14世紀ごろにヴェニスの商人が始めたと言われる複式簿記は、借方と貸方が一致する性質により記帳の間違いをチェック できること、取引を漏れなく記録できること、商品ごと・事業ごとの利益を算出できることから、ヨーロッパに広まった。
ドイツの文豪ゲーテは、複式簿記は「人間の精神が産んだ最高の発明の一つ」であるとして、ワイマール公国の大臣として 複式簿記を学校教育に取り入れることを義務付けたそうで、イギリスの産業革命も、複式簿記によって支えられたと言 われている。
わが国で複式簿記が本格的に導入されたのは明治になってからである。わが国最初の簿記の本は、福沢諭吉先生がBryant and Stratton’s Common School Book-keepingを翻訳した『帳合之法(ちょうあいのほう)』であると言われている。
福澤先生はBook-keepingを「帳合」 と訳したが、その後、帳簿記入を略して「簿記」と訳されるようになった(Book-keeping →Bo-Ke「ボキ」と呼ばれるよう になったとも言われている。ほんまかいな?ボケちゃうん?笑)。
「妻を娶(めと)らば 才長(さいたけ)けて 身目美(みめうる)わしく 情(なさけ)けあり 友を選ばば 書を読みて 六分(りくぶ)の侠気(きょうき) 四分(しぶ)の熱」という歌詞で有名な『人を恋ふる歌』(作詞:与謝野鉄幹 作曲:不詳)には、「簿記の筆とる 若者に 真(まこと)の男(をのこ) 君を見る」という一節がある。立身出世を夢見る明治の若者にとって、複式簿記は重要なスキルの一つであったのだ。
公会計改革により、平成の御 世に複式簿記がようやく自治体職員の必須スキルになったのは感慨深い。
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