明治以前の日本の戦さのルール

1 明治以前の日本の戦さのルールの独自性・先進性

 明治以前の日本には、戦さのルールがあった。時代によってもちろん変遷があるし、源義経の一ノ谷の戦いのような奇襲もあるが、大まかに言えば、次の通りだ。


 まず、領民を戦さに巻き込まないように、農繁期を避け、できるだけ人気のない場所を戦場に選び、籠城する場合であっても、町の周りに城壁を築かずに、砦や城に立て籠って武士同士が戦うことが前提条件だった。


 次に、軍議を開き、神仏に勝利を祈り、吉凶を占い、開戦の合図として、大きな音がする鏑矢(かぶらや)を射った後に、お互いに弓隊が一斉に矢を射る「矢合わせ」をする。そして、槍隊が槍を突き合い、叩き合う「槍合わせ」に移行し、槍を持った騎馬隊が敵陣に突撃し、乱戦となる。この中で、一騎打ちが行われることがあった。


 城攻め・包囲戦では、非戦闘員(ex.女子供)の被害を避けるため、敵味方同士で交渉や一時休戦が行われた。


 夜襲や奇襲も、戦術として用いられたが、武士道や名誉の観点から、卑怯だと考えられていたため、夜襲や奇襲を選択する際には、倫理的判断を伴った。


 そして、敵将の首を討ち取るか、敵が降伏したり敗走すれば、勝鬨(かちどき)を上げて、戦闘が終了し、皆殺しのような、無用な殺生を避ける節度があった。もちろん敗走した敵将を探して落武者狩りが行われた。

 その後、敵将の首か否かを首実検(くびじっけん)し、論功行賞を行う。


 戦争である以上、激しい戦闘があり、当然非情な側面があったし、領民が戦火に巻き込まれることもあった。美化・理想化することは、慎まなければならない。


 しかし、他の文明圏では、無差別殺戮が常態化する中で、日本の戦さのルールは、伝統的に名誉と節度を重んじ、領民を戦さに巻き込まないようにしつつ、戦争に節度と礼儀を求めて一定の「人間性」を保持しようとした点で、独自かつ先進的であった

 なぜならば、戦争の倫理や戦争のルールは、国際人道法や戦時国際法など、近代に入って法的に体系化されたが、このような近代の枠組み以前に、日本が世界に先駆けてこれに類似する戦さのルールを形成していたからだ。


 クラウゼウィッツは、『戦争論』(岩波文庫)で、戦争は、他国の意志を自国の意志に服従させるための暴力の行使である旨を述べているが、クラウゼウィッツは、戦争を単なる暴力行為ではなく、政治の延長線上にある手段だと捉えている。すなわち、戦争・殺戮そのものが目的ではなく、戦争は、政治目的を達成するための手段だというわけだ。

 日本の戦さのルールは、クラウゼウィッツの考え方にもマッチすると言えよう。


 我々は、日本史の授業で時代ごとに戦争を中心に学習させられているので、日本は、戦乱の世がずっと続いていたかのようなイメージ操作をされているが、このような戦さのルールに基づいて武士同士が戦ったということは、領民から見れば、1000年以上平和だったということだ。

 支那(シナ。chinaの地理的呼称)では、民族の興亡が激しく、統一王朝が成立しても束の間の平和に過ぎず、再び戦乱の世になった。せっかく紙、印刷術、火薬、羅針盤を発明したのに、産業革命が起きなかった原因の一つは、平和が長続きしなかったことにある。

 これに対して、日本では、長く平和が続いたからこそ文化文明が発展したわけだ。


2 日本の戦さのルールの背景

 では、何故、日本にはこのような独自かつ先進的な戦さのルールが形成されたのだろうか。


⑴ 縄文時代から続く和の精神

 縄文時代は、森・自然と共生する狩猟採集を基礎とした部族社会であり、お互いに助け合い、争いを避ける風土が育まれ、慣習法に基づいて自発的・自律的に秩序が維持されていた。人を殺戮する武器が発見されていないことから、1万数千年の長きにわたって平和だった。

 縄文時代から培われた和の精神は、和解や和睦によって紛争を解決するよう努めることを促し、戦さを政(まつりごと)の最終手段に位置付けさせた。


⑵ 日本人は、皆親戚という血縁意識

 今上陛下は、第126代天皇だ。そこで、今上陛下のご先祖様を125代遡(さかのぼ)ると、ご先祖様は、合計何人になるのか。


 単純計算で、2の125乗

 =42,949,672,96,789,738,946,816人(計算間違ってないよね?苦笑)

 =42垓9496京7296兆0789億7389万46816人

 ※  1億 = 10⁸ 

   1兆 = 10¹² 

   1京 = 10¹⁶ 

   1垓(がい)= 10²⁰ 


 ただし、この計算結果は、過去に遡って全く血の繋がりがない者同士の間で子供が産まれた場合の人数だ。

 いとこ同士など、先祖を共通する者同士の結婚もあったから、実際にこの人数だったわけではないし、また、時代を遡るほど、総人口が少なくなるので、血縁同士の結婚も増えるから、この計算は、あくまでも単純計算に過ぎない。


 それにしても、現在の地球の人口約81億人を遥かに凌駕する途方もない人数になる。「他人の空似が3人いる」と言われるが、さもありなん。

 何が言いたいかと言うと、日本人は、皆親戚であり、皇室は、日本人の本家だということだ。

 これは、最近の遺伝子研究でも、同じ結果が出ており、日本人は先祖を共通にしていることが明らかになっている。

 このように現代の日本人は、単純計算や遺伝子研究の結果から、日本人が皆親戚だということを知り得るが、昔の人々は、そうではない。


 しかし、記紀を読めば、皆親戚だということが分かる。例えば、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)や神武天皇が姻族関係を結ぶことによって、勢力範囲を拡大したり、政治的連携を強めたり、政治的対立を緩和したりするなどの婚姻戦略(政略結婚)を採っていたからだ。

 また、日本人は皆親戚だということは、自らの系図を見れば明らかだから、古来より、少なくとも有力豪族・貴族・武士の間で血縁意識が共有されていたと思われる。


 この血縁意識が、骨肉の争いを忌み嫌い、戦さにおいて皆殺しなどの残虐で無用な殺生を避ける心理的・社会的要因になったと考えられる。


⑶ 仏教の普及と殺生戒の影響

 仏教が広がると、生き物を殺すことを禁ずる殺生戒が浸透し、無用な殺生を避けるようになった。


⑷ 武士道

 武士社会では、何よりも名誉を重んじるため、戦さであっても礼節や節度を保持すべしと考えられた。

 一目見て誰かが分かるような派手な甲冑を身に付け、名乗りを上げて、正々堂々一騎打ちを行ったり、卑怯な振る舞いをすることを潔しと思わずに敵に情けをかけることもあり、このような武士の美学もまた戦さに節度をもたらした。


3 現代戦の残虐さ

 現代戦は、大量破壊兵器によって、無辜(むこ)の民まで殺傷する残虐極まりない大量殺戮だ。名誉や節度もない。

 諸外国が勝手に戦争をやっておいて、日本がその尻拭いを押し付けられてばかりいる。

 日本文明が生んだ戦さのルールを踏まえて、戦時国際法の発展に寄与し、その遵守を各国に働きかけ、これを条件に戦後復興に助力するなどの戦略を構築すべきではなかろうか。

 


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