1877年、イタリアの天文学者ジョヴァンニ・スキアパレッリは、屈折望遠鏡で火星表面に線状の模様があることを発見した。この模様をイタリア語で「canali」(溝、水路)と表現したところ、これが英語の「canals」(運河)と誤訳されたことから、火星には人工的な運河がある以上、火星には火星人がいるとの誤解を生んだ。
そして、1897年、イギリスのSF作家、H・G・ウェルズが小説『宇宙戦争』を発表し、タコのような火星人のイメージが広まった。
このような世界的な規模の誤訳ではないが、我が国で世間を騒がせた誤訳がある。レーニン著『国家と革命』の「暴力装置」だ。
1953年から1969年まで16年かけてロシア語から日本語に翻訳した日本共産党中央委員会付属マルクス=レーニン主義研究所のレーニン全集刊行委員会訳『レーニン全集』(大月書店)所収の『国家と革命』には、「暴力装置としての国家」とあった(「第二章 一 革命の前夜」の最後の段落)。
「だが、もしプロレタリアートには、ブルジョワジーに鋒先をむけた特殊な暴力装置としての国家が必要であるとすれば」
しかし、同じレーニン全集刊行委員会訳『レーニン全集』を底本とした大月書店の国民文庫102『国家と革命他』の改訳版(1956年)では、「暴力組織としての国家」に訳し直されていた(39頁)。
つまり、「暴力装置」は、誤訳だったのだ。
ところが、この機械的・工学的な「暴力装置」という訳語が左翼には科学的に見えたのだろうか、瞬く間に広く流布してしまった。団塊の世代と呼ばれた当時の学生たちにとって「教養」とは、マルクスやレーニンなどの著作であって、これらの著作を金科玉条の如く読み耽っていたからだ。
そのため、左翼思想に洗脳されて、学生運動・労働争議という名のテロを起こし、日本社会を混乱の坩堝(るつぼ)に陥れた愚かな団塊の世代はもちろんのこと、団塊の世代よりも下の世代に当たる私のようなノンポリ学生でも「暴力装置」を知っていた。
例えば、岩波市民講座の連続講演の速記に加筆した福田歓一著『近代の政治思想』(岩波書店、1970年)は、薄い岩波新書であるにもかかわらず、ザーッと見たかぎり、「暴力装置」が13回も登場している。
このように安保闘争(60年安保闘争と70年安保闘争の2回)前後の社会科学系の書籍には、当たり前のように「暴力装置」という表現が用いられていた。現在は、「実力組織」という表現が用いられることが多いようだ。
さて、平成22年(2010年)11月18日、参議院予算委員会にて、民主党菅直人内閣の内閣官房長官の仙谷由人(せんごく よしと)氏は、国家公務員と自衛隊員の違いを問われて、「暴力装置でもある自衛隊は特段の政治的な中立性が確保されなければならない」と発言し、野党(自民党)から抗議を受けて発言を撤回し、謝罪した。
前述したように、政治学や社会学などの社会科学系の書籍では「暴力装置」という表現がよく用いられていたため、仙谷氏の発言に違和感を覚えない人も多かったと思う。
しかし、命懸けで国・国民を守ってくださっている自衛隊を「暴力装置」と道具呼ばわりすることは、自衛隊を侮辱しているかの如き印象を与える。また、「暴力」は、悪いイメージがある。
それにとどまらず、軍隊や警察などの「暴力装置」(後述するように、レーニン自身は、「暴力装置」ではなく、「暴力組織」という表現を用いている。※)は、プロレタリアートを弾圧し、ブルジョワジーの支配を維持するための国家の組織だから、暴力革命によって国家を破壊し、プロレタリアート独裁を実現しなければならないと主張するレーニンの文脈では、自衛隊は、国・国民を守るための組織ではなく、あくまでも支配階級を守るための組織だということになるが、このような考え方は、「自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする」という自衛隊法第3条第1項と相容れない。
弁護士でもある仙谷氏は、「東大時代は全共闘の新左翼系学生運動家であり、日本共産党を脱党した安東仁兵衛らが指導した構造改革派のフロントというセクトのシンパ」(Wikipedia)で、日本社会党→社民党→旧民主党→民主党に所属する熱烈なマルキストだから、当然、レーニンの文脈で「暴力装置」を使っていると思われても致し方あるまい。
そこで、平成22年11月26日、参議院は、仙谷氏に対して問責決議をした。問責決議の一部を引用する。
「仙谷官房長官は自衛隊を「暴力装置」と発言した。学生時代、社会主義学生運動組織で活動していた仙谷官房長官にとっては、日常用語であるかもしれないが、平和憲法に基づき国家の根幹である国防を担い、国際貢献や災害救助に汗をかく自衛隊を「暴力装置」と侮辱したことは、決して許されるものではないし、自衛隊を「暴力装置」と表現することは、憲法九条をはじめとする日本国憲法の精神を全く理解していないということである。」
平成23年(2011年)1月の内閣改造で、仙谷氏は、官房長官を解任された。
民主党政権の政治主導に関する質問主意書(平成二十二年十一月二十五日提出 質問第一九八号)の一部を引用する。
「六 五に関連し、政治主導で通達したことによって、政権与党にとっては自己満足に終わるのみで、日本を命がけで守っている自衛隊員の士気低下は否めない。また、仙谷官房長官が自衛隊のことを「暴力装置」と発言したことにより、益々自衛隊員の心は現政権から遊離し、加えて士気低下を加速すると考えるが、菅内閣の見解如何。
七 六に関連し、「暴力装置」という用語は、レーニンを始めとする社会主義者が理論付けに多用し、文革の毛沢東も「権力は鉄砲によって維持される」と言っているものである。現内閣は、政治主導によって社会主義・共産主義国家を目指していくことを露呈したようなものと考えるが、菅内閣の見解如何。」
これに対する菅直人内閣の答弁書(平成二十二年十二月三日受領 答弁第一九八号)を一部引用する。
「平成二十二年十一月十八日の参議院予算委員会における、仙谷内閣官房長官の「暴力装置」との発言については、本人によれば講学上の用語として発言したものではあるが、憲法の下で認められた自衛のための実力組織である自衛隊を表現する言葉としては不適切であり、本人も、同委員会において撤回して謝罪し、また、菅内閣総理大臣もこの発言についておわびを述べたところである。なお、菅内閣は、政治主導によって、国民が政治に参加する真の国民主権の実現を目指しており、「社会主義・共産主義国家を目指していく」との御指摘は当たらない。
また、御指摘の通達の発出や仙谷内閣官房長官の「暴力装置でもある自衛隊」との発言により自衛隊員の士気の低下が発生しているとは考えていない。」
ちなみに、仙谷氏は、従三位、旭日大綬章を授与されている。「天皇制」(「天皇制」は左翼用語であって、普通の人は「皇室」と呼ぶ。)を打倒せよと活動しておきながら、どのツラさげて天皇陛下から旭日大綬章を拝受したのやらと思ったら、仙谷氏は、2018年10月11日に肺がんで死去し、同日付けで追贈されていた。
なにはともあれ、翻訳には誤訳がつきもので、重大な誤解を与えかねない。
この点、例えば、法政大学教授で翻訳家の金原瑞人(かねはら みずひと)著『翻訳エクササイズ』(研究社)の2頁・3頁には、次のようにある。
「たとえば入試問題の間違い。大学入試センター試験(2020 年度からは大学入学共通テストに後継されました)の問題でさえミ スがあります。大学独自の問題となるとミスのない年はありません。某大学の場合、4 人 1 グループで英語の問題を作成、だいたいひとりが 1 つの問題を担当して、ほぼ毎週のようにミーティン グを重ね、互いに問題をチェックしてほぼ完成させ、それをまったく別のメンバーが実際に問題を解いてみて、不備やミスを指摘、それを手直し後、問題の試し刷り(ゲラ)を作って、出題委員 4 人が見直すゲラチェックを三度は繰り返して、できあがります。
それでもミスがあるのが入試問題。受験生が問題を解いていると きに、入試の監督が黒板やホワイトボードに訂正を書くのはおなじみの光景です。
ぼくも 30 年近く、ほぼ毎年、入試監督をしていますが(多くの大学で入試の監督は教員がやってます)、1 日に 3 科目の試験 があって、訂正がまったくなかった日はありません。
こんなに多くの人、それも専門家が何度も目を通して作り上げた入試問題でさえミスがあるのです。ひとりで長い小説を訳して、 誤訳のないはずがありません。それも文章が難解だったり、とても専門的なものだったり、昔の古い英語だったりという場合でなく、ごく読みやすい英語の作品でも誤訳はしてしまいます。それも、ほかの人に指摘されると、顔が赤くなるほど恥ずかしい誤訳を。」
自治体の中には、外国籍の住民や外国人観光客の増加に伴って、多言語で表記する自治体が増えつつあるのだが、非常に危なっかしい。
金原氏が述べているように、英語の専門家ですら何重にチェックしても誤訳してしまうのだから、専門家ではない自治体職員が誤訳する可能性は、高い。ネイティブスピーカーに翻訳させたり、チェックさせたりしたとしても、日本語や専門知識が不十分であれば、誤訳の可能性がある。
以前にもこのブログで述べたように、広報活動の一環として多言語表記するのは構わないが、あくまでもそれは「仮訳」にすぎず、公的見解は、日本語ページに記載された通りである旨を目立つように明記すべきだろう。
では、自治体が外国語に誤訳した場合には、それを信頼した外国人は保護されるのだろうか。
この点に関する最高裁判決はないが、信義則の適用に関する最判昭62.10.30(青色申告課税処分事件)とパラレルに考えたらよかろう。租税法律関係という特殊性には注意を要するが。
※誤訳「暴力装置」の原語
念のため、Google翻訳の力を借りて、ロシア語のГосударство и революция『国家と革命』を確かめてみたところ、「аппарата насилия」アパラータ ナシィーヤ暴力装置ではなく、「организация насилия」アルガニザーツィヤ ナシィーヤ暴力組織とあった。
Но если пролетариату нужно государство, как особая организация насилия против буржуазии
「しかし、プロレタリアートがブルジョワジーに対する特別の暴力組織としての国家を必要とするならば」
организацияは、「組織」・「団体」・「機構」を意味する。насилияは、「暴行」・「暴力」・「強制」・「迫害」・「弾圧」を意味する。
<追記>
仙谷氏の「暴力装置」発言当時、「暴力装置」は、価値中立的な学術用語であり、マックス・ヴェーバーも用いていると主張して、仙谷氏を擁護する意見があった。
蛇足だが、この点について、簡単にコメントしておく。
確かに、例えば、『社会学小辞典【新版増補版】』(有斐閣)に「暴力装置」が掲載されている。
しかし、前述したように、そもそも「暴力装置」が誤訳なのに、左翼学者たちが「暴力装置」を多用した結果、引っ込みがつかなくなって仲間内で学術用語にしてしまっただけの話だ。
「左翼にあらざれば、学者にあらず」という当時の学会が異常だったのであって(今も変わらないが。)、今日、レーニン著『国家と革命』の誤訳「暴力装置」が価値中立的な学術用語だと強弁するには無理があると考える。
また、例えば、『デジタル大辞泉』(小学館)には、「暴力装置」とは、「非合法な犯罪・暴力や、他国からの攻撃に対処するため、法に則った暴力行使が認められた組織・機関。主に警察や軍隊。また、それらを独占的に保持する国家のこと。 [補説]社会学者のウェーバーが国家の本質として位置づけた言葉。」とあるように(下線:久保)、確かに、ヴェーバーは、Gewaltapparatゲヴァルトアパラートという言葉を用いている。
しかし、ヴェーバーの言うGewaltapparatを左翼の手垢がついた誤訳である「暴力装置」と翻訳すること自体が妥当ではない。文脈に応じて、「権力機構」・「権力組織」・「権力機関」などと訳し分けるのが妥当だからだ。
なんにせよ、狂信的なマルキストである仙谷氏が、レーニンの文脈ではなく、ヴェーバーの文脈で「暴力装置」を用いたと解することには無理があろう。
というのは、マックス・ヴェーバーは、『社会主義』(講談社学術文庫)において、社会主義を徹底的に批判しているからだ。
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