「後出しじゃんけん」とは、「じゃんけんで相手の手を見てから自分の手を出すこと。後出しはじゃんけんにおける主な反則行為。転じて、相手の出方を把握してそれに対応するアンフェアなやり方。」をいう( 『実用日本語表現辞典』)。
法律の世界にも、後出しじゃんけんに相当する原則がある。事後法の禁止だ。事後法の禁止とは、新たに制定された法律(事後法)は、その制定以前にさかのぼって適用してはならないという原則をいう。法律不遡及(ふそきゅう)の原則ともいう。
例えば、手数料
を値上げするため手数料条例を改正し、これを過去に遡(さかのぼ)って適用すると、過去の手数料について差額分を追加徴収
する必要が生じて住民の信頼を裏切ることになるように、法的安定性・予測可能性が損なわれるからだ。
法律の世界で、例外のない原則はない。①遡及適用しても関係者に不利益を与えるようなことがなく、むしろ利益をもたらすようなときは、遡及適用が認められるし(ex.職員の給与を増額するため給与条例を改正し、これを本年度の4月1日に遡って適用して差額分を支給する場合、延滞金が100円未満であれば切り捨てるという規定を改正して1000円未満切り捨てにし、これを遡及適用する場合)、また、②法的安定性・予測可能性をある程度犠牲にしてもなお重要な公益を図るべき必要性が高い場合には、遡及適用の規定が置かれることがある(ex.昭和22年民法一部改正附則第4条)。
cf.1民法一部改正附則(昭和二二年一二月二二日法律第二二二号)
第四条 新法は、別段の規定のある場合を除いては、新法施行前に生じた事項にもこれを適用する。但し、旧法及び応急措置法によつて生じた効力を妨げない。
事後法の禁止は、憲法等に明記されていないが、法の一般原則として条理上認められ、特に刑罰に関しては、犯罪と刑罰は予め法律に定めなければならないという罪刑法定主義(憲法第31条)のコロラリーとして、憲法第39条が、「何人(なんぴと)も、実行の時に適法であつた行為……については、刑事上の責任を問はれない」と規定している。これを遡及処罰の禁止という。
遡及処罰の禁止は,国民の予測に反し不利益を課すことを禁ずる趣旨だから、犯罪後の法律で刑が変更された場合にその軽い刑罰を適用すること (刑法第6条) は、憲法第39条に違反するものではない。
これらは、法学入門、憲法、刑法総論で必ず習う事柄であって、多少なりとも法学を齧った者にとっては常識だ。
だからこそ事後法の禁止に違反する条例を制定するなんてあり得ないと思いがちだが、実際にあるのだ。
事件の舞台は、新潟県の加茂市だ。加茂市は、越後の小京都と呼ばれ、桐箪笥の全国シェアの7割を占める人口3万人弱の自治体だ。
当時の市長は、小池清彦氏で、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後、防衛庁に入庁し、局長を務めた元キャリア官僚だ。元防衛官僚なのに、イラク特措法や自衛隊のイラク派遣に反対するなど、ことごとく国の防衛政策に反対を表明していた異色の市長で、澤地久枝氏、香山リカ氏、姜尚中氏、斎藤貴男氏、佐高信氏、高橋哲哉氏などと共著を出している9条教徒だ。
さて、事件のあらましはこうだ。平成8年(1996年)、「ファッションセンターしまむら加茂店」(住所:加茂市下条800-1)が売り場面積998平方メートルで営業を開始した。鉄骨造平屋建て、延べ面積1305平方メートルの直営路面店だ。
平成21年(2009年)1月、しまむらが建物内に倉庫として使っていた部分を転用して、売場面積を拡大するため、大規模小売店舗立地法(いわゆる大店法)で都道府県への届出が義務付けられる面積(1000平方メートル以上)を超える1126平方メートルにする計画を新潟県に届け出た。
すると、市内に大型店が7つもあるのに、これ以上売場面積が拡大したら商店街が潰れるとして、商店街が猛反発した。
そこで、加茂市は、平成21年(2009年)7月17日、売場面積が500平方メートル以上ある店舗の売り場面積の拡大を禁止する規定を盛り込んだ「加茂都市計画地区計画による建築物の制限に関する条例」を制定し、驚いたことに経過規定を置かずに、7月17日の公布日に即日施行した。
しかも、同年9月25日に当該条例を一部改正して、罰則規定(50万円以下の罰金)を追加した。
その後、県が増床計画を認めたのを受けて、しまむらが工事を開始したため、12月、市が当該条例第3条に違反するとして県警へ刑事告発したという事件だ。
しまむらが大店法に則って届出をした後で、加茂市が売場面積拡大を阻止するために、条例を制定しており、まさにしまむらを狙い撃ちにした「後出しじゃんけん条例」だ。
現場の職員さんたちは、「これって事後法の禁止に反するから、ダメだよね」と思っていたはずだし(事後法の禁止に反することに気付かなかったとしたら、大問題だ。)、法学部出身の元キャリア官僚である小池市長も当然承知していたはずなのだが、大型店の進出は商店街を衰退させるというのが持論の市長の命令に逆らうことができず、条例案を作成したものと思われる。
地方公務員は、上司の職務命令に忠実に従わなければならないが(地方公務員法第32条)、上司の職務命令が重大かつ明白に違法な場合には、無効であり(全国都道府県議野球大会事件徳島訴訟。最判平15.1.17)、部下は、このような命令に従う義務がないし、従ってはならない。
この条例には、①事後法の禁止・遡及処罰の禁止だけでなく、多岐にわたる興味深い論点がある。
②憲法が保障する営業の自由(憲法第22条第1項)に対する不合理な制限であって、違憲ではないか。
③条例は、「法律の範囲内で」(憲法第94条)・「法令に違反しない限りにおいて」(地方自治法第14条第1項)制定することができるのだが、大規模小売店舗立地法よりも規制が厳しい上乗せ条例を制定することが許されるのか。
④条例は、一般的・抽象的な規範であって、通常、取消訴訟の対象である「処分」(行政庁の法令に基づく行為のすべてを意味するのではなく、公権力の主体たる国又は公共団体が行う行為のうちで、その行為により直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められるものをいう。東京都ごみ焼却場事件。最判昭30.10.29)に該当しないが、特定の者を狙い撃ちにしている点で条例の処分性の有無も問題になる。
⑤そもそも当該条例は、「建築基準法(昭和25年法律第201号。以下「法」という。)第68条の2第1項の規定に基づき、都市計画法(昭和43年法律第100号)第20条第1項の規定により告示された別表に掲げる加茂都市計画地区計画(以下「地区計画」という。)による建築物に関する制限について定めるもの」(第1条)であって、建築基準法に定められていない「売場」という用途を、同法の委任を受けた条例の中に定めることは、委任の範囲を超えているため、違法ではないか。
⑥仮に委任の範囲内であるとしても、条例には「売場」の定義がなされていないため、処罰の対象が不明確であって、罪刑法定主義のコロラリーである明確性の原則(何をすれば犯罪になるのか、犯罪を犯した場合にはどのような刑罰を科されるのかを明確に定めなければならないという原則。)に反するのではないか。
⑤に関して、2011年1月17日付の読売新聞の『市条例に県警ダメ出し「矛盾あり立件困難」』という記事によると、県警は、「条例が基にする建築基準法に『売り場』の概念はなく、床面積全体は一定の範囲で拡大できて売り場は拡大できないとするのは同法の趣旨と矛盾し、内容に整合性がとれていない」として、「条例に矛盾があり、罪に問うのは困難」と1月16日に判断した(立件には消極的な意見を付して書類送検の方針)そうだ。
県警のおっしゃる通りだ。
個人的には、小池市長と同様に、商店街の衰退は由々しき問題だと思っているが、だからといって「目的のためには手段を選ばず」というやり方には賛成できない。
「目的のためには手段を選ばず」は、全体主義者がよく用いる手法だが、法の支配、法治主義の下では決してあってはならないことだ。法を執行する公務員は、拳拳服膺(けんけんふくよう)しなければならない。
なお、以前にもこのブログでお話ししたが、自治体のHPのトップに例規集のリンクを貼っていない自治体は、総じて法律問題を起こす傾向にある。
加茂市の場合も、HPのトップに例規集のリンクを貼っていないだけでなく、市政情報を見ても載っていないし、市のHP内検索で例規集を検索してもヒットしないし、サイトマップにもリンクが貼っていなかった。そこで、一般的に「加茂市例規集」でググって、やっとヒットしたが、URLを見たら加茂市のURLではなかった。情報開示する気がないのだろうか。職員は、例規集を参照しながら仕事をしていないのだろうか。心配になった。
そして、市長が代わったのに、加茂都市計画地区計画による建築物の制限に関する条例が今なお廃止されずに残っていることに驚きを禁じ得ない。
cf.2建築基準法(昭和二十五年法律第二百一号)
(市町村の条例に基づく制限)
第六十八条の二 市町村は、地区計画等の区域(地区整備計画、特定建築物地区整備計画、防災街区整備地区整備計画、歴史的風致維持向上地区整備計画、沿道地区整備計画又は集落地区整備計画(以下「地区整備計画等」という。)が定められている区域に限る。)内において、建築物の敷地、構造、建築設備又は用途に関する事項で当該地区計画等の内容として定められたものを、条例で、これらに関する制限として定めることができる。
(以下、省略:久保)
(用途の変更に対するこの法律の準用)
第八十七条 建築物の用途を変更して第六条第一項第一号の特殊建築物のいずれかとする場合(当該用途の変更が政令で指定する類似の用途相互間におけるものである場合を除く。)においては、同条(第三項、第五項及び第六項を除く。)、第六条の二(第三項を除く。)、第六条の四(第一項第一号及び第二号の建築物に係る部分に限る。)、第七条第一項並びに第十八条第一項から第三項まで及び第十四項から第十六項までの規定を準用する。この場合において、第七条第一項中「建築主事の検査を申請しなければならない」とあるのは、「建築主事に届け出なければならない」と読み替えるものとする。
(以下、省略:久保)
cf.3都市計画法(昭和四十三年法律第百号)
(都市計画の告示等)
第二十条 都道府県又は市町村は、都市計画を決定したときは、その旨を告示し、かつ、都道府県にあつては関係市町村長に、市町村にあつては都道府県知事に、第十四条第一項に規定する図書の写しを送付しなければならない。
2 都道府県知事及び市町村長は、国土交通省令で定めるところにより、前項の図書又はその写しを当該都道府県又は市町村の事務所に備え置いて一般の閲覧に供する方法その他の適切な方法により公衆の縦覧に供しなければならない。
3 都市計画は、第一項の規定による告示があつた日から、その効力を生ずる。
cf.4加茂都市計画地区計画による建築物の制限に関する条例 (平成21年7月17日条例第18号)
(趣旨)
第1条 この条例は、建築基準法(昭和25年法律第201号。以下「法」という。)第68条の2第1項の規定に基づき、都市計画法(昭和43年法律第100号)第20条第1項の規定により告示された別表に掲げる加茂都市計画地区計画(以下「地区計画」という。)による建築物に関する制限について定めるものとする。
(建築が制限される建築物)
第2条 別表の「位置」の欄に掲げる区域においては、同表の「新たに建築が制限される建築物」の欄に掲げる建築物を建築してはならない。
(既存の建築物に対する制限の緩和)
第3条 既存の建築物に対する制限の緩和については、法第86条の7第1項の規定の例によるものとする。ただし、物品販売業を営む店舗(CD・ビデオレンタルショップを含む。)については、売場の床面積の合計が、既存の売場の床面積の合計を超えてはならないものとする。
(罰則)
第4条 前2条の規定に違反した者は、50万円以下の罰金に処する。
(委任)
第5条 この条例の施行に関し必要な事項は、市長が定める。
附 則
この条例は、公布の日から施行する。
附 則(平成21年9月25日条例第20号)
この条例は、公布の日から施行する。
別表
https://ops-jg.d1-law.com/opensearch/SrMjF01/init?jctcd=8A80357693
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