行政指導は、日本独自?

 行政指導は、行政機関が相手方と対等な立場に立って、相手方に「〜をしてくださいませんか」(作為)又は「〜をやめてくださいませんか」(不作為)と自発的な協力をお願いする行政手法であって、これに従うか否かは、相手方の任意だ。


 この行政指導は、例えば、『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)に「1965年(昭和40)に通産省(現、経済産業省)が住友金属工業(現、日本製鉄)に対してした粗鋼の減産指導以来、日本の行政の特色として諸外国にも広く知られるようになった」とあるように、日本独自の行政手法だと言われている。


 特に、平成2年(1990年)の日米構造協議では、日本市場の閉鎖性・不公平性を象徴するものとして、行政指導が槍玉に上がり、外交交渉の議題になった。

 すなわち、米国企業が日本に進出すると、弁護士を雇って、日本の法令や条例で禁止されていることを調べさせ、禁止されていないことは自由だとして、新しい商売等を行おうとすると、役所が「確かに、それは違法ではありませんが、日本の取引慣行にマッチしないので、やめてくださいませんか」と行政指導を行ない、これに従わないと、立入調査を繰り返したり、申請や届出を受け取らなかったりするなど、「江戸の敵を長崎で討つ」から、日本市場は、閉鎖的で不公平だ、と言うわけだ。

 お蔭で、Gyosei-Shidoは、法的拘束力がないと言いながらも、従わないと冷遇されるという意味で事実上の強制力があり、非公開・非制度・慣行的に運用され、日本市場の閉鎖性・不公平性を象徴する行政手法として、英語になってしまった。


 そして、日本側が外交交渉に負けて、「わかりました。今後は、行政指導についても透明性を高め、適正手続を定めます」と約束して制定された法律が行政手続法(平成五年法律第八十八号)なのだ。

 行政手続法第2条第6号は、行政指導を「行政機関がその任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を実現するため特定の者に一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言その他の行為であって処分に該当しないものをいう」と定義している。


 しかし、役人が相手方に対して自発的な協力をお願いすることなんて、古今東西よくあるはずなのに、どうして行政指導は、日本独自の行政手法だと言われるのだろうか。


 例えば、アメリカにも、Administrative guidance やRegulatory guidanceと呼ばれるguidanceガイダンス「助言、指導」やrecommendationレコメンデーション「勧告」と呼ばれる行政手法があるが、日本の行政指導とは異なり、非公式・非公開な口頭指導は、ないらしい(ホンマかいな?)。

 それ故、行政指導は、日本独自だと言われるのだろう。


 しかし、日本独自と言われる行政指導を最初に始めたのは、GHQなのだ。

 すなわち、日本は、ナチス・ドイツとは異なり、敗戦によって国が滅亡したわけではないため、GHQは、間接統治を行なった。

 その際、GHQは、Memorandumメモランダム「メモ(覚書)」や非公開の口頭指示を多用した。これは、指令ではないが、日本政府は、事実上拒否できなかった。例えば、教育改革、憲法改正、労働基本権の保障など、多くの占領政策がこの手法で事実上強制された。

 このGHQの統治手法を日本の官僚が真似たのが行政指導なのだ。

 それ故、私が平成2年の日米構造協議の担当者だったら、「貴国に行政指導を非難されるとは片腹痛い!」と言っただろう。

 まあ、行政手続法制定以前の行政指導は、行指導に従わなかったら水道を流さなかったりするなど、行き過ぎがあったから、アメリカが怒るのも無理ないのだが。。。

 


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