国立国会図書館とキリスト教


 憲法の教科書や講義では、政教分離の原則に違反するかどうかの設例として、地鎮祭、忠魂碑、玉串料及び靖国神社公式参拝など、実際に裁判になったケースが採り上げられることが多い。

 しかし、法律自体が政教分離の原則に違反するかどうかという設例は、寡聞にして知らない。そこで、提供しようと思う。


 すなわち、国立国会図書館法の前文は、「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立つて、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」と定められている。


 実は、この「真理がわれらを自由にする」という言葉は、「法案の起草に参画した羽仁議員がドイツ留学中に見た大学の銘文を基に創出したもので、その銘文は、新約聖書の「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース ヨハネによる福音書8:32)に由来する」そうだ。

 法律にキリスト教由来の言葉が用いられていること自体が大変珍しいが、それを国立国会図書館東京本館ホールに刻み付け、HPに写真入りで解説しているのも興味深い。


 これらが国の「宗教活動」を禁止する憲法第20条第3項に違反するのではないかが一応問題になり得る。


 ここにいう「宗教活動」とは、「当該行 為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいう」と解する最高裁の目的・効果基準によれば、「憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命」として、「図書及びその他の図書館資料を蒐集し、国会議員の職務の遂行に資するとともに、行政及び司法の各部門に対し、更に日本国民に対し、この法律に規定する図書館奉仕を提供することを目的とする」ので、世俗的な目的で、その効果がキリスト教に対する援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないから、「宗教活動」に当たらず、憲法第20条第3項に違反しないということになろう。

 

 そもそもキリスト教に由来するとはいえ、聖書の文言をそのまま引用しているわけではないし、また、国語で「真理」というのは、「ほんとうのこと。まことの道理。真実のこと。」を意味し(『精選版 日本国語大辞典』小学館)、イエス・キリストのことを指すわけではない。

 他方で、キリスト教からすれば、イエス・キリストを信じ、その教えに従うことによってのみ真理すなわち神を知ることができるのであって、国立国会図書館ごときに頼っていては真理を決して知ることはできないということになろう。

 それ故、他の宗教からもキリスト教からも、これまで訴えられることがなかったのだと思う。


cf.1国立国会図書館法(昭和二十三年法律第五号)

 国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立つて憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。

第一条 この法律により国立国会図書館を設立し、この法律を国立国会図書館法と称する。

第二条 国立国会図書館は、図書及びその他の図書館資料を蒐集し、国会議員の職務の遂行に資するとともに、行政及び司法の各部門に対し、更に日本国民に対し、この法律に規定する図書館奉仕を提供することを目的とする


cf.2新約聖書 ヨハネによる福音書

8:31 イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。

8:32 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。

https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#8:32


cf.3日本国憲法(昭和二十一年憲法)

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

○2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

○3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない

第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。


 


 


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