ペット販売禁止条例

 下記の記事によると、カルフォルニア州で、生きた動物の販売を禁止しているのは、サンディエゴ郡デルマー市だけだったが、9月18日、ロサンゼルス郡ウェスト・ハリウッド市でも、これを禁止する条例が可決され、来年5月1日から施行されるそうだ。


 このウェスト・ハリウッド市の条例は、2010年に制定された市内の犬猫販売禁止条例を拡大するものであって、販売禁止対象は、ウサギ、両生類、クモ類、鳥類、魚類、爬虫類、ヤドカリだが、保護施設、動物管理施設、動物愛護協会、動物救助団体から来た動物は、引き続き販売が可能なのだそうだ。

 無責任な飼い主や残酷なブリーダーがいるので、動物愛護や生態系保護の観点から禁止したのだろうが、記事にもあるように、ブラックマーケットでの動物の取引を活発化させるおそれがある。

 

 私も、中学生のときから、何代にもわたってドッグショーでチャンピオンに輝いた血統の犬を飼っていたが、本当に素直な性格で頭も良く毛並みも優れていた。どうせ飼うならば、気性が荒く頭の悪い犬よりも優秀な犬がよいと思う。

 「危険な優生思想だ!」と発狂する人から罵詈雑言を浴びせられそうだが、米、野菜、果物、肉など、皆優生学に基づいて品種改良された物ばかりであって、それらを美味いと言って食べている自分のことを棚に上げて、短絡的に他人を批判しないでもらいたい。


 まあ、わざわざブラックマーケットで犬を買おうとまでは思わないが、ブラックマーケットを活性化させるぐらいならば、法の規制の範囲内で信頼できる小売店の販売を認めた方がよいのではなかろうか。


 日本では動物愛護管理法が制定されており、これに基づいて動物の販売や繁殖等が規制されており、動物販売禁止条例を制定している自治体はないが、今後は諸外国を見習って条例を制定する自治体が出てくるかもしれない。

 最近、人間の「自己家畜化」が議論されている。面白い見方なので、リンクを貼っておく。

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「自己家畜化現象」とは、人類が野生生物とは異なり、自らつくる文化的な環境によって身体的にも特異な進化を遂げたことをいい、自己をあたかも家畜のごとく管理する動物であるとの認識から生まれた人類学上の概念です。   自然淘汰から大幅に解放され、科学技術の発達によって寿命が延びた今日のわれわれを象徴しています。   「家畜」とは、野生から切り離され、形や習性を変えられた動物。そうだとすると、自ら作った社会制度や文化的環境によって飼い慣らされ、それに適応して自らを変えてきた人類も、「家畜の一種」と見なされる。   快適な生活を求めて作り上げた文明社会によって、生物としての耐性を衰弱させられていく人類…。ひとたび家畜となった動物は、自然に戻しても生きていけないことが多い。 出典:尾本 恵市 (国際日本文化研究センター教授) 人間の「自己家畜化」無痛文明論(1) 森岡正博 :『仏教』44号 1998年7月 62−96頁  集中治療室のなかの人間にいちばん似ているのは、家畜工場のなかの家畜である。狭い檻のなかに閉じ込められ、日光や温度などを人工的にコントロールされ、食糧はベルトコンベアによって充分に与えられ、そうやってただひたすら食べて眠ることが彼らの生になっている、ニワトリたち。   人間は、家畜にしているのと同じことを、人間に対してやってきたのではないか。それをもって文明だと言ってきたのではないか。   これは、人間が自分自身を家畜にするという意味で、「自己家畜化」と呼ばれてきた。自己家畜化ということばは、二〇世紀初頭にアイクシュタットによって提唱された。彼は、人間が人工環境のなかで自分自身を家畜のような状態にしていると考え、その証拠として、人間の身体の形態に、ちょうど家畜と同じような独特の変化が起きていることを指摘した。その考え方は、やがてローレンツや小原秀雄らに受け継がれた。   無痛文明について深く考えていくためにも、彼らの自己家畜化論をまず検討しておく必要がある。小原の著書を参考にしながら、簡単に見ていきたい(小原秀雄『ペット化する現代人』NHKブックス(一九九五年) 『教育は人間を作れ るか』農文協(一九八九年) 『自己家畜化論』群羊社(一九八四年))。   人間は、約七〇〇〇年前に、野生の山羊や羊を飼い慣らして家畜とした。山羊などは放牧していたが、現代にいたっ

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