朝テレビを付けたら、妻子ある男優が若い女優と浮気したという醜聞を放送していた。こんなことに費やす時間と労力とお金があるならば、もっと報道すべきことが他にたくさんあるだろうにと思って、チャンネルを替えるのだが、そこでも同じ話を大騒ぎして放送しているものだから、馬鹿馬鹿しくてテレビのスイッチを切った。
この手の不倫報道を見るたびに思い出すのが、J・Sミル著、塩尻公明・木村健康訳『自由論』(岩波文庫)だ。
現在の岩波文庫の宣伝文句には、「イギリスの思想家ジョン・スチュアート・ミル(1806ー73)の代表的著作。言論の自由をはじめ、社会生活における個人の自由について論じ、個人の自由の不可侵性を明らかにする。政府干渉の増大に対する警告など今日なお示唆を与えられるところ多く、本書をおいて自由主義を語ることはできないといわれる不朽の古典。」とある。
法学部の学生ならば、一度は読まなきゃいけないなと思わせる宣伝文句だ。大抵の憲法の教科書にも、ミルの『自由論』が載っているから、必読文献だと思ってしまう。御多分に漏れず、若き日の私も読んでしまった。。。苦笑
結論から先に言えば、時間と労力とお金の無駄だった。
ショウペンハウエルが、「悪書を読まなすぎるということもなく、良書を読みすぎるということもない。悪書は精神の毒薬であり、精神に破滅をもたらす。
良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである。」(ショウペンハウエル著、斎藤忍随訳『読書について 他二篇』(岩波文庫)134頁)と忠告してくれていたのに。。。
ミルは、序文で「私の著作に含まれている最も善きもののすべての鼓吹者であり、また部分的にはその著者でもあった彼女ーー真理と正義とに関するその崇高なる観念は私にとっての最も強い激励であり、またその賞賛が私にとっての主報償であったところの、私の友であり妻であった彼女ーーその彼女の愛しく悲しき思い出に対して、この書物を捧げる。多年私が書いて来たすべての著作と同じように、本書は私の著作であると同時に彼女の著作でもある。」と述べている(上掲5頁。太字:久保。)
当時の事情を知らぬ現代人がこの一文を読むと、ミルは愛妻家で、妻はよき理解者でありよき協力者でもあったのだなぁ〜ぐらいに思って、この序文に特に気にも止めずに読み進めてしまうのだが、これが本書を誤読する大きな原因だ。
実は、ミルの「友であり妻であった彼女」は、ハリエット・テイラーといい、人妻だった。単なる浮気ではない。ミルは、本来の夫テイラーと一緒にハリエットという女性を妻として共有していたのだ。一妻二夫制という異常な夫婦共同生活を営んでいたわけだ。
当時は、騎士道精神及びピューリタニズムが色濃く残るヴィクトリア時代だったから、当然、非難殺到。そこで、これに反論すべく書かれた本が本書なのだ。いつだったか、不倫報道があった芸能人カップルがLINEで口裏合わせをしていたことが発覚して、マスコミから叩かれたことがあったが、これと同様に、否、これ以上に、ミルは、ハリエットと二人で知恵を絞って世間を煙に巻くべく書き上げたのが本書というわけだ。出版当時は、さぞやスキャンダラスな本だったことだろう。
字面だけを眺めていると、たいそうご立派なことが書かれているように見える。しかし、世間から非難された自らの不道徳な行為をいくら正当化しようとしても、もともと反道徳的行為をしているわけだから、正当化しようがないわけで、詭弁を弄するに終始している。
詭弁をいちいち論(あげつら)うのは馬鹿馬鹿しいので、詳細は省略するが、例えば、「他人の伝統や習慣が行為を規律するものとなっているところでは、人間の幸福の主要なる構成要素の一つが欠けているし、また実に個人と社会との進歩の最も重要な構成要素が欠けているのである。」(115頁)、「慣習であるが故に慣習に従うということは、人間独自の天賦である資質のいかなるものをも、自己の裡に育成したり発展させたりはしないのである。」(118頁)というように、小難しく述べている。要は、「ボクの思い通りにいかないのは、伝統、習慣、慣習のせいなんだ!」・「世間が悪いんだ!」と駄々をこねて喚いているわけだ。
しかし、共同体の伝統、慣習等の中で育まれてこそヒトは人になるのであって、さもなければただの「裸のサル」にすぎず、人間らしく生きられないことがミルには全く分かっていない。
また、「天才をもっているという人は、たしかに、極めて少数であるし、また常に少数にとどまる傾向がある。しかし、その少数の天才を確保するために、彼らの成長しうるような土壌を残しておくことが必要である。天才は、自由の雰囲気の中においてのみ、自由に呼吸することができる。」(131頁)と述べているのだが、要は、「ボクは天才なんだから、何をしたっていいんだ!好きにさせてくれ!」というわけだ。
挙げ句の果てに、「慣習に膝を屈することを拒否するということだけでも、そのこと自体が一つの貢献なのである。世論の圧制が甚だしくて、普通でない[奇矯]ということが非難さるべきことになっているくらいであるから、正にそれ故に、このような圧制を打ち破るため、人々が普通でないということこそむしろ望ましいのである。」(135頁)として、「ボクが奇矯なことをしているって非難されているんだ。世論の圧制を打破するために、さあ、みんなも奇矯なことをやろうよ!」と反社会的・反道徳的な行動をするようそそのかす始末。
一事が万事この調子で、本書は、社会性が欠如した我儘な子供の戯言にすぎない。自由主義の古典だ、名著だなどと、思い込んで真に受けると、精神が汚染されることがお分かりいただけよう。本書は、決して自由主義の古典ではない。放縦主義(リバティーニズム)の古典であって、「精神の毒薬であり、精神に破滅をもたらす」悪書だ。
ミルの言い訳をひとことで言ってしまえば、「ボクは、他人に迷惑をかけていないんだから、何をしたって自由だろ!」ということに尽きる。
ハリエットと夫テイラーとの間には、二男一女の子供がいた。この子供たちには迷惑をかけていないのだろうか。ハリエットや夫テイラーの実家には迷惑をかけていないのだろうか。風紀を乱し世間に迷惑をかけていないのだろうか。こんなことすら思いを致すことができぬ精神的未熟児がミルなのだ。
ミルは、著名な父ジェームズ・ミルに学校へ行かせてもらえず、父から功利主義者になるべく厳しく詰め込み教育をされた。幼き頃からずっと年がら年中勉強漬けで、同年代の子供と遊ぶことも許されなかった。父の期待に応えるべく、猛勉強をして、大変お勉強ができたようだ。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を引用すると、ミルは、「八歳になるまでにアイソポス寓話、クセノポンの『アナバシス』、ヘロドトスの著作全てを読み、またルキアノス、ディオゲネス・ラエルティオス、イソクラテス(Isocrates)、プラトンの六編(ミルの自伝を参照)を理解し」、「8歳の時分にミルはラテン語、ユークリッド幾何学、代数学を学び始め、父親によって家族内で彼の弟たちの教師役に選ばれた。」そうだ。
しかし、ついに反動が来た。21歳のときに精神を病んでしまったのだ。そんなときに出会ったのが人妻ハリエットだった。精神的に大人になれなかったミルを理解し、才能を讃え、鼓吹した市民活動家ハリエットに溺れるのに時間はかからなかった。
やがて一妻二夫制という異常な夫婦共同生活を営んでいることが世間の知るところとなり、モラルを重んじる世間から厳しい非難を浴びたハリエットは、一人娘である末っ子のヘレン(たぶんミルの子供ではないか?)を連れて、夫テイラーと別居し、ミルはハリエットの家へ通い婚をしていた。
夫テイラーが死んだ2年後、ミルはハリエットと正式に結婚したが、7年後にハリエットが亡くなった。意気消沈するミルを15年間支えたのは、娘ヘレン・テイラーだった。
人間ミルを哀れに思わなくもないが、それは思想家ミル自身が望まないだろう。ミルが残した著作の害毒は、現代まで垂れ流され、善良な人々の精神を汚染し続けている。バートランド・ラッセルは、その著『西洋哲学史』において、自分の名付け親であるミルの『功利主義』について、「どうして彼がそのようなことを考え得たのか、理解に苦しむほど誤ったある議論を呈供している。すなわち彼は、次のように云う。快楽は欲望される唯一のものであるから、したがって快楽は唯一の望ましいものである、と。」と述べる程度に留め(市井三郎訳『西洋哲学史』第三巻 近代哲学・現代哲学』(みすず書房)254頁)、ミルについてはほどんど紙幅を割いていない。
ミルの『自由論』を読むよりも、映画『カサブランカ』(1942年)を見る方が遥かに精神衛生上良い(上掲写真)。
アメリカ人リック(ハンフリー・ボガート)は、パリでイルザ(イングリット・バーグマン)という美しい女性と出会い、恋に落ちる。イルザは、夫ラズロが収容所で死んだと聞かされていたが、実は生きていた。つまり、結果的にリックとの恋は、不倫だったことになるわけだが、当時のリックとイルザはそのことを知らない。
ナチスドイツ軍がパリに侵攻してくるため、一緒に逃げようと約束したリックとイルザ。しかし、イルザは、待ち合わせの駅に現れず。
親ナチスのヴィシー政権の管理下に置かれたフランス領モロッコの都市カサブランカで、カジノ兼バーを営むリックの元に、突然、最愛のイルザが夫ラズロとともに現れる。イルザが生きていたことを内心喜びながらも、自分との約束を裏切ったイルザに辛く当たるリックは、パリで出会った時にすでにイルザがラズロと結婚していたことを知って、愕然とする。己の嫉妬と罪に苦悩するリック。揺れ動く二人の心。
しかし、リックは、命がけでこの夫婦をナチスドイツの手から逃す。愛するイルザの幸せのために。己の快楽のみが望ましいものだと考える功利主義者ミルには、決してリックの心と行動を理解できまい。男の美学を体現したハンフリー・ボガートがとにかくカッコイイ!
リックとイルザがパリで出会ったときに流れていた思い出の曲As Time Goes Byをどうぞ♪
<追記>
映画の著作権が切れているからだろう。Youtubeに映画『カサブランカ』が2年前にアップされていた!
まだご覧になったことがない方は、ぜひどうぞ♪
映画『カサブランカ』と言えば、ハンフリー・ボガートの「君の瞳に乾杯」というセリフが有名だが、上記の日本語字幕では、「この瞬間(とき)を永遠に」になっていて、一瞬???となった。
どちらも素敵な超訳だ。原文は、「Here's looking at you, kid.」であり、直訳すれば、「乾杯しよう(Here is)、君を見ていること(looking at you)に、子やぎ(→お嬢ちゃん)(kid)」だからだ。
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