ブログを更新しないのですかというメールがあった。う〜ん、ブログを日課にしているわけではなく、気が向いたときに書いているだけなのだが。。。元気にしておりますので、ご安心ください。
さて、みなさんは、クレジット・カードcredit cardを使っておられるのだろうか。
頭が古い私も、一応、現代人なので、クレジット・カードを作ってはいる。「年会費無料で、これを使って携帯電話の支払いをするとポイントが貯まるから」と携帯ショップの店員に勧められたのがきっかけだ。
しかし、微々たるポイントよりも、遠方へ出張した際に、自然災害等により交通機関が麻痺して帰宅できず、何泊かせねばならぬような不測の事態に備えて作ったので(停電の場合には、使えないが。苦笑)、普段これを持ち歩くことはないし、一度もこれを使って買い物をしたことがない。
この信用、信用貸しを意味する英語credit クレジットは、ラテン語の動詞credere 信じるという動詞の過去分詞に由来し、「信じられること」から「信用できること」の意味になったそうだ。
このクレジット(消費者信用)には、①消費者金融と②販売信用の二つに大別することができる。
①消費者金融とは、消費者を信用して、金銭等を貸し付けて、利子を付けて返済することを一定期間猶予することだ。
なお、利息も利子も同じ意味だが、借りた場合に支払うものが利子、貸した場合に受け取るものが利息と呼ばれることが多い。
②これに対して、販売信用とは、商品の売主が買主を信用して、商品を先渡しして、代金を後払いにすることだ。
いずれにせよ、当事者間に信頼関係がなければ、クレジット(消費者信用)という商売は成り立たないのだが、いつの時代も借金や代金を踏み倒して夜逃げをする輩がいるので、クレジット(消費者信用)は、ハイリスクな商売だ。
そのため、消費者金融の利率は高めに設定され、高利貸しになるし、また、販売信用の場合も、代金が高めに設定されることになる。
しかし、高利であっても借金できれば、当面の生活をしのぐことができるし、また、高価な商品であっても、代金後払い、特に分割払いであれば、買うこともできるから、クレジット(消費者信用)は、消費者にとってはありがたい商売でもあるわけだ。
この消費者金融は、歴史が古く、貨幣ができる前からあったらしい。穀物の種を貸し付けて、収穫後に利子を付けて収穫物で返済していたそうだ。
例えば、「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ法典(紀元前18世紀)は、嵐や日照りで穀物が成熟しなかった場合には、その年は、借主は、穀物を弁済することを要しないし、利子を支払うことも要しないと定めている(§48 (Col. XIII - XIV) )。
cf.ハンムラビ法典
§48 (Col. XIII - XIV) 或者(あるもの)ガ利息ヲ支拂(支払)フ債務ヲ負擔(負担)スル場合ニ、嵐ガ彼ノ原野ヲ荒シ穀物ヲ損傷シ、又ハ水ノ缺乏(欠乏)ノ爲(た)メニ穀物ハ原野ニ於(おい)テ成熟シナカツタトキハ、其年(そのとし)ハ彼ハ債權者(債権者)ニ穀物ヲ興(与)フル(辨濟(弁済)スル)コトヲ要セヌ。而(しこう)シテ契約書ヲ改メテ(延期スルコト)、其年ハ利息ヲ拂(払)フコトモ要セヌ。(ルビ・常用漢字:久保)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971247/74
古代ローマにおいて、消費者金融は、大いに発展した。ローマ法には、①最高利率の制限、②重利(複利)の禁止、③利息の総額が元本額を超えることの禁止という利息制限が定められていたことがこれを物語っている。
ところが、中世になると、アリストテレスの影響を受けたローマ・カトリック教会により、消費者金融は衰退し、その発展は近代を待たねばならなかった。
アリストテレスは、利子が自然に反するとして、次のように述べている。
「憎んで最も当然なのは高利貸しである。 それは彼の財が貨幣そのものから得られるのであって、貨幣がそのことのために作られた当のもの[交換の過程]から得られるのではないということによる、何故なら貨幣は交換のために作られたものであるが、利子は貨幣を一そう多くするものだからである」(『政治学』(岩波文庫)57頁)。
旧約聖書には、利子について肯定的な記述もあるが、例えば、「35 あなたの兄弟が落ちぶれ、暮して行けない時は、彼を助け、寄留者または旅びとのようにして、あなたと共に生きながらえさせなければならない。 36 彼から利子も利息も取ってはならない。あなたの神を恐れ、あなたの兄弟をあなたと共に生きながらえさせなければならない。 37 あなたは利子を取って彼に金を貸してはならない。また利益をえるために食物を貸してはならない。」(レビ記第25章)、「19 兄弟に利息を取って貸してはならない。金銭の利息、食物の利息などすべて貸して利息のつく物の利息を取ってはならない。 20 外国人には利息を取って貸してもよい。ただ兄弟には利息を取って貸してはならない。これはあなたが、はいって取る地で、あなたの神、主がすべてあなたのする事に祝福を与えられるためである。」(申命記第23章)という風に、否定的な記述も多い(『聖書 [口語]』(日本聖書協会))。
トマス・アクィナスは、アリストテレスの影響を受けて、「貸した金のゆえに利子を受け取ることはそれ自体において不正なことである。 ....酒あるいは麦を貸したものが二つの返還を求めたならば、 ――すなわち、一つは等しい物の返還、そしてもう一つは使用の代金、 つまり利子と呼ばれるもの――不正義の罪を犯すことになるのである。」と述べている (『神学大全』(創文社)設問78第1項)。
時間を支配するのは神であり、利子は時間の産物だから、人間が受け取ってはならないというわけだ。
このようにキリスト教徒に忌み嫌われた消費者金融を担ったのが異教徒であるユダヤ教徒であり、その上前をはねていたのがローマ・カトリック教会だった。
なお、イスラーム教においても、利子が禁止されている。そのため、現在でも、銀行からお金を借りて家を建てることができない。イスラーム教国には、住宅ローンがないのだ。
しかし、そこは抜け目のないイスラーム商人の面目躍如であって、銀行が建築主に代わって建築資金を出して家を建て、その家を建築主に分割払いで売るという「イスラーム金融」と呼ばれる妙案を考え出したのだ。家の建築資金と家の売却代金との差額(利子に相当する。)が銀行の儲けとなる。
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