下記の記事によると、ハワイの教育従事者のなかには、給食当番や清掃に関して「子どもたちに“無償で”労働をさせるのは反対」という意見を公に述べている人がいるらしく、「給食当番や掃除を無償の労働ととらえているのは、私にとって新しい視点だったので驚きました。」とある。
欧米人の典型的な考え方であって、何を今更驚くことがあるのだろうかと思うけれども、このような記事が書かれるぐらいだから、あまり知られていないのかも知れないと思い直して、つらつら書いてみよう。
メソポタミア文明、エジプト文明及び古代ギリシャ・ローマ文明並びにその後継者である西洋文明においては、laborレイバーの語源がslaveスレイヴであることからも明らかなように、農作業などのlaborレイバー「労働」は、slaveスレイブ「奴隷」が行う「苦役」であった。
serviceサービス「奉仕、世話、役務」の語源も、ラテン語servusサーヴ「奴隷」だ。
他方で、ユダヤ教、キリスト教及びイスラム教においては、旧約聖書の「創世記」3章17節「あなたは生涯にわたり 苦しんで食べ物を得ることになる」、同章19節「土から取られたあなたは土に帰るまで 額に汗して糧を得る」とあることから、「労働」は「罰」だと考えられている。
同章16節「神は女に向かって言われた。私はあなたの身ごもりの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産むことになる」とあることから、「妊娠と出産の苦しみ」は、「罰」だと考えられている。
つまり、アダムとエバは、神が禁じた木の実を食べたこと(original sin原罪)によって、アダムは食べ物を自分で耕して作らなければならない「罰」を、エバは妊娠と出産の苦しみという「罰」を、それぞれ与えられたのだ。全ての人間は、アダムの子孫として、生まれながらに罪を負っている。
それ故、laborには、「労働」と「出産(の苦しみ)、陣痛」という二つの意味があるわけだ。
このように階級社会でキリスト教文化である欧米では、元来、「労働」は、卑しい「奴隷」が行う「苦役」、かつ、原罪に対する「罰」だから、今では口にこそ出さないが、給仕や掃除も、下級の労働者階級が行うべき卑しい作業だと考えられている。そのため、ご褒美に tipチップをくれてやるわけだ。
それ故、教育サービスを受けるべきご主人様である小学生に、給食当番・掃除当番として「労働」させるとは何事か!、という反発が起きるのだ。
こういう連中には、給食当番・掃除当番は、self-service「セルフ・サービス」だと言えば、多少は怒りを緩和できるかも知れないが、古代からの固定観念が根強いので、この説明ではやはり納得を得られまい。
授業料、給食費、施設管理費等を支払っているのに、なぜself-service「セルフ・サービス」なのかと火に油を注ぐことにもなりかねない。
また、給食当番・掃除当番を「労働」だと捉えると、Child labour児童労働の禁止(「児童労働禁止条約」最悪の形態の児童労働の禁止及び撤廃のための即時の行動に関する条約 (ILO第182号条約))に違反するおそれがある。
日本国憲法第27条第3項で「児童は、これを酷使してはならない」とされ、労働基準法第56条第1項で「使用者は、児童が満十五歳に達した日以後の最初の三月三十一日が終了するまで、これを使用してはならない」と具体化されており(つまり、15歳未満の児童の労働が禁止されている。)、これに違反するおそれがある。
15歳未満の児童をタダ働き(無償労働)させるとは何事か!、と反発が起きよう。
日本においては、天照大神ご自身が機織りをなさっているように、昔から「働くこと」は、「美徳」とされてきた。
我々日本人は、仕事にやりがいや生きがいを見出して、創意工夫し、より良い仕事ができるように精進するので、日本における「働くこと」は、英語で言えば、 やらされ感があって、卑しくて骨の折れる辛い肉体作業であるlaborではなく、自主的に努力して行う創造的な作業であるworkがこれに近いと思われる。
それ故、給食当番・掃除当番は、laborではなく、 educational activity「教育活動」として行われるgroup work「共同作業」なのだと説明すれば、理解されやすくなるかも知れない。
その際、学校給食法第2条及び給食指導や清掃指導に関する学習指導要領を示して、給食当番・掃除当番が、group work「共同作業」を通じて協力・協調の精神を養う教育活動なのだと理解を求めるとよいだろう。
多文化共生だとか、多文化理解だとか、左翼が喚いているが、給食当番・掃除当番ひとつを取ってみても、簡単ではないのだ。
cf.学校給食法(昭和二十九年法律第百六十号)
(学校給食の目標)
第二条 学校給食を実施するに当たつては、義務教育諸学校における教育の目的を実現するために、次に掲げる目標が達成されるよう努めなければならない。
一 適切な栄養の摂取による健康の保持増進を図ること。
二 日常生活における食事について正しい理解を深め、健全な食生活を営むことができる判断力を培い、及び望ましい食習慣を養うこと。
三 学校生活を豊かにし、明るい社交性及び協同の精神を養うこと。
四 食生活が自然の恩恵の上に成り立つものであることについての理解を深め、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 食生活が食にかかわる人々の様々な活動に支えられていることについての理解を深め、勤労を重んずる態度を養うこと。
六 我が国や各地域の優れた伝統的な食文化についての理解を深めること。
七 食料の生産、流通及び消費について、正しい理解に導くこと。
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