臣籍降下以来、戦国時代までは、先祖代々戦さに明け暮れ、皆討ち死にしている。江戸時代になると、戦さはなくなり、領地を削られたとはいえ、30か村を有し、城かと見紛(みまが)うばかりの巨大な環濠屋敷に住んでいた。四方を掘りと高い石垣と漆喰の土塀で囲まれ、騎乗したまま通行できる巨大な長屋門を構えていた。
武士だから、商売をしていたわけではないのだが、田畑だけでなく、広大な山林や塩田もあったし、大名ではないので、参勤交代をする必要がないため、蓄財がすさまじく、全国9位の資産家だったらしい。
江戸時代は天下泰平で、悠々自適の生活だったから、先祖の中には、庭に茶室を6つも設(しつら)えたり(現在、屋敷は田畑になっているが、2つの茶室が他家に移築され、現存している。)、分家の中には、学者になったり(藩校の教授もいる。時代が異なるが、東大名誉教授もいる。)、絵描きになったり、私財を投げ打って新田を開発して神社に神様として祀られている者もいる。
貧富の差に心を痛めた祖父は、左翼思想にかぶれて(今で言えば、自民党左派)、戦前に農地改革をしたり、各村に小学校・郵便局・銭湯を作ったり、貧しくて上の学校へ進学できない優秀な子供たちを書生にして大学卒業まで資金援助して全員官僚にしたり(そのうちの一人は、戦後総理大臣になった。)、政治家たちに莫大な政治献金をした結果、全財産を使い果たした。祖父の政治道楽の結果、亡父も私も一円も相続していない。
仮に明治維新後、曾祖父や祖父が商売を始めたとしても、「武士の商法」・「士族の商法」(明治初期、特権を失った士族が慣れない商売に手を出して失敗したこと。急に不慣れな商売などを始めて失敗することのたとえ。『大辞泉』(小学館))と言われるように、きっと失敗しただろうから、祖父の政治道楽の方が世のため人のために役立っており、マシだといえる。
このように戦国時代・明治維新・戦後のような激動の時代に頓(とみ)に見られる栄枯盛衰・社会的流動性の高さが日本の活力になっている。
さて、「武士の商法」・「士族の商法」が失敗する理由にも関わるのだが、今日は、資本主義について、いつものように、徒然なるままに床屋談義をしようと思う。
マルクス主義のprogressive view of history進歩史観によれば、歴史を共産主義への進歩発展の過程と捉えるから、過去である江戸時代は、暗黒時代だということになる。
また、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」というマルクス主義の階級闘争史観によれば、社会は支配者と被支配者とに分けられ、その闘争によって発展することになる。
左翼の巣窟であるテレビ局が制作した時代劇は、進歩史観・階級闘争史観に立脚して、江戸時代を暗黒時代として描き、悪代官などの支配者が悪徳商人やごろつきと結託して、被支配者である庶民に対して悪逆非道の限りを尽くしているところを、水戸黄門などの正義の味方が悪党をやっつける様子が描かれている。
しかしながら、これはあくまでもフィクションであって、江戸時代は、治安が良く、近代資本主義や文化が花開いた輝かしい時代だったことが最近の研究で明らかになっている。
ほんの一例だが、江戸時代には、金貨、銀貨、銭という3つの通貨があり、その交換比率が相場により変動したので、現代の円やドルの変動相場制と同じであり、両替商は、現代の為替ディーラーと同様に、為替取引を行なっていた。
また、識字率は世界一であって、貧しい庶民の子供でも読み書きそろばんができた。つまり、それだけ教育制度が優れていたわけだ。現在放送中のNHK大河ドラマ『べらぼう』で描かれているように、出版業が隆盛を極め、体を売る遊女ですら読み書きができ、読書が娯楽のひとつであった。
ところで、capitalismキャピタリズム「資本主義」は、 ideologyイデオロギー「主義」を表す-ismが付加され、社会主義や共産主義と対比されているが、元来、イデオロギーではなく、マルクス主義者が敵対者を非難するために生み出した用語にすぎない。
左翼推奨の『広辞苑』(岩波書店)は、資本主義を「封建制下に現れ、産業革命によって確立した生産様式。商品生産が支配的な生産形態となっており、生産手段を所有する資本家階級が、自己の労働力以外に売るものをもたない労働者階級から労働力を商品として買い、それを使用して生産した余剰価値を利潤として手に入れる経済体制。」と定義している。
もともと資本主義は、マルクス主義用語なので、この定義でもよいのだが、進歩史観・階級闘争史観に立脚しているので、ここではとりあえずアダム・スミス風に、資本主義とは、個人が利潤を追求して自由に経済活動することが社会全体の利益になる経済体制をいう、とでも定義しておこう。
富の蓄積自体は、古くから洋の東西を問わず行われてきたが、近代資本主義に発展したのは、不思議なことに西欧と日本だけだ。
では、なぜ西欧と日本で同時並行的に近代資本主義が発展したのだろうか。
資本主義が成立するためには、所有権などの財産権や営業の自由(契約の自由)が保障され、これを担保する裁判制度が必要だ。
「世界の創業年数が100年以上の企業のうち日本の企業は50%、創業200年以上では65%だという(日経BPコンサルティング・周年事業による)。
創業が古い企業ということでは、寺社建築の金剛組が、聖徳太子による四天王寺が建設された578年からで最も古く、山梨県西山温泉の慶雲閣が705年創業として、ギネスブックで最古の旅館に認定されている。」
日本企業の多さや創業の古さに目が行きがちだが、大切なのは、我が国では、古来より、財産権や営業の自由(契約の自由)が慣習法上保障され、裁判制度によりこれらが担保されていたということだ。
その上で、戦争、飢饉、疫病、自然災害などの苦難を乗り越えて、先祖から受け継いだ企業を子孫へと受け渡してきた先人たちの智慧と努力の結果が創業年数に表れているのだ。
しかし、これらは資本主義の前提条件にすぎない。得られた利潤を消費してしまえば終わりであり、利潤を寝かせていては利潤を生まないので、利潤を追求するためには、際限なく利潤を市場に投入し続けなければならない。
際限なく利潤を追求するためには、博打(ばくち)のような投機ではなく、長期的視野に立った投資が必要であり、そのためには継続的・効率的な企業経営が必要になる。マックス・ウェーバーが言うように、家計と企業会計の分離、簿記による合理的な計算、指揮監督の下に分業化された組織など、目的を達成するための手段が適切であるという目的合理性が必要であり、これを支える勤勉の精神が必要だ。
「目的合理性の精神」と「勤勉の精神」が「資本主義の精神」を形作っており、これなくして近代資本主義は発展しないのだ。
では、なぜ西欧と日本にだけ資本主義の精神が形作られたのか。
西欧と日本だけを見比べても、答えが見えてこない。このような場合には、補助線を引くと良い。ユダヤ教とイスラム教を補助線にして考えてみよう。
ユダヤ教やイスラム教には、信者が従うべき戒律がある。
ユダヤ人の民族宗教であるユダヤ教には、律法が613あり、そのうち「〜してはならない」という禁止項目が365もある。例えば、男子の割礼は有名だが、それ以外にもヒレや鱗(うろこ)のない魚介類を食べることは禁止だし、蹄(ひづめ)が完全に分かれ反芻(はんすう)する四つ足動物は食べても良いが、反芻しない豚は食べてはならないし、土曜日が安息日なので、金曜の夕方から土曜日の夕方までは一切の社会経済活動を停止しなければならない。
イスラム教では、1日5回メッカに向かって礼拝しなければならず、ラマダンの月(イスラム暦の9月)に断食(だんじき)をしなければならないし、ハラールと呼ばれる食戒律があって、豚肉は禁止で、イスラム法(シャリーア)に準拠した食材・調理法・提供方法に基づいて飲食を行わなければならない。
ほんの一例を挙げただけだが、ユダヤ教やイスラム教には、事細かな戒律が数多く定められ、信者は、これに従わなければならないのだ。
世界宗教であるイスラム教が日本で普及しないのは、イスラム教の戒律が日本人にとってあまりにもハードルが高いことが一因だ。換言すれば、イスラーム諸国の経済的発展を阻害しているのは、戒律なのだ。
ところが、キリスト教には、戒律がないのだ。イエスは、人間であり、神であるから(カルケドン信条)、その言動を記したGospel福音書は、キリスト教最高の啓典ということになる。
この福音書には戒律が一切書かれていない。古代ローマ帝国内にキリスト教が普及したのは、ローマ人やゲルマン人にとって、戒律がないので、ハードルが低かったことが一因だ。
キリスト教では、人の一生は一回限りであって、輪廻転生(りんねてんしょう)して人生をやり直すことができないから、キリスト教徒にとって、世俗のことよりも、自分が神の国(天国)に入れるかどうかが最も重要で切実な関心事だ。家族やご先祖様なんて、どうでもよく、あくまでも自分が神の国(天国)に入れるかどうかが大切なのだ。よく言えば、個人主義、悪く言えば、利己主義エゴイズムだ。
そのため、戦国時代の日本へ布教に来た宣教師が、キリスト教に入信すれば、神の国(天国)に行けると言うものだから、ある日本人が「キリスト教に入信すれば、自分は救われるだろうが、ご先祖様は神の国(天国)へ入れてもらえるのか」と問うた。
宣教師は、「異教徒であるあなたの先祖は、神の国(天国)に行けず、地獄の業火で永遠に焼かれ続ける」と答えたところ、「自分だけ神の国(天国)に行くなんて不孝なことはできない。ご先祖様を救ってくれない無慈悲な神様なら、いいですぅー」と入信を断った、という話が伝わっている。これが日本でキリスト教が普及しない理由の一つだ。
話を戻すと、キリスト教徒は、神を恐れ、神を信じ、神に従おうとするのだが、常に善悪の判断を正しく行うことは難しく、誤った判断をしてしまう。そこで、懺悔(ざんげ)を行なって、神に赦しを乞う。
このような宗教生活を敬虔(けいけん)に続けても、最後の審判で自分が神の国(天国)に入れるとは限らない。神の国(天国)へ受け入れるかどうかは、神が決めるからだ。これは、キリスト教徒を恐ろしく不安にさせた。神の国(天国)に入れなければ、地獄の業火で永遠に焼かれ続けるからだ。
そこで、キリスト教の坊主たちは、修道院を作って、勝手に自分たちで戒律を作って、この厳しい戒律を守って祈り、労働をすれば、自分だけは神の国(天国)に入れるのだ、と思い込むこと(確信)によって、心の平安を得ようとしたのだ。
マックス・ウェーバーは、修道院の禁欲的生活について、「修道士たちをー客観的にはー神の国のための労働者として訓育するとともに、さらにー主観的には彼らの霊魂の救いを確実にするためのものとなっていた」と述べているのは、こういう意味だ(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)201頁)。
この点で、ぜひ一度観てほしい映画がある。ショーン・コネリー主演のフランス・イタリア・西ドイツ制作の映画The Name of the Rose『薔薇の名前』(1986年)だ。昔、テレビで一度放映された折りに観た。
魔女裁判・異端審問が荒れ狂っていた中世の閉鎖的で、教条主義的(狂信的と言うべきか。)な北イタリアのベネディクト修道院で起きた殺人事件を、ショーン・コネリー演じるイギリスのバスカヴィルのフランシスコ会修道士ウィリアムとその弟子である修道士見習いが、ホームズとワトソンの如く解き明かすミステリーだ。
映画は、時代考証に力を入れて、できるだけ当時を忠実に再現しようとしているので、大変興味深いのだが、そのため却(かえ)って当時の歴史に詳しくない人には難解かもしれないので、老婆心ながら、2点補足説明をしておく。
まず、当時のカトリック教会は、呆れるほど腐敗しており、免罪符を売るなどして巨万の富を築き続けていた。そのため、清貧を徹底し、富裕な聖職者を殺す過激なドルチーノ派と呼ばれる修道会がイタリアに現れ、教皇クレメンス5世は、十字軍を編成して異端者であるドルチーノ派を攻撃し、1307年、ドルチーノ派は壊滅した。
腐り切ったローマ教皇に直属する修道会がフランシスコ会(フランチェスコ会)だ。フランシスコ会は、黒衣の修道服を身にまとうベネディクト会と同様に、「服従、清貧、童貞」に代表される厳しい戒律を守るのだが、フランシスコ会は、これを徹底的に実践した点がベネディクト会と異なる。フランシスコ会の修道士は、一切の個人的な所有権を放棄し、裸足(はだし)で、染めていない粗衣をまとって、祈り、かつ働き、足りない分は托鉢(たくはつ)を行なって喜捨(きしゃ。ほどこしの意)を乞(こ)うので、乞食(こつじき)僧団とも呼ばれた。
フランシスコ会では、さらに清貧を徹底させようとする急進派と緩和させようとする主流派が対立し、急進派の中には、教会が巨万の富を持つのはおかしいではないかと批判する者たちまで現れた。
そこで、自分の身に火の粉が飛んできたアヴィニョン教皇庁の新教皇ヨハネス22世は、1317年、ついに「清貧論争」に決着を付けるべく、イエスと十二使徒が清貧だったと意見する者を異端者とする大勅書を布告して、教皇に従わぬ修道士を異端審問にかけて弾圧したが、その後も混乱が続いた。
映画のウィリアム修道士は、このフランシスコ会の修道士であり、フランシスコ会とアヴィニョン教皇庁との間で続く清貧論争を調停する会談をセッティングするために、1327年に北イタリアのベネディクト修道院を訪れたところ、双方の代表者が到着する前に次々と謎の殺人事件が起きたというわけだ。
次に、映画では、ベネディクト修道院の立派な図書室が描かれている。イエスの復活の第一目撃者であるイエスの使徒とその正統な継承者を通してしか神を知ることができないから、人々を導けるのは、第一目撃者である「第一の使徒」ペテロとその正統な継承者である教皇のみだ。それ故、聖職者以外の者が聖書を読むことは、教皇を通さずに、直接神と向き合うことであり、許されない。
修道士は、聖書を読むことが許されたが、当時の聖書は、ギリシャ語で書かれていたため、聖書を読める修道士は、ほとんどいなかった。
ギリシャ語で書かれたアリストテレスなどの異教徒や異端者の本を読むことは、カトリック教会の教えに疑問を抱かせて信仰を揺るがせ、その偽善・嘘を暴き出し、教会を批判し、教会を瓦解させる危険があった。そのため、ベネディクト修道院では、書庫に入ることができるのはごく一部の修道士に限られていた。
聖書は、繰り返し「神を恐れよ」という。笑うこと、特に神又は教会若しくは聖職者を笑いものにすることは、神への恐れをなくし、信仰心を失わせ、神が必要とされなくなるが故に、悪だとされた。沈黙こそが神を讃える行為であり、目上の修道士に意見を言うことが禁止されていた。真理を探究するためには、対等な立場で自由に議論することが必要不可欠だ。真理を探究させないため、沈黙が強いられていたわけだ。修道院内の愚民化政策だ。
この2点を理解した上で映画を観ると、様々な気づきがあり、楽しく鑑賞できると思う。
話を元に戻そう。キリスト教には戒律がないために、勝手に「服従、清貧、童貞」などの戒律を作って、祈り労働することにより、心の平安を得ようとした修道士は、純粋すぎるが故に、腐敗し切った教皇にとって非常に目障りな存在であるが、修道士の力を無視することもできない。なにしろ遠い日本にまでイエズス会の修道士が命の危険を顧みずに布教に行くぐらい狂信的であり、キリスト教に改宗させた外国を植民地にして教会に莫大な富をもたらしてくれるからだ。
やがて修道士の中から、ルターやカルヴァンが登場し、宗教改革の嵐が吹き荒れようとは教皇も予想だにしなかっただろう。
ルターやカルヴァンが唱えたプロテスタンティズムの革新性を理解するためには、プロテスタントが唱えた予定説を理解する必要がある。
誰を神の国(天国)に入れるかの判断は、人智を超えた神が判断することであって、人間の尺度では決して計り知れないので、善人が救済されないこともあれば、悪人が救済されることもあるだろうし、また、全知全能の神は、神を利用して神の国(天国)へ入ろうとする賢(さか)しらな人間の悪知恵をきっとお見通しのはずだ。
そうだとすれば、神は、全知全能であって、その力は無限大なので、過去・現在・未来もお見通しだから、ある人間が生まれた時に、否、生まれるずっと前から、その人がどのような人生を歩むのか、最後の審判で神の国(天国)に入れるかどうかを予め分かっているはずだ。分かっているというよりも、むしろ神が予め定めているはずだ。
このようにある人間が最後の審判において救済されるかどうかは、人間の自由意志によるのではなく、神によりすでに決められているのだという決定論を予定説という。
金権腐敗したカトリック教会に対する異議申し立てとして生まれたのがプロテスタンティズムであって、プロテスタントは、本来のキリスト教に戻ることを主張した。
すなわち、予定説に従えば、善いことをしたからといって救済されるとは限らないし、悪いことをしたからといって救済されないとは限らない。ひょっとしたら自分は神の国(天国)に入れてもらえないと予め決まっているかも知れないわけで、これはキリスト教徒にとって恐怖以外の何ものでもない。永遠に地獄の業火で焼かれるのではないか、と不安で不安で仕方がない。
そこで、プロテスタントである世俗の信者は、「金持ちは、自分の富を頼りにして、神をないがしろにするから、金持ちは不幸だが、貧しい人・飢えている人・虐げられている人は幸福である」という聖書の教えに従うことによって、心の平安を得ようとしたのだ。従来、カトリックの修道院内の禁欲的生活が、プロテスタンティズムによって世俗に持ち込まれ、世俗内禁欲が生まれたのだ。
イエスと十二使徒が清貧だったように、自分たちも禁欲的に質素な生活を営んだ結果、商人の手元にはどんどん資本が蓄積した。
前述したように、資本の蓄積自体は、世界各地で過去幾度となく行われたが、近代資本主義を生み出すことはなかった。近代資本主義に不可欠な資本主義の精神が欠けていたからだ。
ところが、プロテスタンティズムは、資本主義の精神を生み出したのだ。
すなわち、本来、労働は、原罪に対する罰であって、苦痛以外のなにものでもないから、額に汗してあくせく働くことは、卑しい奴隷の仕事だと考えられてきたのだが、全知全能の神が人間の一生を予め定めている以上、自分の職業もまた神が定めた天職だから、一所懸命に働くことこそが神の御心に沿うことになる。怠けたり、手抜きをしたりすると、神の意に背き、自分は救済されないのではないかと不安になるので、真面目に働くことが心の平安をもたらすようになって、宗教的実践としての勤勉の精神が生まれた。勤勉の精神とは、労働を神聖な宗教的行動とする精神だ。換言すれば、労働は、罰ではなく、神聖な宗教活動になったのだ。
カトリックの修道士が修道院の戒律を守って祈り労働することにより心の平安を求めたように、プロテスタントの世俗の信者も、自分の職業が神から与えられた天職だと思って勤勉に働くことにより、きっと自分は神の国(天国)に入れてもらえるに決まっている、と心の平安を求めたわけだ。
また、「転売目的で物品を買う者は、物品の種類を問わず、すべて商人と見なし、聖堂への立ち入りを禁ずる。」(グラティアヌス教令集)とあるように、ローマ・カトリック教会では、もともと商業は忌み嫌われていたが、適正な価格でお客が望む商品やサービスを提供することは、イエスが唱えた隣人愛の実践に他ならないので、適正価格による商売の結果、多くの利益を得ることは、自らの隣人愛の大きさとそれが神の意志に沿うことの証しでもあるから、単なる勘や経験ではなく、お客が望む商品やサービスを提供するためには何をなすべきかを合理的に考え、計画し、実行するという目的合理性の精神が生まれた。
換言すれば、利潤の追求が悪であるという宗教的抑圧から解放され、利潤の追求が神聖な宗教活動になったのだ。
このようにプロテスタントである世俗の信者は、宗教的実践としての禁欲的生活により蓄積した資本を元手に、勤勉の精神と目的合理性の精神、すなわち資本主義の精神に基づいて、勤勉に働き、適正な価格でお客が望む商品やサービスを提供して利潤を際限なく追求することによって、近代資本主義を生んだのだ。
翻(ひるがえ)って日本について考えてみよう。
キリスト教では、本来、労働は罰だが、日本では、労働に罰の要素は一切ない。なにしろ天照大神(あまてらすおおみかみ)ですら、機織りの仕事をしていたからだ。
勤勉さは、少なくとも弥生時代からあった。米という漢字は、八十八と書くように、水田稲作は、八十八の手間がかかるので、日本人の勤勉さは、水田稲作を通じて養われたと考えられるからだ(縄文時代が長く続いたのに、水田稲作が比較的短期間で日本中へ広がったということは、縄文時代から勤勉だった可能性がある。)。
しかしながら、水田稲作は、日本だけで行われていたわけではなく、元来、支那(シナ。chinaの地理的呼称)や東南アジアで行われていたので、水田稲作だけでは日本独自の資本主義の精神を説明できない。
ところで、現在発見されている世界最古の土器は、日本から出土しているから、現時点で世界最古の文明は、日本ということになる。
つまり、1万2千年以上もの長きにわたって、日本人の民族宗教である神道が続いているわけだ。神道には、創始者も教典も戒律もない。神道は、戒律がない点で、キリスト教と共通しているのだ。
戒律に縛られない生き方が骨の髄まで日本人に染み付いているため、戒律にがんじがらめにされたイスラム教は、日本に普及しないわけだ。
しかしながら、6世紀半ば、欽明天皇の時代に仏教が伝来した。紆余曲折があったが、神道と仏教は融合するようになる。神仏習合だ。
仏教には戒律がある。僧侶と世俗の人では戒律が異なる。世俗の人向けの戒律は、五戒といい、①生き物を殺すなかれ、②盗むなかれ、③邪淫を行うなかれ、④いつわりを言うなかれ、⑤酒を飲むなかれ、の5つだった。
人類が誕生して以来、動植物を殺して食べてきたので、急に生き物を殺すなと言われても、「はい、わかりました」と簡単に従えないし、そもそも生き物を殺して食べなければ生きていけないわけで、結局、ベジタリアンで妥協せざるを得ないのだが、植物を殺してよい、精進料理を食べろとは戒律に一切書かれていない。
天武天皇は、肉食禁止令の詔(みことのり)を発して、牛、馬、犬、鶏、猿は食べ物ではないとして肉食を禁止する一方で、それ以外の動物は食べてもよいとした。猟師・漁師が職業として確立され、庶民から貴族に至るまで、魚介類はもちろんのこと、牡丹・山鯨(猪肉)、紅葉(鹿肉)、月夜(兎肉)などと隠語で呼んで食してきた。
また、殺してはならない生き物には、人間も含まれるわけだが、正当防衛の場合はどうか、戦争の場合はどうか、敵討(かたきうち)の場合はどうかについて、戒律には何も定められていない。
邪淫を行うなといっても、それが具体的に何を指すのかが決められていない。
また、酒を飲むなと言われても、インドと日本では事情が異なる。釈迦が生きていた当時のインドの庶民は、貧しくて酒を買うことができないため、椰子(やし)の木に登って、実をナイフで傷つけると、1日で発酵するので、これを飲むのだが、精製していないので、健康に良くない。また、インドは暑いので、利尿作用のある酒ばかり飲んでいたら体を壊す。そこで、仏教は、飲酒を禁止したのだ。つまり、飲酒禁止は、多分に風土的理由によるわけだ。
これに対して、日本では紀元前300年ぐらいから酒が飲まれていた。食うや食わずの状況下では、米や穀物は食糧に回され、酒造りなんてできない。古くから酒造りが行われていたということは、食糧に回す分よりも多い余剰生産があった、つまり豊かな国だったということを意味する。古来より独自の日本酒や焼酎が製造されてきた日本では、酒は百薬の長だと言われていたので、飲酒禁止の戒律が守られるはずもなく、坊主ですら酒を「般若湯(はんにゃとう)」と隠語で呼んで飲んでいた。
このように、仏教の世俗の人向けの戒律は、数が少なく、不明確であるが故に、あってないようなもので、ユダヤ教やイスラム教と比べると、到底戒律と呼べるようなものではなかったのだ。
つまり、神道にも戒律がないし、仏教の世俗の人向けの戒律もあってないようなものなので、戒律がないキリスト教に極めて類似していたわけだ。
マックス・ウェーバーは、資本主義は中国にも、インドにも、バビロンにも、古代にも中世にも存在したが、資本主義の精神が欠けていた、と述べている(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)45頁)。
確かに、インド発祥の仏教では、古来、賎財思想の傾向があり、財に執着するなと教えている。坊主は、修行に専念し、一切の経済活動が禁止され、労働が許されていない(ここがキリスト教の修道院と異なる。)。坊主は、喜捨を乞う乞食なのだ。
しかし、これは、家族や財産を捨てて出家した坊主に向けられた教えであって、世俗の人に向けられているわけではない。
世俗の人に対しては、享楽的な生活をするのではなく、「理法にかなった行いをなせ」と説かれているように、欲望を制することは、財を軽蔑することではなく、むしろ欲望にかられて不当に財を浪費することを戒めているにすぎず(禁欲的節約)、財の蓄積が人生の望ましい目的の一つだとされている。そして、商人に業務に精励(せいれい)することを勧め、他方で怠惰(たいだ)を戒めている(詳しくは、中村元『仏典のことば』(サイマル出版会)19頁以下参照)。
つまり、仏教では、世俗の人に向けて、禁欲的精励の精神が推奨されているわけだ。この意味において、プロテスタンティズムに類似するのだ。
そして、日本独自の資本主義の精神を解明しようとしたのが評論家の山本七平氏であり、詳しくは『日本資本主義の精神』(光文社、昭和54年)に譲る。
この本は、専門家ならば必ず読んでいるのだが、画期的業績に嫉妬して、素人が書いた本だとして、アカデミズムから黙殺されている不幸な本だ。
山本氏は、日本資本主義のイデオローグとして、鈴木正三(1579年〜1655年)と石田梅岩(1685年〜1744年)を挙げている。
徳川家康の三河以来の旗本であり、のちに曹洞宗の僧侶になった鈴木正三(すずき しょうさん)の「仏法則世法也」という思想について、山本氏は、士農工商を問わず、「世俗の業務は、宗教的修業であり、それを一心不乱に行えば成仏できる」と一言で要約している。
家族や財産を捨てて出家した坊主は、世俗の者からお布施を貰って生活し、厳しい戒律を守って修行すれば、成仏できるだろうが、世俗の者(士農工商)は、成仏できないのではないか。いやいや「南妙法蓮華経」とか「南無阿弥陀仏」とか唱えればよいのだと言われても、だったらなんで坊主は出家して修行しているのか、という素朴な疑問が生ずるのももっともだ。
前述したように、もともと仏教は、世俗の人に向けて、禁欲的精励の精神を推奨していたが、鈴木正三は、士農工商の身分を問わず、自らの仕事こそが宗教的修行であり、これを一心不乱に行えば成仏できる、と世俗の者も成仏できる道を具体的に説いたのだ。労働が神聖な宗教活動になったわけだ。画期的な考え方だ。
そして、鈴木正三は、利潤を追求すれば、貪欲に冒されるから、利潤の追求を否定しつつも、一心不乱に商いをした結果として生じた利潤は肯定した。
すべての労働が神聖な宗教活動になって、勤勉の精神が誕生したのだ。
石田梅岩(いしだ ばいがん)は、農家に生まれ、商家で丁稚奉公(でっちぼうこう)しながら儒学・神道・仏教を学び、独自の「石門心学」と呼ばれる学派を形成した儒者だ。京都の自宅で無料の講義を行い、「人の人たる道」=「勤勉・倹約・正直」を説き、当時としては極めて異例だが、男女共学で身分を問わず受講できた。最盛期には、400人を超える門人がいた。
石門心学を教える心学講舎は、1700年代半ばから幕末までの100年余で45か国、173か所に設立され、商人をはじめ農民から大名に至るまで幅広くその教えを学んだ。
石田梅岩の思想は、細かな点を捨象すれば、結論的には鈴木正三とほぼ一致すると言っても過言ではない。いわば鈴木正三の思想を曹洞宗という垣根を越えて、身分や男女を問わず、分かり易い言葉で、広く日本人に「勤勉の精神」と「目的合理性の精神」を普及させた点に意義がある。
しかも、商人の利潤の追求を正当化して、金儲けは悪だという宗教的抑圧から解放するとともに、士農工商という身分は、職分や職域の違いにすぎないとして平等思想を確立した。
すなわち、従来、商人は、何も生産せず、売り買いだけで労せずして利益を得ると蔑視されていたし、前述したように、鈴木正三ですら利潤の追求を否定し、結果として生じた利潤を認めるにとどまったが、石田梅岩は、「商業の本質は、交換の仲介業であり、その重要性は、他の職分に何ら劣るものではない」として商業を積極的に肯定し、「売利を得るは商人の道なり」として利潤を武士の俸禄と同視して正当化するとともに、武士が武をもって国を守るように、商人は商いをもって国を守ることになるのであって、「商人の道といえども何で士農工の道に変わることあらんや」と述べ、士農工商の身分は、人間としての価値による差別ではなく、職分や職域の相違に過ぎないとして、価値観を大転換させた。
石田梅岩は、商家で働いた経験から、商人を例に挙げることが多く、「商人で道を知らない者は、ただ貪ることだけをして家を滅ぼす。商人の道を知れば、欲心から離れ、仁心で努力するので、道にかなって栄えることができるだろう。これが学問の徳というものである。」という風に、商人の道を説いたので、商人から絶大な支持を得た。
例えば、倹約というと、出費をできるだけ減らし、浪費しないことを意味するが、石田梅岩は、「自分のために物事を節約することではない。世界のために、従来は三つ必要だったものを二つで済ませるようにすることを倹約と言うのである」と述べ、倹約に宗教的意義を与えており、そこには目的合理性の精神が表れている。
以上、大雑把な説明ではあるが、鈴木正三と石田梅岩により、日本にプロテスタンティズムの倫理に類似する資本主義の精神が誕生し、遍(あまね)く普及したことにより、江戸時代に近代資本主義が発展したのだ。
そのお蔭で、明治維新後、「和魂洋才」により急速に西洋化を推し進めることが可能になり、短期間で欧米列強諸国と肩を並べることができたのだ。
現代においても、伝統的な職人の世界では、一生修行だと言われるように、勤勉の精神が息づいているが、従来、真面目だけが取り柄と言われた公務員の怠業が報道されることが多くなった。
サービス残業はけしからん、ワーク・ライフ・バランスを図ることが大切だ、プライベートの充実が仕事にも良い影響を与える、転職してキャリア・アップしようなど、一見すると誰も異論を唱えられないことがマスコミで盛んに流布されているが、日本人の行動原理である「勤勉の精神」がじわじわと骨抜きにされ、日本資本主義崩壊のカウントダウンが始まっているように思えるのだ。
この傾向は、子供たちにも及んでいる。今のいじめは、本当に陰惨だから、いじめられっ子が狭い世界(学校・クラス)から逃げたってよいと思うが、転校せずに(本来、いじめっ子を転校させるべきだが。)、左翼が主催するフリースクールでぬくぬくだらだらしたり、自室に引きこもり続ける子供が多く、これを肯定するマスコミや親が増えているように思われる。
嫌なことや苦しいことから逃げずに、コツコツと努力してこれを乗り越え、最後までやり遂げることの大切さが教えられなくなりつつあるのではないか。
冒頭で、祖父が相続財産を政治道楽に費やした話をした。先祖から受け継いだ相続財産は、自分だけの財産ではなく、次の世代に受け渡さなければならない財産なのだ。
先人たちが築いてきた日本資本主義の精神といういわば相続財産を次の世代に受け渡さずに食い潰して、かろうじて生きながらえているのが現代日本の姿ではないかと思えるのだ。
これからその綻(ほころ)びが次々に現れてくる気がする。杞憂(きゆう)に終われば良いのだが。
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