージックが流行する一方で、リーゼントに革ジャン姿の矢沢永吉率いるロックバンド「キャロル」が、暴走族などの不良を中心に支持を受けるとともに、70年代後半から80年代初頭にかけて、キャロルの影響を受けた若者たちがホコ天(歩行者天国)で50年代のロックンロールに合わせてロックンローラー気取りで踊る「ローラー族」が登場し、第二次ロカビリー・ブームとなった。
前述したように、これを主に関西では「ヤンキー」と呼ぶようになったわけだ。
当時、ホコ天には、この「ローラー族」のほかに、原色の法被(はっぴ)に似た奇抜な衣装を着て踊る「竹の子族」と呼ばれる若者たちもいた。海外からも奇異の目で見られ、多くの取材陣が来日した。
両親は、原宿で実際に「ローラー族」と「竹の子族」を見たそうだが、私は、テレビで見ただけだ。「ゲバ棒を振るって火炎瓶を投げつけたり腹腹時計(時限爆弾)を仕掛けたりする連中よりもマシだけど、恥ずかしい」と思っていた。
ジョン・トラボルタとオリビア・ニュートン・ジョンのダブル主演のミュージカル映画『Greaseグリース』(1978年)を映画館で観た後は、やはり本場のYankeeヤンキーに見劣りする「ローラー族」が滑稽に見えて仕方がなかった。
ザ・ヴィーナスの「キッスは目にして!」(1981年)という歌謡曲がヒットしたあたりから、次第に飽きられてきて、第二次ロカビリー・ブームも下火になった。
ジョン・トラボルタ主演の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年)がきっかけで、ディスコミュージックが世界的に流行し、我が国でも、竹の子族がディスコミュージックで踊っていたが、バブル経済に伴って若者も奢侈(しゃし)になり、ディスコで踊るようになったことが、第二次ロカビリー・ブーム終焉(しゅうえん)の主たる要因ではないかと思う。
ディスコ・ブームは、1990年代初頭の「ジュリアナ東京」と呼ばれるディスコで最盛期を迎える。「お立ち台」と呼ばれるステージで「ワンレン・ボディコン」の若い女性が羽付扇子を持って踊っていた。
キャロル 「ファンキーモンキーベイビー」
「1981年(昭和56年)懐かしの 原宿 ローラー族 ロックンローラー ツイスト ロカビリー」
映画『グリース』(1978年)
ザ・ヴィーナス 「キッスは目にして!」(1981年)
映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年)のワンシーン
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